ホタル観賞会があると誘われて、近所の仲間と出かけた。
もちろん家族連れだ。
幼稚園でよく会う仲間の家族もいる。

湧水の出る沢まで行くと、田圃があり、こどもたちはさっそくいろいろと遊び始めている。
大人たちは、鉄板を持ち出して肉を焼いていたり、もってきた芋やごはんをくばったりといろいろ。

この費用はどこから出てくるのかな、と不思議に思うが、おそらく善意の持ち寄りで、なんとはなしに、運営されているのだろう。こうなるとタダ、食べてくるだけではどうも、
自分だけ美食では気が引ける、という気持ちが出てくる。

そこで、パイナップルでも切って持ってこよう、という具合に、次第になんとなく、さらに集まってくるデザートなどがあり、いつの間にか、みんながおなかいっぱいになる仕組み。

「子ども優先だよ」
という声が自然にあがり、笑い声とともにちびっこたちが鍋の周りに並んでいる。

お父さんたちは早くもビールを飲み始め、お母さんたちもおしゃべりに夢中。
よく見ていると、子育ては一段落すみました、というおばちゃんたちが、せっせといろんな準備や片づけや、とても手際よく進めている。
恐縮だが、おそらくこういうこと自体を楽しめるのだろう。気軽に若いお母さんに話しかけながら、いろんな食材やおかずをてきぱきと取りわけている。
こういう人たちに、日本という国は支えられてきた(いる)んだろう。
大袈裟かもしれないが、そう思う。

時間が迫り、だんだん暗くなってきた。
満月が見え始め、いいころ合い。
そろそろ、という声がかかり、沢の方へと歩き出す。

すると、そんなに進まないうちに、
「いた!」
という声がする。
見ると、緑色の光の球が、ふわー、と点いたり消えたりしながら、浮いて、とんでいる。
一匹を見つけると、すぐに二匹目が見つかるものらしく、目がなれてきたのか、いろいろと見えてくる。葉の裏側に透き通って見える光もあり、それもホタルの光であった。


さて、このホタル観賞会に参加していた人で、ふれておきたい人がいる。米国籍の、家族である。

この田圃の会合によく訪れる親子で、お父さんは英語しかしゃべれない人。お母さんは青い目と金髪の美しい女性だが、日本語をたいへんに器用に使われる。
日本語の冗談にも間髪をいれずに反応して笑い、つっこみを入れたりもする。
堪能なのだ。

さて、そのお父さんが、気になるのである。

というのは、みんな、遠慮して話さないから。
だから、ポツンと一人で、田圃を眺めたりしている。
ずいぶんとエコな態度の人で、稲を踏まないように子どもをしかったりしている。
子どもはバイリンガルのようで、日本の子どもとでは日本語、お父さんとは英語で話す。
その子に草の名前を教えたり、沢の水で手を洗うことを教えたりと、お父さんだってこの田圃の会合に、すっかりなじんでいる。

ただ、お父さん、言葉がネックで、あまり人とは話せないでいる。
もちろん私も遠慮する組に入っていて、ハローぐらいしか言わない。

ところが、そこに、偶然にもどこからかホタル観賞会を聞きつけて現れた、インド人の夫妻があらわれた。
様子が一変。
英語が話せる人がきた、というので、お父さん同士でぺらぺらしゃべっている。
笑い声も起こり、米国人とインド人がとても仲良く話している光景が生まれた。

あとで聞いたのだが、どちらも、日本が大好きな家族らしい。
とくに米国人の夫妻は、エコ感覚の日本の田舎の暮らしが大好きらしく、地元の農家の田んぼに、田植えや稲刈りまで積極的にかかわっているそうだ。
また、インドの夫妻もエコ的なくらしを大事にしている人らしく、同じように日本の田舎の農家の暮らしがとてもフィットするらしく、日本がとても大好きなのだ、ということを話していられた。

日本のことが好きな外国人の<交流する場>が、この田圃を使った「ホタル観賞会」だったのだ。

立場を同じくする人は、やはり交流するようにできているのだなあ。
この世の中は。