木々をじっと見つめて

という単元があり、校庭の木を水彩で描く計画をしている。

ところが、この単元での目的、目標が、いまだ決まらない。

というのは、これまでやってきた通り、色づくりをメインにして、八つ切りのさらに半分の紙に丁寧に、ぬっていくのか、どうするか、迷っているからだ。

他の学校の先生の、ある実践を見せてもらった。
ベテランの男の先生だ。

大きな画板を首から下げて、子どもたちが校庭に散っている。
思い思いに木を見上げて、全体の構図をどうやってとろうか、えんぴつで苦闘している。
えんぴつは4Bを持ち、消しゴムがなくなってしまうのではないかしらん、というくらい、こどもたちは、書いては消し、書いては消し、とくりかえしている。

つまり、木の幹と葉と、枝と枝の空間と、それぞれの間合いの取り方が非常にむずかしいのだ。
構図が、きちんとおさまるまでに、そうとうな時間がかかる。

後日、その作品をみせてもらったが、なるほど、構図はなかなかのものだ。枝のしなり具合や重なり具合など、苦労してがんばったなあ、という作品が多い。
その代り、絵具で塗る時間はほとんど残らなかった。
1時間+α、しか。

だから、単色で、スーッとぬっただけ。

水彩だから、これでいいのだ、という感じだ。


これを見て、「うちの子たちにはどうかなあ・・・」
と思うのだ。

構図は難題すぎないか・・・。

それよりも、自分の色をつくりながら、面を塗っていく、これまでのスタイル。
これを、4年生になっても継続していくことの方が、合っているのではないだろうか・・・。

塗り絵、線の中を塗るやり方は、いつもやっている。
目にするイラスト、漫画、アニメは、つねにそういうスタイルだから。
お絵かき帳や自由帳に書くイラストは、線画だ。
それが悪いわけではない。
線画は日本の特徴的な文化ともいえる。

しかし、やらせたいのは・・・。


構図をうまく、写実的にとることが目的ではない。

対象にせまり、その「感じ」を、受けて、自分で味わい、のみこんで、絵にあらわしていく。
写実でなくてもよい。正確でなくてもよい。
そのものにせまった、その子なりの、証を、絵にあらわしてほしい。
そして、似てもいい、似てなくてもいい、しかし、木そのもの、味わった木そのものを、描こうとして書いてほしい。

やはり、色づくりメインだな。
八つ切り画用紙の半分。色つき画用紙で、背景は塗らず。
しぶい色の画用紙に、ていねいに、色をおいていく。
これだな。

木の、全体は要らない。
土と根っこと、幹の半分まで。
これだけで勝負。

それ以上は、中学校でやってもらおう。