髪の一部に、ていねいにバリカンを入れ、デザインしている子がいる。
ギザギザの雷のようなマークで、耳の上に、ていねいにデザインがある。
さらに、耳たぶに、ピアス。
小学校5年生である。

やたらとつばをはく。
着ている服が煙草くさい。
きいてみると、

「これは兄貴のだよ!」

とのこと。
つまり、家にいる兄が煙草を喫っているので、そのニオイがついてしまった、というわけ。
しかし、やたらと、そのあたりにつばをはく。
なんでそんなにつばを吐くのか?と聞いてみると、

「うぜえんだよ、むかつく!」とのことである。
つまり、そんなくだらない質問には、答えたくない、ということであった。
気分が悪いのであれば保健室に、あるいはよくない病気に罹患している可能性があるから親に話す、と話すと、

「あっち行け!」
とのことであった。
つまり、お前とは話したくない、ということのようである。


つまり、彼は、ことばの文化では育っていない。
会話が成り立たない。
うまく、説明することや、ことばの奥を深く理解しようという意識は少ない。

その代わりに、言葉よりも、身体で話をする。


ベテランの先生が、彼とかかわる方法を見ると、そのあたりが伝わってくる。

まず、彼は、ベテランの先生には、自分から近寄っていく。
さらに、背中を蹴る。
あるいは、タックルする。

要するに、話しかけるにも、ことばがわからない(ピタッとくる言葉、適当な語句が探し当てられない)ので、



いきなり、タックルする。




しかし、通常のタックルではなく、加減がある。
そして、腹部のちゃんとしたところをねらう。急所は外している。
さらに、タックル後に、子どものような(子どもであるが)笑顔を一瞬、する。
最後に、先生の顔をみあげる。

このようにして、要するに、かまってほしい、というサインを送る。

彼は、ことばの文化では生きていないのだ。
身体の文化が、まさっているのだ。

だから、わたしが、ネチネチと、お利口な語彙をたくさん使って(?)、話かけても、ちっとも心を開かないわけだ。
そして、彼なりの精一杯の語彙を使って、

「うぜえ!」

というしかなかったのだろう。
苦しかったにちがいない。

そこが、さすがベテラン先生の腕だなと思うところで、
タックルされた後、彼と同じようなテンションの言葉で数回応酬しながら、

「それでお前、さむくないのかよ、そんな薄着でよ~」

とか、ちゃっかりと相手をリサーチしている。

「お母ちゃんに言えよ、もう一枚、セーターとか出してくれよってさぁ~」

「言うかよ。ってか、そもそもセーターとか、ねえし」

その子が、そう言ったのを目の当たりにしたとき、私は感動して腰が抜けそうになった。

なんと。

家の事情を自ら話して、先生に反応している!!!!



あとで、ベテランの先生に尋ねると、

「うしろから、たまに羽交い絞めしたり、ヘッドロックしたりするといいよ。そういうふうにかかわってくる大人にだけ、心を開くから」

とのことであった。

女子には通じない(というかやってはいけない)が、この手の身体文化少年には、有効な手立てであろう。