さて、北さんの思い出話から、なださんの話にさらに力が入っていくのですが、やはり「躁鬱(そううつ)」の話になる。
なださんは、精神科の医者として、何人もの患者と向き合ってきた人だ。
だから、由香さんが、
「最近は鬱の人が増えてきた、と言うように言われますが・・・」
と話をふると、本当に多くの有益と思われる情報を語ってくれていた。
熱心にメモを取る人もいて、世の関心事であることがうかがえた。
さて、鬱の人を理解するには、という核心に話が及ぶと、結局なだ医師は何を言ったか。
「結局、本当にいいのは、全員が一度は鬱を経験するといいのです」
どんなふうに声をかけてもらうのがいいのか、どんなふうな心境になるのか、元気になりかけた時に、どんなふうに扱ってもらうと元気になれるのか。
○元気だしなよ
○がんばって!
○どうしたの
こんな言葉は非常にきつい、そうだ。
なだ医師は、「がんばれ殺人」という言葉を、かつて書いたことがある。
由香さんが、「じゃあ、どんなふうなのがいいのでしょう」と突っ込むと、
なだ医師は、
「傍白」でしょうかね。
と言った。
傍白(ぼうはく)=内心のつぶやきなどを表す
それを聞いて、わたしはピンと来て、心の中でつぶやいた。
「タスケテクレ!」
すると、由香さんもピンと来たらしく、
「よく父は、だれに話しかけるともなく、いきなり、タスケテクレ!とか言ってたんですが・・・」
と、エレベーターの中の爆笑エピソードを語ってくれました。
他にも、北さんの傍白には、「愛してる!」もあります。
それを聞いて、なださんも懐かしそうに、
「そうそう、それです。それが傍白なんですよねえ。そんなふうに、心の内を、話しかけるともなくつぶやく。そうして、こちらの心を見えるようにして、教えてあげるのです。だが、それはその鬱の人に伝えるのが目的、というのではないのです。傍白ですから。勝手に、こちらが一人で、つぶやく、ということなんです。それが一番、鬱の人にはいいのです。結果として、うつ病の人に、こちらの心が見えている。それが安心をつくる」
この解説を聞いて、さらに、ピン、ときました。
「この話、発達障害の子にも、自閉症の子にも、同じだよなあ。」
不安の強い子だから、できるだけこちらの情報を開示して、伝えて、そのつもりになってもらう。了解してもらう、安心してもらう、ということが必要です。
そのために、こちらの気持ちを、できるだけ開示していく。
ただ、そのことでなにかを「わかってもらおう」という意識が強いと、自閉症の子が「ナニカを要求されている」と思ってしまうので、よろしくない。
不安が逆に強くなる。不安をとりのぞいて安心させてあげたいのに、逆に不安を増大させることになってしまっては意味がない。
したがって、「傍白」と。
あとは、うつ病の人が救われるのは、周囲の人の理解が一番。
というくだり。
同じことが、自閉症児にも言える。
つまり、周囲の人の理解でもって、その子の価値をつくりあげていく。その子を生かすのは、その子の責任というよりは、社会全体の責任である、と。
うつ病の方の持てる価値を見出し、高め、生かすのは、社会全体のためであり、社会全体の責任。
同じですねえ。
そして、なだ先生はこんなふうにもおっしゃっていました。
今の世の中は、価値が見出しにくい。
高度成長の時代なら全員が物をたくさん所有して使って便利になれば最高、という価値観で行けた。(それがまた歪みをつくるのですが)
あの時代は、あまり「鬱」という感じがしなかった。
でも、今は世の中のどこを見ても、「なんだかねえ」という感じ。だから、鬱になる人も多いのではないか。
鬱も自閉症も、人と人とが当たり前に接する社会になっていないから、問題視されるのかなあ、と思います。
さて、鬱の話や、北さんの「躁」のときの派手なお話を聞いた後で、そろそろ時間がせまってきたのです。
それからが、衝撃でした。(つづく)
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