幼い頃から冒険譚が大好きである。

ポプラ社から出ている絵本「ねずみくんのチョッキ」を読んだら、遠い記憶の過去帳がめくられたようで、当時の興奮までリアルによみがえってきた。


私はこの本を幼い頃に読み、ずいぶんハラハラドキドキしたものだ。

内容はたわいもない。

「お母さんがあんでくれたぼくのチョッキ、ぴったり似合うでしょう」
と始まり、ねずみが赤いチョッキを着て得意そうに立っている。
そこへ懇意にしている鵞鳥が訪れて、いいチョッキだから自分にも着させてくれ、といって借りようとする。

ねずみは、うん、と気軽にこたえて貸してやる。


用心深い幼児なら

「ダメだい、これ、せっかくお母さんが編んでくれたんだもの」

などと、シビアな展開を想像しがちではないかと思う。
幼児の私は当時から老人顔負けの用心深さを身につけていたもので、ページをめくりながら、このねずみのお気楽さに目を見張る思いであった。


ねずみはいともやすやすとチョッキを貸してしまう。
ここから悲劇が始まるのである。

物語は進展し、鵞鳥が「ちょっときついが似合うかな」と言いつつ嬉しがっているところへ、今度は猿が現れる。

猿は、「いいチョッキだね、ちょっと着せてよ」とさっきの鵞鳥と同じことを言いつつ、鵞鳥の着ているチョッキの袖を引っ張る。

しかし、これは、鵞鳥のチョッキではない、ねずみの物なのだ。


私は当然、鵞鳥が断るものだとばかり思った。


「ダメだい、これ、ねずみくんのチョッキなんだもの」

などと言い、所有者をはっきりさせるのかと思ったら、驚くべきことにこの鵞鳥は、うん、と気軽に貸してしまうのだった。

私は、あまりのことに驚愕して、ねずみに早く知らせなければ、と焦った。
いつの間にか、チョッキがたらいまわしにされ、他の動物たちのいいように弄ばれているのである。

私が鵞鳥の軽率さに歯ぎしりしながら次のページをめくると、もはや想像の域を越えるがごとき暗黒の展開が始まろうとしていた。

かすかに頭をかすめた嫌な予感はズバリ的中し、猿の次はアシカが、アシカの次はライオンが、という具合にねずみの所有物であるチョッキは、次から次へと第三者の手に渡されていった。
私の心臓は、ページをめくるたびに動揺し、心拍数が増し、指が震えた。

幼い私は、これほど興奮させるストーリーに、それまでめぐりあったことがなかった。
ねずみの赤いチョッキは、ライオンの次のシロウマ、シロウマの次のゾウの手にまで渡っていた。
ゾウの着たチョッキは、みるも無残に伸びてしまい、今にもちぎれんばかりの状況に陥っていた。


ねずみの不幸は火を見るよりも明らかである。


私はこのような状態を、ねずみに悟られてはならない、と思った。あまりにも軽率に鵞鳥にチョッキを貸した、そこにねずみの非はあるものの、すべては善意から起きたことである。こうした事実を知ったら、ねずみはどれほど傷つくことであろう。(つづく)