A子が、3日ぶりに登校した。
風邪をひいていたのだ。
無理して登校し、こじらせた。
電話をして、
「風邪の菌がぜんぶいなくなってしまうまで、ゆっくり休んでね」
と伝えた。
ひさしぶりに教室で顔を見ると、きちんとマスクをしている。
「いいねえ」とほめる。
「先生、くすりもらってきたから、給食のあとに飲むね」
と言ってきた。
それは、抗生物質と熱を抑える薬だった。
要するに、本当はまだ、なおっていないのかもしれなかった。
「無理しないでね」と伝える。
両親が離婚をし、母親と暮らしている。
母親は早朝から、仕事にでかける。
律儀に、家の仕事をきちんとこなしている。
朝ごはんも、ちゃんと自分で食べてくる。
「ごはん食べないと、力がでないから」
これは親から何度も聞かされたセリフなのだろう。
ちゃんとそれを守って、自分でごはんをよそって、食べてくるようだ。
そうじ、洗濯、どんどんこなす。
教室の、かゆいところに手が届くような働きぶりは、本当に助かる。
彼女は、ほとんど、小学校4年生にして、主婦なのだ。
不良の兄がいる。
兄については、あまり語りたがらない。
兄を評して少し話すのを聞いたことがあるが、
「わたしはきちんとやりたい」
と最後に言った。
兄とはちがうぞ、と言いたいのだ、と感じた。
A子は、病気になって、風邪をひいたとて、親がつきあってくれるわけではない。
自分でなおさなくては、と思い、一人でちゃんとふとんにくるまって寝ていたのだ。
そして、ときおり自分で熱を計っては、枕もとのノートに記録し、お母さんにそれを伝えようと手紙を書いていた。
また、熱があってもできるから、と洗濯はした、という。
「食器もきちんと洗ったの。炊事のところが片付いていないと、いやだから」
早朝から家を出て、深夜に帰宅する母親。
その苦労を知っているから、けなげに頑張ろうとしたのだ。
医者にも、自分ひとりで出かけた。
そして、医者に言われたことをメモして、手紙で母親に伝えたという。
そのA子が、給食のあとに、くすりを飲むのだ、と私にわざわざ伝えてきた。
「わたしが忘れるかもしれないから、そうしたら、先生が教えてね」
「わかった。ちゃんと伝えるよ」
ところが、
給食のあと、すぐに私は他の用事を思い出して、職員室にでかけてしまったのだ。
しばらくして教室の様子を見に来ると、A子が教室に残っている。
「あれ?ひとりか?」
そうすると、A子がぷー、とふくれている。
「どうした?」
「先生、わたし、さっき薬飲んだ」
「あ、薬な。飲んだか」
わたしが、はいはい、という感じでその言葉を受けていると、A子が、そのままぷいっ、と横を向いてしまった。
要するに、このときの言葉かけは、彼女の期待したものではなかったのだ。
彼女は、
「お!ちゃんと自分で忘れずに飲もうとしたんだね。自分でできてえらいな」
そして、
「先生な、ちゃんとAちゃんにそのこと言おうと思っていて、忘れちゃっていたな、ごめんな」
と言ってほしかったのにちがいない。
私に注目して、関心をもち、病気や身体の心配をしてほしい。
それが、彼女のいわんとしたことであったのだ。
それを、いともあっさりと、いなしてしまったのが、ながしてしまったのが、彼女の「思い」を受けなかった私の、教師としての実態なのだ。
なんともはや。
A子なりの、自分で自分を律しなくてはならない、という努力。
ふつうの4年生にはない、緊張した生活。
その中の、努力の断片、苦労の一場面を見たのだ。
教師は、そこで、何に共感しなくてはいけないのか。
短いやりとりであったが、彼女にとっては、一番、もっとも、周囲の大人に、認めてほしかった場面だったにちがいない。今回の病気に、自分なりに一生懸命に立ち向かったこと。そのことに、少しでも関心をもってほしかった。そして、話題にしてほしかった。自分の話を聞いてほしかった。
子どもはみな、ナルシストである。
子ども時代にナルシストであることを十分に受け入れてもらい、満足させてもらった人が、成熟していくことができる。大人になっていくことができる。
教師がもっとも、敏感になるべき。
そこをとりこぼすから、まだまだ、ワタシは新米の域なのだ。
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