東京都の町田市は、里山を生かした町づくりをしていこうとしている。

里山、という概念、言葉をつくり出し、広めた先駆者が、四手井先生らしい。

私は20代のころ、農業に従事していた時代に、一度だけお会いした。
あるシンポジウムにお招きしたのだ。
私は主催者側であったので、準備の段階で一度、簡単な話をすることができた。
武士、というイメージがあった。
身体も大きかった。
さすが山岳部、という感じであった。

その後の本番でもお会いすることができた。
惜しいな、と思うことがある。写真を撮影する係だったので、私自身は共に写真に写ることができなかったことだ。

里山を生かすのに、動物を飼う、という話になっていた時、堆肥を生かしていく方策がなければいけない、という話題になった。
すると、それまでわりと静かだった四手井先生、

「今の日本の牛はほとんど海外の飼料ばかり食ってるんだから、糞もアメリカにもどさなきゃいかんだろう」

と言って、ニヤリ。

得意げに熱く語っていた農業系の大学生のほとんどが、それを聞いてシーン。

どうやら、得意げに熱く語る学生に、冷や水を浴びせるのがオモシロイらしい。
あとで、いかがでしたか、と仲間が聞くと、オモシロカッタ、という感想をおっしゃったらしいが、私にはあのやりとりがとても印象的だ。

もうひとつ覚えているのは、山を手入れしていくこと。
つまり、枝打ちや間伐がなぜ必要なのか、という議論になった時、仲間の一人がこれまた熱く語りだした。


いわく、美景、治水、間伐材の利用、もちろん本材として立派な杉ヒノキが活用できること、農山村と町の人が交流する場になること、里山のくらし、土砂災害をふせぐこと・・・

滔々とつづき、宴もたけなわという頃、

「山の手入れは、河川の氾濫を防ぐ。それだけでいいじゃないか。それだけで、十分にやる価値がある。あれもこれも、と決して言わなくったって・・・」

という旨のことをおっしゃられた。

それをきくと、一同、なるほど、とうなずくしかなかった。



さすがに、京都大学名誉教授、だと思った。

あれもこれも、と考えるから、ぼろが出る。
クリアな一点に焦点を合わせて、ぐいぐいとどこまでも押して行けばいいのだ。その一点で、どこまでいけるか。
考えてみれば、河川の氾濫だって、いろいろな条件が重なってのものだから、必ずしも山の手入れだけですべてOKという話ではない。しかし、どのように考えてみても、山の手入れは必ずすべき。河川の氾濫、という一点からみても、決して山を荒れさせてはならない。これはもう万人が反対しようのない事実だ、ということができる。

それで、山の手入れが必要。それだけでいい。一点で、突破していくのだ。一点で、勝負していくのだ。それでなければ、本物でない、ということだ。本物で勝負するのだ。ブレない、ということだ。

この話も特に印象に残っていて、あれ以来何度も思い返す。
私は四手井先生から、一点を考えることの価値を、学んだ。

享年、97歳。
ご冥福をお祈りいたします。