12月5日、89歳で死去した評論家の加藤周一さん。
鶴見俊輔さんが毎日新聞にコメントを発表していた。

記事には、
・・・「九条の会」で「武力によらない平和外交の方がはるかに現実的で経済的」などと主張した。・・・
とある。

加藤周一さんのことは、学生時代に知った。
教師が教えてくれたのである。

高校時代に社会科を受け持ってくれた教師が、とても印象深い。

生徒がつけたあだなは、「カトヒゲ」といった。
名字(姓)が加藤で、ていねいに手入れした髭(ひげ)が特徴であった。

カトヒゲ先生は、平和外交とは何か、というような内容の講義をたくさんしてくれた。
加藤周一、鶴見俊輔、小田実、冒険家の植村直己、堀江謙一、『ものぐさ精神分析』の岸田 秀、などをさかんに紹介し、読書意欲をかきたててくれたのが、先生だった。

高校のくせに、比較文化の授業がとても多かった。
その入り口、入門となったのは、今でも覚えている、和辻哲郎の『風土』であった。

「わつじは論じます・・・一枚岩的な性質・・・」

というくだりを、今でもはっきり、覚えている。

というのは、先生のおっしゃる、「一枚岩」という言葉の意味を、知らなかったからだ。
そこで、授業後に、ノートにメモした「一枚岩」を辞書で引いて、ようやく納得した。

また、和辻の西洋文化と東洋文化比較の論の中で、東洋の曲線を意識した庭園造りと、フランスの宮廷庭園の直線様式をくらべていたことを読んだ私が、そのことを授業中に言うと、

「おお!ちゃんと読んでくれたか!」

と大げさに感動してくれた。
このことは、すごい。
たいしたことなのだ。

つまり、
教師の感動を自分が引き起こしたのだ、という誇りとヨロコビというのはとても強いもので、20年たってもそのことを生徒が覚えているのだ。いやはや相当なものだ、と思う。

カトヒゲ先生は、毎回の授業開始に、かならず一人に新聞批評をさせた。
新聞を読み、そこから得られるニュースに対して、意見を言わせるのだ。
高校生が言う意見だから、たいしたことはない。
しかし、おそらく目的は新聞を読ませることだったのであろう。
かならず、カトヒゲ先生のフォローと時事解説が入り、私たちはそのことによって救われていた。

おかげで、新聞を読む癖がついた。
当時連載されていた、朝日新聞の連載エッセー「夕陽妄語」を読むようになった。
私は仲間と共に、加藤周一さんに徐々に近づいていくことができたのだ。



今、加藤周一さんの本は本棚に一冊だけ。
しかし、本棚にずっと、20年前から、ある。
何度も引っ越ししたのに、捨てずにいたのは、高校時代のカトヒゲ先生の、これまた大きな影響のおかげであろう。

(・・・・・・先生というのは、そういう、なんらかの影響を強く与えてしまう、そういう、職業なのであるのだなあ。・・・・・・)


加藤周一さんのご冥福をお祈り申し上げます。