NHKのプロフェッショナル仕事の流儀、という番組で、イチローが出た。
第一線で活躍するプロの仕事に密着するドキュメンタリーだ。

イチローが、試合をするために球場へ向かう。
徐々に、顔つきがけわしくなっていく。
そして、いつも、同じ手順で、身体と道具を用意していく。

毎日、同じ手順だそうだ。
毎日、同じことのくりかえし。

これが、普通の人には、なかなかできない。


以前、若い頃、養鶏をしていた時を思い出した。
餌をやる手順は、すべて、決まっている。
時間も、方向も、身体をひねる向きまで、すべて決まっている。
牡蠣ガラの入った箱をひっくりかえす。
その箱を持ち上げる高さまで、毎日、同じでいく。

鶏のいる部屋に入るときも、右足から入る部屋、左足から入る部屋、すべて決まっている。

同じことのくりかえしだから、鶏にストレスがかからない。
人間が、毎日同じことをするから、鶏が安定している。
同じであることの大事さ、重要さを、わからないながらも、毎日、体感していた。
ちがうことをすると、身体に無理がかかった。
それに、作業に時間がかかった。

一番、シンプルで、無駄の無い動き。それは、毎日、一定で、かわらない。

イチローは、一日二食。昼前に、朝昼兼用のカレーを食べる。
これも、渡米してからの7年間、ずっと変わらないそうだ。
番組の中では、司会の茂木さんも驚いていた。

イチローは、
「同じ栄養バランスで、いつも変わらないものを出してくれる。それが、妻のすごいところです。同じであることに対して、これだけマジメに取り組んでくれている。感心しますよ」
と言っていた。

3学期が始まる。
毎日、同じ時間に起床し、同じ電車にのり、同じように職員室へ行き、教室へ向かう。

教室へ行くまでの、その移動時間が、すべて、その日の授業の為の、準備過程だ。

この準備過程が、無駄の無い、シンプルな、的を得たものになっているか。

朝、家を出るときに、あ、しまった、あれを持っていかなくては、ということのくり返しではいけない。すべて、流れるように、決まった動きがあり、それが子どもたちにとって、満点の授業を生みだす「しかけ」になっていなくてはいけない。

教室のレイアウトを変えた。
それと同時に、自分の家の、小さな個室。ここだって、いわばイチローのロッカールームと、同然だ。精神と肉体を準備する、一番重要な部屋だ。
プロフェッショナルの部屋にしていかなければいけない。

イチローは、これまで身につけてきた技術は無駄かもしれない、と言った。
なぜなら、ストライクゾーンの球を打てたら、ヒットが打てるからだ。ボール球をふらない、ということができれば、これまでのような、ピッチャーの投げる悪球をなんとかヒットにする、そのための技術が不要になる、という。イチローにとって、悪球をふらないことこそが、ヒット量産のための一番重要なポイントなのだ。

教師にとって、ストライクゾーンとはナンだろうか。
無駄なこととは、ナンだろうか。

無駄な叱正。
無駄な決まりやルール。
無駄な取り組み。
無駄な見栄や、プライド。

こうした行為が、見えるようになりたい。