NHKで『ブッダ 真理のことば』 (100分 de 名著)を放映していたのを見た。
二―チェの回に感心したのは、ニーチェがルサンチマンを最初に説いていたことだ。
「ねたみ」は誰しも思い当たることである。さらに「なぜ腹が立つのか、なぜうらむのか、なぜねたむのか」と調べていきやすい。自分で自分を見やすいポイントになると思うから、なるほど、と思った。わたしもそこから考え始めたから。
なるほど、やはりニーチェもここからか、と思った。
それで今日、ブッダの回をみたら、ブッダもやはり「うらみ」を最初にキーワードに出していたので、感動し、
「なるほど!ブッダもかあ~」
となんだか面白くなって見ていた。
ところが、花園大学の中村教授が言うには、
「ブッダいわく、人間はすべて煩悩があって生きている。そこから強い意志をもち、自分はひとをうらまずに生きよう、と固く決意することこそが大事」
というようなことらしい。
ニーチェと同じじゃん。
まさか、ブッダもか。
うそ!
と思った。
中村教授も、煩悩を否定しておられるように見えた。
(中村先生、ちがったらすみません)
ニーチェも、煩悩(らくだ?)から強い意志をもって獅子になれ、というような感じだから、煩悩否定派だろう。
ブッダまで、煩悩否定?・・・まさかネェ・・・。
中村先生にお尋ねしたいのは、ブッダは煩悩を否定はしていないでしょう、ということ。
煩悩の正体を見ると、愛の塊、愛の発露であり、それに気付くだけでいいのでしょう。そのとたん、強い意志など不要となり、うらみもなく、生きていけるようになる。
ブッダはそんなニュアンスだと思うのですが、いかがでしょうか。
強い意志でもって・・・なんて、馬力の要るような話を、本当にブッダがしたのかなあ。
していないでしょう。いかがでしょうか。
あるいは、世の人には通じにくいから、やはり世の中の大多数の人が納得しそうな話の運び方が必要だろうと考え、親切心でもって、
「強い意志で煩悩から離れ、うらみを捨てて生きていくしかないのです」
と説いたのでしょう。
でないと、周囲の人間には何も通じない、と半分あきらめての行為ではないでしょうか。
その後も番組と中村先生の解説を見ていたが、やはりこの、<改革!>というか、<心の革命!>というか、<強い気持ち!>というような雰囲気の世界が延々と続いていたので・・・
わたしはまったくちがうと思う。
まったく解脱への努力なんて、不要だと考える。
解脱!とか、強い意志!というから、余計に分からなくなり、真理が遠くなっているのではないでしょうか。
(こういうことを書くと、「努力」している方からおしかりを受ける。なんで努力がいけないのだ!と。いえ、ちがいます。努力する、という尊い行為を非難しているのではないのです。煩悩を捨てる、ということがちがう、と思っているのです。また、その際に、強い意志が要る、と言うからそれはちがうと。・・・うまく書けないから、また叱られそうだ・・・)
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