プールを掃除する。
4年生と3年生で、プール槽の外、つまりプールサイドや更衣室やくつ箱、を清掃することになっていた。
3年生の先生と打ち合わせをして、先に4年生がやることになった。
その後の残り、やりきれなかった分を、3年生がする、というのだ。
4年生70人。
それが、思い切り仕事をして、
「やった!」
となるには、と考えた。
とにかく、中途半端で終わりたくない。
役に立った、というヨロコビを味あわせてやりたい。
いつもの簡単清掃ではない。
いわば、非日常のそうじ。美化作業。イベントだ。
掃除まつり、だ。
掃除の内容と、道具をできるだけたくさん集めた。
ほうき。ちりとり、箕、石を拾う缶。ぞうきん。
それらを豊富に用意して、
やりきったヨロコビ、充実感、達成感を味わう。
やってみると、やはりその意気が伝わるのか、子どもたちもどんどん動く。
つるくさを引っ張ったり、排水溝に挑戦したり、なかなかすごい。
本来、子どもはやる気にみちている、のだ。
めんどうくさい、というよりも、おもしろいこと(=みんなでやるとすごくきれいになること)・・・が起きるのでは、という興味の方が勝っているのかな。
4年生がそれなりにがんばって、3年生にバトンタッチした。
しかし、まだやりきれていないところがある。
プールサイドの四隅も、わずかに土が残っているし、排水溝も若干つまり気味だ。
下駄箱だって、数が多すぎて、まだきちんと拭けていないし・・・
3年生が、時間になって現れた。
まだ十分ではないけれど、あとはおまかせします、よろしく。と言って引き上げる。
その後、3年生の先生に尋ねてみると・・・
「いやあ、すごいきれいだったんで、プールの中のおたまじゃくしとか、見てました。すぐ終わっちゃって・・・そうですねえ、15分くらいで帰っちゃいました」
とのこと。
このとき、とっさに出てきたのは、しまった、という感情。
○3年生に仕事を残しておくべきだった。
○もう少し、区分をはっきりさせておくべきだった。
3年生だって、仕事を思い切りやる、ということを楽しみたかったかもしれない。
元気な男の子たちが、
「先生!こんなに拾った!」
といって、石拾いの缶を差し出すシーンが4年生にはあったが、3年にはそれがなかったのではないか。
「すみませんでした」
というと、
「いえいえ、こちらこそ、4年生にずいぶんやっていただいてすみませんでした」
という。
まあ、それはそうなのだが、やはり、こちらが謝るべきだろう、と考える。
なぜなら、プール掃除=こなさなければならない仕事、というだけではないからだ。
それは、子どもたちの楽しみであり、成長のチャンスであり、味わいの対象である。
ほとんど、4年生だけが、味わってしまった。
考えてみると、こういった「仕事」ということが、学校にはもっとたくさん必要な気がする。
その代わり、親の楽しみが先にあるPTA行事や、○○小まつり、朝の全校集会や音楽朝会、そういった行事の類はほとんど、不要だ、という気がする。子どもが、つまらなそうな顔をしているから、同情する。
もっと、ホントは、子どもは、エネルギーがあるよ。
「○○小まつり」、より、「プール掃除」の方が、よっぽど真剣で、いい顔してたな。
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