高学年女子の何人かが、常に情緒不安を抱えている。
めずらしいことではなく、高学年女子とはそもそもそういうリスクをたくさん(潜在的であれ、顕在的であれ)抱えているものなのだ。

さて、喜怒哀楽がくるくる変わる勤務校の女子であるが、今日はついに「おとなしい女の子」へのいじめ的な行為が発覚して、ショックを受けている。

さらり、といじめる感覚がある。
ばれなければ、本当にすずしい顔で、そのままやりすごしたのだろう、と思う。
背筋が寒くなる思いだが、それを付き詰めていくと、やはり良心が痛むのか、顔の表情が硬くなり、大声をあげたり、威嚇するような表情や言動になる。
相当に、困った時の「自己表現」であり、困ったことになった、と考えているからこそ、そのような表情の変化があるのだ。だから、大声をあげたり、錯乱したような表情、声、になっていくあたりから、

「ああ、ボディブローが効き始めたな」

と思う。

そして、善悪の是非を問うわけだが、悪を自覚しているからこそ、もうどうしようもなく、すくいがたい錯乱状態を呈する。呈する、というよりも、演ずる、のかもしれない。

「先生が○○したから!!」

まったく関係のないことを言い始める。
これは、かなりボディーブローがきつく入り始めた、という状態だ。
なんとかして、「わたしの悪の心を責められている」状況から脱したいからこそ、言いたくなるセリフ。

しかし、こちらはたった一点、

「この手紙を書いたのは、あなたですね」

ということだけを話している。

だから、逃げられない。


かわいそうだ、と思う。
こうまでして、他の不幸を感じなければ、救われないほどの、心の痛み、傷を負っているのだから。

傷つきやすい。
ガラスよりも、薄い、心。感情。

しかし、その女子の標的になってしまった子が、不憫だ。


その子に、味方ができるように、席替えを急きょ、行った。
もっともやさしい、気の付く女の子を、隣にした。

ここから、仲間を得て、元気をとりもどしてほしい。

傷つけようと意図して画策してしまった子も、元気になってほしい。
傷つけられて、どうしようもなくさびしい気持ちになってしまった子にも、元気になってほしい。

いじめは、本当に苦しい。