吉野せいを知ったのは、どの本を読んだからだったろう。

たまたま偶然目にした本に、吉野せいのことを書いているものがあった。

百姓、農民の文である、と。
それは、生きている、と。

そこで、さっそく本を取り寄せて読んでみたのが、もうかれこれ、十年ほど前か。

あひるかガチョウをひきつれて、畑のまわりを歩く「せい」さんの姿が記憶にある。

また、子どもたちに誘われて、ひさしぶりに東京の都心に出てきた「せい」さんが、都会の暮らしについて思うことを書いているエッセイがあった。

このふたつをなんとかもう一度読みたいものだ、と思いながら、本を紛失したまま、十年がすぎた。

再度読んでみたいと思っていても、なおかつ時が過ぎてしまったのは、作者の「吉野せい」さんの名前を忘れてしまっていたから。
志村ふくみさんと記憶がごっちゃになって、「吉野」が思いだせずにいた。

ところが、それが、インフルエンザで寝ていた日に、突如として、

「あっ、吉野だ!!!!」

とひらめいたのである。


吉野せい、で、検索してみた。

ヒット!!

洟をたらした神、と本の題名が画面に表示されたのを見たとき、

おお、これだったこれだった、と胸をなでおろしたい気持ちになった。
もう、十年も宿題にしてきたことが、ようやく果たせた、という感じだ。

今日、洟をたらした神、が届いた。

さて、これからが、至福の時間だ。



いつか、洟をたらした神、を一部、子どもたちに暗記させたいと思っている。