これまた、初任者研修での よもやま噺(ばなし)。
ある初任者仲間の言うのには、その学校は、環境教育の一環として、
「リサイクル」
を行っているらしい。
「まだやってるんだ」
「行政がやってる仕組みを教えた方がいいんじゃない」
いろいろと意見が飛び交う中、話には、意外なつづき があった。
「ところが、リサイクルの日になると・・・」
朝、環境委員会が、玄関のところで、リサイクルを呼びかける。
1年生が黄色い帽子をかぶって、元気に登校する。
「おはようございます!」
委員会の仕事は高学年だ。
おにいちゃん、おねえちゃんたちに向かって、元気にあいさつをしてくれる。
ほほえましい。
異年齢交流、などという好ましい単語が、頭をよぎる。
ところが、おかしいな、と思うのだ。
クンクン・・・
なにか、へんなにおいしない・・・
高学年は、またか、と思う。
つまり、1年生が、酒臭いのだ。
アルコール臭を、ぷんぷんさせて、ビールのアルミ缶の入った袋を手に提げてくる。
くさいので、その袋を、腕で前に突き出すようにして、持ってくる。
はーい、ありがとう。
受け取ったアルミ缶は、カンをつぶす、専用の機械で、高学年がつぶしはじめる。
足でペダルを踏むと、アルミ缶がかんたんにつぶれる、便利な道具だ。
導入は、アルミ缶のリサイクル運動が叫ばれた、10年以上前だという。
COP3の頃だろうか。
あるいは、リオの地球サミットのころか?
高学年がいよいよアルミ缶をつぶす。
アルミ缶といっても、要するに、ビール缶、である。
いきおいよく、ペダルを踏む。
ぷしゅー!!!
これまた、いきよいよく、ビールの泡が、四方に飛び散る。
一気に、学校の昇降口、つまり玄関付近はアルコール臭くなる。
1年生は、それをみて、眉間にしわをよせ、
「くさい!」
と言いながら、小走りで教室へ逃げていく。
高学年は、良心の痛みを感じながら、あいまいな微笑で、それを見送るのだ。
「ごめんね」
「だから、ビールの泡をとばすなって、言ったろ!」
高学年はお互いに口喧嘩を始めてしまう。
1年生の先生が、心配で見に来る。
「ほら、○○ちゃん、早く行こうね、ソラソラ・・・」
1年生の背中を押しながら、すばやく教室へ連れて行く。
次の1年生も、ビール缶。
アサヒだ。
次の2年生は、キリン。
ビール缶が多い。
ビール缶だけを禁止したら?
酒類は全面禁止だよね。
「いや、それだとまったく集まらなくて、つぶす機械がもったいないってんで、ビールも、やはりアリ・・・、なんだよ」
と、勤務校の先輩が教えてくれる。
しかし、つぶす機械を運転することが必要だからって・・・。
なんとしてでも、酒であってもビール缶であっても、是が非でも集めねばならないとは、いったいなんという仕組みであろう。
「PTAからもさ、缶を学校が集めてくれるから、便利で助かるって・・・」
朝、母親が、
「○○ちゃん、これ!今日、リサイクルでしょ!」
素直な低学年は、これに逆らえない。
高学年がほとんどリサイクルデーに何も持ってこないのは、敏感で、やはり何かを感じているからだろう。また、母親に抵抗するだけの力があるのだろう。
素直な低学年は、めげずに、母親から手渡されたビール缶を学校へ運ぶ。
学校のリサイクルデーは、家庭ではごみの日。ビール缶を、捨てる日、なのだ。
いや、問題はそこではない。
いったんやりはじまった、「よいこと」は、ストップが効かないのだ。
やめる、ということ。
やめる、という勇気。
今、学校に必要なのは、その勇気だ。
行事を、半分に減らそう。
学校スリム化。
必要だということは、みんな分かっている。(でもできない)
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