少し前のことになるが、モンゴルの音楽グループ、「アジナイホール」を聴きに行った。
昨年度の学年主任の先生が、
「教師は、心のエネルギーが要る。たえず、自分の心に、さまざまな形のエネルギーを貯蓄していくこと。いくら貯めても、貯めすぎることはない。それは必ず、子どもたちにもたらされていくからだ。そして、貯蓄を怠ったときから、カスカスの教育に落ち込んで行く」
ということを、常々、おっしゃっていたからだ。
心のエネルギーを、どんな形でたくわえていくか。
それは、各々のスタイルややり方があるのだろう。
ひとつは、芸術にふれることだ。
そして、人間、大地、自然、というものにふれることだと思う。
今回、馬頭琴やホーミー、モンゴル琴などの演奏を聴き、一体何を、心に涵養できたのだろうか、と考えた。
舞台に目をむけ、生の演奏家の顔や表情、身体、筋肉の動きをみてきた。
呼吸を感じてきた。
メンバーどうしの、息の合わせ方を、感じてきた。
一番前の席で見たのは、そんなことも感じたかったからだ。
大きなホールで、それも巨大な左右のスピーカーで聴くのだから、もっとも音のよい席はおそらく、ホールの中央部分か、それよりももっと後ろの方なのではないか、と思う。
しかし、表情までリアルに感じられるのは、最前席ではないかと思った。
NHKの新シルクロードでは、ユーラシア、大陸、中央アジア、東西文化の交流、というようなイメージがふつふつと湧いてくる音楽が聴けた。
ヨー・ヨー・マの音楽。ふだん聴きなれない音であるからこそ、理解する、というよりも直感的に感じることの多い音楽だと思う。好きだ。
それと同じような感想を抱いた。巨大な草原の風景、馬の走る風景、スーホー、というような単純なイメージではあるけれど、ふだんの日常では見えない景色が、心の中にひろがって感じ取れた。
チュカ、と呼ばれるモンゴル琴の名手。
ものすごい集中力。
若いのに、すごいなあ、とプロ意識を感じた。
馬頭琴の二人もおそらくこの道で精進する、と決めているのだろう、純粋なプロ、という感じ。
なんだか、うらやましくなる。どうして、そういうふうに、自分の「懸けていく道」というものにめぐりあえることができたのだろう、と思う。
モンゴル、という国について、知っていることは少ない。
断片的な知識しかない。
だが、今回、モンゴルの古典楽器や民俗音楽にふれることで、こういう旋律や音楽をつくりだしてきた人々、歴史、というものに、思いをめぐらせることができた。それが、たとえ1時間ほどであったとしても、日常をはなれて、心を遊ばせて見る、ということが、心の涵養になっていくのではないか。
帰りの電車の中で、そんなことを考えながら帰宅した。
20代に農村で出会った友人がいる。
地球環境の保全活動のために、懸命に心を砕いていた友人だ。
その友人のお母様が、ソプラノ歌手として、今回のコンサートにゲスト出演した。
ホールで、旧知の友人に会った。
それも、またうれしい出来事であった。
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