学校が変われば、学校長の判断で、指導方針や対応も変わる。
たとえば、私が以前勤務していた小学校では、その方針がころころと変わった。
赴任した最初の年。
最初の職員会議で、こんな指示があった。
「教室の前面、黒板の周囲には目立つ掲示をしないようにしましょう」
これは、発達障害児童に対する支援だ、ということだった。
黒板をみるときに、どうしても視界に入ってしまう。
そのときに、集中力が途切れる。
だから、黒板の周囲には「学級目標」などの掲示をしない、というのだ。
なるほど、と思った。
集中しない原因になってしまうのか。
であれば、まあしないでおこう。
しかし、そのことに対して、お局先生から「待った!」がかかった。
2年目。
その方針は、ゆるやかなものになった。
校長先生も、まあ刺激しない程度の掲示なら、大丈夫じゃないか、ということであった。
どちらかというと、「規制と指示がゆるんだ」ということで職員間では受け止められ、各学級ごとに、学級目標を黒板の上部、つまり教室の前面に掲示する人もいれば、これまでどおりしない人もいた。
3年目。
お局先生の運動が功を奏し、各学級、教室の前面に学級目標を掲示しましょう、ということになった。
発達障害の児童への配慮、ということの効果よりも、教室全体に担任教師と児童の合意の上で、教室を一年間統率できる「学級目標」の掲示をする方が、指導上効果的だ、ということであった。
「学級目標を貼らないなんて、要するに教師が何もしていない、ということになるよね。サボりたい教師に都合のよい論理だけど、発達障害の子にとってはそれほど掲示が害になるわけでない。そういうことを持ち出して、面倒くさいことから逃げたい、と言うだけ。学級目標をクラスの児童全員で確認しないでどうするの」
ということだったようだ。
そのときの剣幕がすごかったので、
「そうかあ。発達障害の子も、そんなに関係ないのか。だったら、学級目標貼るべきだよなあ」
(サボった教師と思われて、あとからイロイロといじられるのもいやだしな)
という感想を持ち、私は3年目に、他の先生方と同じように一応、学級目標を教室前面に貼りつけたのでありました。
ところが新しい県の、新しい学校へ来てみたら、スクールカウンセラーや特別支援コーディネーターの招く先生の講座で、
「教室前面の掲示はなくしましょう」
と言われた。
「あらら・・・」
と、これまでの経緯を思い出す。
くわしくは、こうだ。
先日の講座で、発達障害を専門とされる先生の言われることになるほど、と思った。
つまり、人間の視野には、中心視野と周辺視野、というようなものがあり、それをセレクト(選別)できているのが通常である。
だから、目自体は、多くの情報を一度に脳に届けているものの、注意を一点に絞るために、その他の情報をわざわざスモークガラスでかぶせたようにして見えにくくし、取り除いているのが通常の脳の処理なのだそうだ。
ところが、発達障害を抱える児童にとっては、その脳内の処理ができない。
つまり、常に、100%近い情報が、脳に届いてしまうのだそうだ。
その中から、これ、というべきものに注目していかなければならないので、非常に疲れるらしい。
本当かどうか、知らない。
だが、発達障害の専門家の先生が、言われたのだ。
科学的なことなのか、それとも、まだ科学的には分かっていないことなのか。
発達障害を抱える子どもにとって、どれほどそのことのハンディがあるのか。
「疲れる」というのも、どの程度のことなのか。
いろんな疑問が脳をかけめぐったが、その場の校長の結論、教頭の結論は、こうであった。
「子どもたちのためにも、教室の前面の掲示はできるだけシンプルにし、学級目標も教室のうしろにできたら貼るようにしてください」
わたしは3年前を思い起こしながら、
「また、この方針が変わっていくのではないか」
という思いを持ちつつ、
「まあ、とりあえず、それに従おう」
と考えたのであります。
しかし、この
・中心視野を見るために、周辺視野をわざとボカす、という脳の働きは、本当なのか。
・それがしにくい発達障害の子は、ではどうやって、モノを見ているのか。
・集中するために、疲れる、というが、どのくらい疲れるのか。
このあたり、本当はどうか、とても知りたくなりました。
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