昨年10月24日に84歳で亡くなられた作家・北杜夫さん。
その追悼の集まりがあり、行ってきた。
会場には70~80人くらいだろうか、全国からファンが集結。

会場は木もれ陽あふれる、涼しげな中庭にセットされ、自由にイスを動かして、メインの壇上を見られるようになっていた。

壇上には、籐の椅子が2脚。
娘さんの、サントリー社員、斎藤由香さんと、精神科医のなだ・いなださんのお二人だ。

由香さんが最初から最後まで、本当に丁寧に進行をされていた。
空白の時間をつくらず、言葉づかいは丁寧で聞きとりやすい。
北杜夫のファンが集まるからといってコアな話ばかりするのでなく、きちんと茂吉や茂太さん、快活ばあちゃんの輝子さんのことなど、家族の関係まで一言ずつ解説をされていく。
ファンにとっては周知のことであるが、丁寧に、それも時間をかけずにサッと触れていくので、どんな人にとってもやさしい。忘れかけていた人にとっても、

「ああ、そうだったなあ」

と思わせることができる進行の妙技であった。

さすがは現役のOL、サントリーの由香さん。
実はわたしは幼いころ、北杜夫のエッセイの中にしばしば娘の由香さんが出てくるので、ひょっとしたら若いのかしらんと思い、自分の結婚相手にできるのではないか、と夢想さえしたものだ。

実際には私よりも年上で、気品と風格を兼ね備えた才女、ともいうべき人である。

会場には、もっぱら60代の方たちが集結し、私が一番若かったのではないか、と思われた。

何度も強烈な視線を贈っておいたので、しばしば、由香さんと目があった。
そのたびに、わたしは思い切り笑顔で笑いかけ、由香さんの見事な進行ぶりを心から応援した。

さらによかったのは、なだ・いなださん。
どこかのエッセイで、

「・・・ちゅうことになっておる(・・・ということになっている)」

というくだりを書いて、

「世の中をみるときは、かならずこの言葉を最後につけておくと、テレビにも政治にも世間にもだまされずに済む」

ということを書かれていた。
わたしは中学時代にこのエッセイをなにかで読み、

「頭のいい人だなあ」

と感服したことを思い出した。

さて、北さんといえば山梨の医局時代に病棟で患者同士の殺人が起きてしまい、たった一人の医者としてすべての責任をとらねばならない立場になり、たいへんな思いをされたエピソードが有名である。(医局記)

医局記自体は、青春記や航海記、昆虫記に比べると文章のリズムがたまに乱れていて、ああ、と思うことが多かったのだが、上記のエピソードの描かれた部分は見事な筆の力で、緊迫した孤独な戦いの日々を書いていて読者を惹きこむ。

なださんはこのエピソードをしゃべっていた。

「被害者の親族から罵られるのに黙ってひたすら耐え、すべてを終えてから、眠れずに北さんは、自分の部屋でなく、畳敷きのいわゆる雑居房のような、患者の部屋に入るのです。そしてそこにごろり、と横になる。すると、ずっとそれまで黙りっぱなしであった、もう長いこと<精神>が動かないと思っていた一人の患者が、いつの間にかそばにきて横になり、北さんに向かって、あんたもたいへんだったね、というようなことを言う。それを聞いて、北さんは、医者というのは机に向かったり、投薬のことばかりやっていてもダメで、目の前の患者と同じところに身をおくようでないと、患者の理解はできないんだ、ということを悟るわけです」

このことは非常に印象的であった。

つまり、文学者・北杜夫は、医者としても、天性の勘が冴えた、観察眼の鋭い、優秀な医者であった、ということ。

これを、同業者のなだ先生が指摘するあたりが、非常に印象的でした。
これまで、医者としての北さんを評価する文脈を知らなかったので。