近所に小さな川が流れていて、田圃がある。
地主さんに声をかけてもらって、稲刈りをしてきた。
幼稚園の父母にも口コミで広まり、地主さんのネットワーク、幼馴染、農協つながりなど、地元の人も集まって、みんなでお祭りのようになった。
鎌が貸し出され、おそるおそる田圃に入る初心者もいる。
かたや、軽快なサクッサクッという音をたてて、いつもどおりに稲を刈る、というベテランもいる。
一見かわいた土の中に、足がめり込む。
運動靴で来て、シマッタ、という顔の人。
半そで、ジーパン、という父親。
麦わら帽子、うすい長そで、しっかりした長靴。これが一番、思いきりできる服装だ。
綿手も必要。
だんだん慣れてくると、片手で株の元をにぎり、サクッと一度で決まるようになる。
前かがみの姿勢は腰に負担があるが、年に一度の収穫祭だ。我慢して突き進もう。
子どもたちが、歓声をあげて、バッタを追いかける。
かまきりもいる。
小さな虫が、無数にいる。くも。いなご。
幼稚園くらいの子にまじって、小学生低学年もいた。
それが、いばって、みんなをひきつれている。
親は稲刈りに夢中。
何人かのおばちゃんが、柿をむきながら、こどもの様子を見守ってくれていた。
稲は、この後、横倒しにした竹組に、はざがけにする。
そのため、片手でもてるくらいをひと束にして、それをX字になるように二つでひと組にしておく。あとで、そのバッテンの交差部分をヒモで結んで、竹にかけて干していくのだ。
「軽いなあ。ついとらんのじゃないか」
ベテランの方が、持ち上げた穂を気にして、そうつぶやいている。
実り方が、軽いのだそうだ。
米がしっかり、つまっている、という感じでもないらしい。
そのうち、子どもたちが何人か、はだしになって、どろんこの中の追いかけっこをはじめた。
アメリカ人のS夫妻の子どもたちも、日本の子たちにまじって、平気のへいざ。
ひざ上まで完全にどろんこになっている。
それをみて、S夫妻も大笑い。
日本が大好きなお母さんなのだ。器用に日本語を話される。
「今日しかやれないから、思いきりやりな。どろんこあそび!」
これが、そのSさんの奥さんのセリフだ。
白人の女性から、大声でこういう言葉が出てくると、ちょっとギョッとするが、言う内容には賛成である。
日本人も負けていないで、田圃でどろんこになりなよ!と思う。
うちの子は男の子だが、ついに裸足にならず、長靴で歩きにくそうに切株の上をわたって歩いていた。裸足になれ、と何度か言ったのだが、
「ぼくいい」
まあ、強制するほどでもないか、と思ったのでそのままにしたが、父親自ら、裸足になるべきだったかな、とちょっと思い返している。
どろんこ遊び、どろ遊び、汚れる遊び。
これを、今のうちにしておかないと、どこかで取り返そうとするから、やっかいだ。
小学生の中学年くらいまでなら取り返しできそうだが、高学年くらいになってからどろんこ遊びの借金を取り返そうとしても、いびつな形で現われてきてしまうのではないだろうか。
幼児期の「どろんこ遊び」だから、正常なのであって、心が健全に育つのだと思う。
雨の降ったあとの田んぼは、まだ水が少し、残っていた。
大部分は乾いて、ひびのはいった場所もあった。でも、長靴は、ずぶりともぐった。
ここを、3時間ほどかけて、歩き回ったのだ。
足の裏に、土の感触をたっぷりと、味わってくれたに違いない。
むいていただいた柿を食べ、お昼のカレーを食べ、芋を食べ、土でどろんこになり、稲を干した。
たっぷり、という言葉がふさわしい一日。
帰りがけ、おみやげのイモを袋にさげ、川のほとりの林をぬけた。
林をぬけると、風が縦横に抜けて気持ち良かった。
見上げると、熟柿のような色をした夕焼け空。
うしろから歩いてくる友人家族、子どもたち。
その顔までが、淡い橙色に染まっていた。
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