秋を見つけよう、と校庭へ。
教室へ帰る時間だけを限定して約束させ、あとは自由、とした。

夏から秋へ、変化したもの。
秋だなあ、と感じるもの。

事前に、プリントを配布。
理科のノートにのりで貼り付けさせた。
プリントには、番号とかんたんな横線だけ。

番号の3番までは、ひょうたんについて書く、とした。
番号は12番まで。
それよりももっと、書くことがあったら、ノートのつづきに書いてくること。

子どもたちは、とてもうれしそう。
久しぶりに、堂々と校庭へ出られる。それも、授業時間中だ。やったー!

子どもたちが勢いよく教室を出て行った後で、わたしも校庭へ。


校庭のあちらこちらに、こどもたちの姿がみえる。
銀杏の木の下で、みあげてなにやらノートに書きつけている子。
キンモクセイの木の下で、散った花弁を見ている子。
カマキリを見つけた子。


ひょうたんについて、こんなことを書いた子がいた。

「ひょうたんは、黄緑色のものと、茶色のものがあった。黄緑は重くて、茶色は軽かった。」

おおお、と思う。
理科的だ。



ほとんど枯れかけた、ひょうたんの茎。
そこから、かろうじて水分をとっているのが、黄緑色のひょうたん。
茎まで、ほとんど茶色になっているのが、茶色のひょうたん。

その下に、落ちて、割れて、中身のとび散ったひょうたんもあった。

その中身をみて、

「ひょうたんは、実だとわかった。なぜなら、中に、種があったから」

と書いた子もいた。


どちらも、理科的だなあ、と感じる。
1)重さを、手に持って、感じてみようと試みている。
2)中に種がある、ということは、これは実なのだ、と考える道筋が論理的である。


教室に帰ってから、そのことを、スゴイ!と、力強くほめた。