自分の知り合いで、いわゆる有名になった人物というのはそうはいないが、ある人は、モデルとして商品に写真が掲載された。
そして、その写真が、数多くの製品と一緒に世間に大量に出回っている。


それは、パッチンしぼり、という100円商品と、これまた100円のたばこのポケット吸い殻入れ。

パッチンしぼり、というのは、いったい何を止めるのかというと、それこそなんでも止められるのである。プラスチックの樹脂でできたその製品は、ビニールの口を密封したり、あるいはまた、わさび・からし・歯磨き粉・洗顔クリーム等のチューブ製品を最後まで絞りきることができる、大変に優れた発明品なのである(そうである)。

また、たばこの吸い殻入れ、というのは、熱に強いアルミ加工のしてある小さな小銭入れのようなポケットであり、ここにその名の通り、たばこの吸い殻を入れるのである。近くに灰皿が見当たらないときにだって、これがあれば、遠慮せずにたばこが吸える。これまた、たいした発明品なのである(そうである。・・・友人談)


知人は、その商品に写真で登場し、ビニール袋をパッチンと止めてみせたり、あるいはたばこの吸い殻を、そのポケットで消してみせたりしている。

ただし、写っているのは、彼女の「手」だけである。
「手」だけとはいえ、一つ一つの製品に、かならずその「手」は登場しているのだ。
なにしろ、何万個という商品の単位である。
商品の流通にともない、彼女の写真も同じ数だけ、世の中に流通していることになる。
ただ、世の人はそれが何か知りもしないし、興味も湧かないだろうが。

彼女は、包丁をきれいにスピーディーに研ぐ道具のCMにも登場している。それは、B4の大きさの商品パンフレットなのであるが、彼女の手がその道具を器用に扱っているシーンが、写真で掲載されている。

ここでも、彼女の登場は、手だけである。

人は、この手の持ち主(?)などには、興味を抱かないであろう。
購入する側にとっては、その商品が満足できる機能を果たすかどうか、という点にのみ関心を寄せるのであろうから。

しかし、私のように彼女を知る人間にとっては、商品よりも、その広告に使われた手の方に、興味がいく。
そうして、自宅にある商品のパッケージを見ながら、まるで彼女からなつかしい便りをもらったような、不思議な感覚にとらわれる。


「どう?そちらは。元気にやってる?わたしは、ほら、このとおり、元気でやってるよ」


商品広告の中の「手」から、そんな彼女の声が聞えてくるような、はなはだ、おもしろい感じがする。(だからずっと、使わないで置いてあるのだが・・・)