音楽の授業時間に、リコーダーの評定をした。
むずかしい、ファのシャープ。
半音、あげる。
この指使いが、できなくてかんしゃくを起こす子もいる。

特別支援の必要な子ではないのに、かんしゃくを起こす場面を見て、
「この子にはこういう面があったのか」と発見した思いだ。
ピアノを習っていたり、音楽については自分は得意だ、ある程度やれる、と思っているからか、

すらすらできない

状況に堪えられない。
そこを、機嫌よくすごさせてあげるのが教師の腕だろう。

かんしゃくを起こしながらも、どんどんと評定をすればよかった。
評定をしたら、もっとダラダラしてしまうかと思って、実際は何度か方法を変えて練習をさせただけ。ここを、評定してやればよかった。

どうせ、やらなければならない曲である。
シャープ、というはじめてのことに、慣れさせ、体験を積ませたいと考えた。

やらない子、笛をもたない子にも、

「1点」

といって、3点満点で評定をしてやればよかった。
基本のファの押さえ方で、まじめにやれば合格、ということをさせていけばよかった。

次回、合格ラインを上げる。4点。ファの音がクリアに出ればよい。
またさらに次の回で、合格ラインを5点にする。ミファ#ソ、と連続して出させる。
このくらいになると、ファがおっくうではなくなるのではないか。

ファ#の音を出すのに、

指の押さえ方がいいね、だとか
今の息の吹き方がいい、だとか、
具体的なことが言えない。
言っていたら、たぶん、子どもたちは冗長な私の説明と意見(実は評価)について、ほとんど聞く耳をもたないだろう。説明が長すぎる。評価に気持ちがこもっていない、と。
(だって、<一般的>で<つまらない>、<同じような言葉>が続くことになる)

そうでなく、子どもたちが聞きたいのは、

「合格かどうか」

である。
であれば、それは、評価ではなく、評定なのだろう。