1学期は、学級通信でエンジンが回転している、という手ごたえがある。
何よりも、私自身がその効果を実感し始めた。
今、調子に乗って40号ほど出しているが、やりながら見えてくることもたくさんある。


まずは、通信で褒められる、ということ。
通信の効能のほとんどは、このことから齎される。
たとえば、数日前のこと。ほめられる事であったのに、惜しくもタイミングを失った事柄。後から思い返すと、もう一言はっきり伝えて、クラス全体をほめていけたなあ、と思うことがある。それが、もう一度、やり直せるのだ。

これまではそうしたものだ、とわりきっていたのだろう。昨年までは。
タイミングが合わなかった。しかたがない、と。

しかし、今年はちがう。
原稿を一気に書き上げる。ワープロの字は大きくしておく。ポイント数は、なんと14ポイントだ。勢い良く紙面がうまっていく。メールでも打っている感覚に近い。勢いを大切にして、子どもたちを端的にほめたら、それを「エイッ!」と印刷してしまう。

「字が大きいなあ」

という印象はあるが、それにも子どもたちが慣れてきた。


配るのは、必ず朝だ。朝の会がテンポ良く進むと、シーンとした状態で学級通信が配れる。朝読書の感覚がまだ残っているうちに・・・。

緊張感のある朝の教室に、通信を読む声が響く。ほめ言葉を駆使して、ほめちぎっている内容だが、朝の空気の中ではそれがまた、照れくさくない。ふざけ半分に反応する子もいない。(中にはいるが、あまり変に盛り上がることも少ないようだ)


とにかく出そう、と続けていたら、5月中旬に保護者会があり、そこで話題になった。保護者にそれとなく水を向けると、
「今年からファイルを作りました」
「読んでます」
「日記が紹介されたので、うちの子、気合が入っているみたいです」。

学級での様子が描写されて、保護者に伝わっているということも、なんだかいい感じがする。

最近では、委員会の仕事をほめられたのがよかった。職員室で話題になっていたこと、「○○先生が本当に助かった、とうれしそうに話されていた」、と書くことができる。


くりかえし褒められる。

くりかえして褒めても、厭味な感じがしないのが、学級通信の隠れた良さだろうと思う。