これでよかったか、と思っていることがある。
たとえば、席順。
あるいは、給食のやり方、そうじの当番表。
1学期が終わろうとする今、学級の様々な体制について、ふりかえることがある。
そのときに、自分なりの、考え方の癖があるように思う。
それは、
「どうしたらよいか」
と考える、ということだ。
「こうした方がいいかな。もっと○○のところを変えたら・・・」
現実には、例えば席を決めるにしても、やり方はごまんと有り、組み合わせを考えたらすごい数になろう。
だから、
「こうした方がいいかな」
と考え始めると、次々に組み合わせが思い浮かんでやまない。
結局、考え疲れてしまって、何もしないのだ。
こうしたことが、本当に多いと思う。
教師生活の中で、疲れたなあと思うことがあるが、こうした堂々巡りの思考をすることで疲れている。
この場合、
「どうしたらいいかなあ」
と考え始めたところにおかしさがある。
ふと考えてみると、そもそも、自分の描きの中に、
教室がこうなっているといいな、こうある姿がいいな、実現したいのは、こんな学級だな。
という理想像が描けているかどうか。
これがないのに、だしぬけに、「どうしたらいいか」と事象の操作ばかりやろうとする。
だから、右往左往するのだ。エネルギーを、浪費するのだろう。
「どうしたらいいか」
ではなく、
「どうあるのがよいか、どうある姿が本当か」
を考えなければならない。
これは、何回でも考えなくてはならない。
自分の中に確たるものが浮かんでくるまで。
一度、こうだと思ったとしても、次の理想がすぐに浮かんでくるのであれば、前のはホンモノではなかったことになる。
そうして、やはりこうだ、こうあるのがいい、となったら、やり直す。
やり直しは、最低限、となるのが、理想だ。
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