学校の仕事が長くなりそうだったので、夕方勤務終了後、近くのそば屋でかつ丼を食べていた。
食ってから、本腰をいれて仕事をしよう、というやつだ。
いつもは空腹に負けて、お菓子のようなものをポリポリと食べてしまって非常に健康上良くない。
そのため、今日は遅くなるよ、と妻に断って、食事を済ませてからしっかりと仕事に取り掛かる算段であった。

かつ丼を食べながら、なにげなくテレビ画面に目をやると、たちまちにして視力が吸い寄せられるように画面に張り付いた。

一瞬、こうした自分の身体の反応についていけずなにが起きたか分からなかったが、よく見ると、桂歌丸師匠が、TVの画面にうつっていた。

すぐに分からなかったのは、着物、羽織り姿でなかったからだ。
ふつうの洋服の格好で、なにやら興奮してしゃべっていた。

なにをおっしゃっておられたかというと、例の民主党の、「事業仕分け」のことだった。
子ども伝統文化教室などの予算が削られることに対して、お怒りになっていたのだ。

「自国の文化を守っていく活動のために、国の予算を使うのがなぜおかしいのか」

ということだった。

まさに得たり!
大賛成である。
百人一首や書き初めなど、正月ならではの伝統文化が、はっきりいって廃れつつあり、それを懸命に支えている教師や地元住民のボランティアが、伝統文化教室を開いている。子どもたちのために一肌ぬいでいる。それが、実態だ。泣けてくるほどだ。
それを、なぜ、やめさせよう、というのか。

???
である。

おそらく、あの仕分けに関わっていると、すべてが無駄に思えてくるのでしょう。
つきつめていけば、生きているのが無駄だ、ということに究極的にはなっていくようで。

「たとえ無駄、とわかっていても、食わないお頭がついていない鯛には、ありがたみがないねぇ」

鯛のお頭は食べない部分だけど、やはりついていないと、文化の意味が無くなる。
それでは、文化はほろびていくのではないでしょうか。


歌丸師匠がお怒りになられていらっしゃいますよ!!!

そして、落語の授業ができるように、予算を組んでください!
落語家を全国の小学校で月一で見られるように!!

秋には音楽会だけでなく、子どもたちが取り組む「落語会」を。
親も祖父母もみんな見に来てほしい。運動会、音楽会、そして落語会を小学校の定番の行事に。


民主党の方!政府の方!!文部科学省の方!!
落語を小学生に、勉強させましょう!