「感心する」

ことがある。
それを、そのまま口に出す。

すると、どうやら、子どもの心に、しずかーに、浸透していくような気がする。


これが、「とりあえずほめとこう」という口から出たものは、たいして子どもの心に響かない。
心があるか、どうか。
結局、正直な、こういう結論に達するようだ。

気持ちのある行為であるかどうか。
ほめる、ということが。
教師による、子どもに向けての、「気持ちのある」行為なのかどうか。
気持ちのない行為は、一切、無効。

わかっていたつもりだが、でもやはり、計算高い気持ちが湧いてくる。
「よし、ほめておこう」
(子どもを見て)
「みんな、すごい。えらい」
これじゃ、なにも、響かない。

ほめたあとの、「立派な行為」を期待している。
そんな計算が裏にはたらいていたら、子どもにも敏感に伝わるものがある。
子どもは賢い。

そうでない。
ほめる、が意図的になってしまうのなら、作為的になってしまうのなら、
「感心する」のがいい。

ほめよう、ほめよう、と思って、なんとなく気分がおかしくなってきたら、
ふと、ギアを変えてみる。

「感心してみよう」

ふと、子どもたちを見る。
教科書を立てて読んでいる子。
言われたとおりに、ちゃんとやっている子。
鉛筆を置いて、指書きをしている子。

「おおー」

それでいい。
感心して、つい思わず、口からこぼれた言葉。

「おー、いいねえ」

それなら、子どもに通じていく。