Teacher Burnout Syndrome

「長期間にわたり人に援助する過程で、心的エネルギーが絶えず過度に要求された結果の極度の心身の疲労と感情の枯渇を主とする症候群」
だそうだ。

理由について、佐藤学氏は、
(1)仕事の成果が見えにくいという、職務そのものの曖昧性
(2)人と直接関わるために生ずる日常的な強い緊張感
(3)継続的な多忙感
(4)努力が必ずしも良い成果を生まない場合も多い教職という仕事の複雑さと難しさ
(5)真面目に、理想を追い求めようとする人が多いこと
をあげている。

佐藤学(1995)『学び その死と再生』太郎次郎社より。



なるほど、そうか、という思いと、
これだけでくくれないだろう、という感じもする。


なんでこんなことを調べることになったかというと、
友人から、

「楽しくって仕方ないでしょうが、あまり燃えすぎないようにね!
僕が通っている兵庫教育大学で「教師のバーンアウト」を研究している教授がいるけれど
情熱的な人ほど、燃え尽き症候群にかかってしまうことが多々あるみたいだし。

ほどほどに。そこそこに。
でないと、まじめにやればやるほど、教育界というところは問題がつきないでしょう?

末永くやれるように、自分の心のケアもしっかりしてくださいね♪」

というメールをもらったからだ。

そこで調べてみたところ、
男性では20代の教師が、
女性では、40代の教師が、
もっともバーンアウトになりやすい、という調査結果があるそうだ。


同じ職場に、本音で語れる人がいるか。
気持ちを共有できる人がいるか。
気軽に相談できる相手がいるか。(心から信頼できる人であること)
次善の策、その又次の手がある、と考えられるか。
万策ある、と考えられるか。(一つの手でダメでも、あと9999策ある)

・時間が解決することもある、と思えるか。
・気晴らしの趣味があるか。
・休む勇気。

最後の3つは消極的策ではあるが、とても重要なこと。
積極策には気持ちを共有しあえて、支えてくれる友の存在が必要だろう。

わが身をふりかえると、そういえば、
本当にゆっくりと、心ゆくまで、話し合ったことのある人が同じ職場にあるかというと、どうもこころもとなくなってきた。同僚とは仲良しではあると思うし、思いたいが、本当はどうか。
つきつめて自分の心に問うていくと、自分が初任者であるという遠慮はのぞいたとしても、少し自信がない。
ゆっくりと、遠慮なしに、自分の素直な気持ちや愚痴を、心底満足するまで、言えたことがあるかなあ。毎日いろいろこぼす相手はいるけど、<本当に>心の底から「話し合った、通じ合った」となったことがあるか、ということ。

愚痴も言えないような人間関係では、さびしい。