息子とともに、人形劇を見に行った。
録画された映画や何かとはちがって、すぐそこに、生きた人の息や体温が感じられる、演者の表情が見える。
生の舞台は、できるだけ多く、視聴したい。
なにしろ自分は、演者、というキーワードに親近感を覚える。
そういう、職業だ。
教室で、常に、多くの子の目や視線をとらえようとして、演じている。
(さらにいえば、教師は演じながら、観察をする、観察者でもある)
さて、どんな演者に出会えるかと思って出かけた。
開演前。
すでにお客さんでいっぱいである。
ちびっ子たちが階段をのぼったりおりたりと忙しい。
疲れ果ててあくびをしているお父さんの横に、すみません、と声をかけて座る。
(お互い、大変ですなあ)
という表情で、ちら、と目が合うのが面白い。
ゴールデンウイーク、家族サービスの連続だ。
この1時間あまり、目を閉じて、眠れるものなら眠りたい。
よし、舞台装置をみてみよう。
使い込まれ、ところどころに古びた汚れがある。
舞台横の大道具にも、年期を感じる。
しかし、どれもきれいに美化され掃除されているから、道具として光っている。
照明が落ち、音楽が。
小ホールには迫力十分のスピーカー。
派手すぎず単調すぎず、ちょうどよい音色。
これから始まる冒険、友情、魔法・・・。
ストーリーの魅力を伝えるプロローグで、ショーが始まった。
光と幕を通して蛙の影がうつり、思わず息子と顔を見合わせる。
(我が家には、蛙のぬいぐるみがたくさんある)
さて、幕があがり、おばあさんがコーヒーミルで、コーヒー豆を挽いている。
そこに現れた、ホッツェンプロッツ。
人形の大きさも、ちょうどよい。
これ以上大きければ動きがにぶくなるし、小さいとホールで観劇するにはつらくなる。
文楽のように、黒子の格好をした演者が、声も出す。
上手に組み立てた舞台を歩き回り、飽きさせない。
セリフのテンポの良さやちりばめられたギャグは、子どもたちから大きな笑い声をさそっていた。
とくに感じたのは、声のよさ、だ。
ホッツェンプロッツの声の良さは、相当に鍛えられたものとみた。
腹からの声。
腹式呼吸を相当に鍛錬している声だ。
毎日、毎日、声をみがいている人の声だ。
プロだなあ、と思う。
大きい声は迫力十分、小さな声だってしっかりと響く声。
活ぜつもよし、いいなあ、とうらやましくなる。
舞台のあと、ホッツェンプロッツの演者の方が、廊下に出ていらして、こどもたちにさよならと言ってくださった。
息子は思わず駆け寄ってホッツェンプロッツの人形の足に触ったが、
「おれの足はやわらかいんだゾ!」
と、その響くうらやましい声でコミカルに言ってもらって、息子は笑顔で超ごきげんになっていた。
マイクを通さずとも、きいて心地よい声というのが、うらやましい。
笑顔もすばらしい方だった。
何よりも、演じている方たちの笑顔。
毎日、楽しいだろうなあと思わせられる。
笑顔ですごせるプロ。
いや、逆だ。
プロだから、笑顔で過ごせるのだろう。
早く、本当のプロフェッショナルになりたい。
教師修行は続く。
(修行中だが、教室ではすでに本番である。)
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