2日の朝、日の出を見た。
今年は2人目の子が生まれる予定なので、ぜひとも日の出を見て、心をととのえたかった。

朝、6時起床。
それでも十分に間に合うように、海岸近くに泊まった。
宿の主には、日の出を見に行くことを伝えてある。
前の晩、親切に、日の出時刻を教えてくれた。7時より前、6時55分くらい、とのこと。
宿の女将さんが、

「日の出の前にも、かなり明るくなっていますから、多少早めに出られた方が」

と忠告をくださる。
いろんなことがありがたく感じられる。

嫁は前日まで迷っていたが、妊婦であることや、4歳の子が気になるようで、
「朝、寝てたら、そのままホっておいて。あなただけでもどうぞ」
とのことである。
子どもにも、太陽が出てくるところを見せたい気持ちが強かったが、ハナをぐずぐずいわせていたことが気になるので、お楽しみは来年に。


午前6時すぎ、外に出ると、もうすでに、うっすらと明るくなり始めている。
おまけに海岸近くで風が強い。宿の玄関を出るとすぐに、首をすくめた。

「さみいー」
ひとりごとが出る。
ジーパンの上から、ウインドブレーカ(下)を穿いていて正解だ。
かなり、身にこたえる。

冬の朝。霜がおりて、庭の芝生の土が無彩色に見えた。
足元を見る。「しもばしら」がある。

田んぼの向こうに目をうつすと、地平線に、オレンジ色のうすい帯ができはじめていた。
しまった、と思いながらエンジンON。
インパネの表示、温度警告が青く光っていたが、無視して走る。暖気運転などしている間はない、と思ったのだ。


10分ほどで、海岸の駐車場へ。
もう初日の出ではない、というのに、けっこう車がとまっている。
2日の朝なら、もうほとんど人はいないだろう、と思ったのになあ。

地元の人が多いのだろうと思うが、駐車場のスペース3台分に1台の割合いで、車を停めている。


ゆっくり走って、端の方に駐車した。
そのままCDでモーツァルトを聴きながら、車中で待つ。
缶コーヒーは必需品だ。

目の前に、浜がひろがっていた。
歩いている人はほとんどいない。
みんな、車中でじっと待っているのか。
砂浜の向こうに、海が見える。

太平洋!

波がしらの白い部分が見えるが、音は聞こえない。
水平線には、かすかに雲がかかっている。惜しいなあ。


しばらくして、かなり明るくなり、その後、チラッとオレンジ色に光った、と思うや否や、一筋の光が水の表面をサーッと走り、自分の目の前まで、道ができた。
感動しました。
しだいに色が濃くなり、水面の動きに合わせて、太陽と同じくらい明るい光が水面にも照り返して、まるで太陽がいくつもあるよう。
きれいに雲も消えた。
浜には、同じように車を降りた人が何人も立っているが、みんな黙って、水平線を見ている。

日の出を見るたびに思うのは、こうして、太陽を見る、という行為は、おそらく太古の昔から、人類がずっと続けてきた、ということ。
どんな思いで見たのかな、と思う。

今年、どんな年になるのか。
あるいは、するのか。

初任という年が、もうすぐ終わる。
今年は、必死に走ってきた。
とにかく、周りに合わせ、やってくる仕事を片端から片付けた。
そして、やったらよい、と思われることに、チャレンジもしてきた。
こなしてきた、という感もある。

こなす、というニュアンスで、今年はすごしたくない。
今年は、1年の見通しを持って、すごしたい。
そして、事柄よりも、中身がどうだったのか、自分の側のテーマ、取り組みどころを、さらに焦点化させていきたい。

学級すべての子どもに、成功体験を積ませる。
それがやれる教師になる。
BLOGには、これまでよりもっと、授業内容を書き込めるようにする。

プロとして、純粋に。
一筋の道を。

思いが、湧き起こってくる。
子とともに。繁栄せん、と。

風がやんだようだった静かな浜。

子どもにつける名前をあれこれと考えた挙句、帰途につく。
ようやくふりかえると、そのうしろの町全体が、朝の明るさに包まれ始めていた。