電話をかけた。
ある児童の自宅である。

何度かけても、夕方には通じなかった。
留守だ、と思った。
子どもを連れて、買い物にでもでかけたのかな・・・。

7時過ぎに、再度かけたが、出なかった。
8時過ぎ。
職員室から、これで出てほしい、最後だな、と思ってかけた。

やっぱり、出なかった。


翌朝、児童に声をかけた。

「昨日、おでかけだったかな。電話したよ」

児童は首をふった。

「ううん。家にずっといたよ。」

おかしいなと思ってよくよく聞いてみた回答が、タイトル、である。
要するに、けっこうな音量で、居間のテレビがつけっぱなし、なのであった。
だから、よっぽど注意していないと、電話には気がつかないことがある、という。


ハハア、と思うことがあった。

よく、ボーっとしているのだ。
名前を呼んでも、スッと反応するのでなく、ちがうことを続けている。

授業中の教師、わたしの言葉が、耳から耳へと、すーっと消えていくような感覚。
彼の耳には、入っていかないなあ、と感じていた。

肩をトントンとしたり、机をたたいたり、近くで言葉をかけないと、あっ、自分のことかな、と思わないよう・・・なのだ。

おそらく、ずーっと、なにがしかの刺激が慢性化して与えられていて、どこかでシャットして過ごす術を身につけて育ってきたのに違いない。
でないと、安心して、暮せなかったのだろう。
自らの身体の感覚を、そういうふうに、変化させて、適応して生きてきたのに違いない。彼は、彼なりの工夫を学んだのだ。

おそらく、家庭のテレビをなんとかしなければ、彼の学校生活はこんな状態で、続いてしまうのに違いない。

もったいない。