だんだん、図工の授業がいちばんむずかしい、と思うようになった。

図工で、子どもたちを満足させられる、ということは、相当な力がある証拠なのではなかろうか。
・・・と、最近、思うようになった。

絵をかかせるにも、筆がすすまない。
色をつくらせるにも、手がうごかない。
まじめで、ふだんがんばれる子が、そんなふうになってしまうのだから、

アレレ

と思う。

ほめる。
ほめちぎる。

それで、うまくいくか。

うまくいくように思うときもある。

実際、それしかない、と思ってもいる。

感動する。
驚嘆の声をあげる。

だいじょうぶ、と低めのトーンで、伝えてあげる。

いいじゃない、と、耳元で言ってあげる。

おお、この色、よくつくったねえ。

ここ、おー、集中した証拠だ!

これは工夫したぞ。

これは、ていねい、だねえ!!

いろいろと言ってみる。

しかし、本当に、はげます、というのか、
いいぞ、いいぞ、ということを、伝えなければならない。


でなければ、すぐに、子どもたちの自信がゆらぎ、
作品が、すーっ、と、音をたてて、しぼんでいく。

あーーーーーーーっ、せっかく・・・

と思うのだが、

彼らの心や気持ちのエネルギーを、ぼんぼんとふくらませるまでに、
いたらないのだ。


国語、算数、理科、社会、そんな教科だったら、ここまで、如実にならない、と思っている。

図工が、きびしい。
子どものエネルギーが、テキメンだ。
テキメンに、作品にあらわれる。


おそろしや、図工。

教師は、図工ができれば、すべてできる、のではあるまいか。

児童が図工で満足すれば・・・、

教師として、かなりの線、いい線をいっている、のではあるまいか。


だから、図工が気になる。今のままでは・・・、と唇を噛む。