受験に、小論文がある。
日ごろ、論文のように、論説や理論の有る文章を書く機会は、あまりない。
といって、日記のように、論というのではないが、ストーリーがある文章を書いているわけでもない。
日常書いているのは、週案簿や授業記録メモ、手帳などのメモ類だけだ。
それは、文章ではなく、メモ、つまり、言葉、単語の羅列である。
ふだん、そんな程度の「書きモノ」しかしないで、試験日にいきなり小論文が書けるのだろうか。
そう思って、小論文の勉強をしようと考えた。
一番よいのは、書いて、どなたかに見ていただくことである。
しかし、何を書いていいか分からないのと、だれに頼んでいいか分からないのとで、どんどん時間がすぎる。結局、1年目は、有効な勉強ができなかった。
1年目の反省を元に、2年目は、あれこれ考えた。
つまり、頭の中が、論理的な思考になれていることが必要だ、と考えた。
論旨をつかみ、端的な言葉をさがして、理の通った筋道で、表現すること。
それを段落にわけること。段落を、序論、本論、結論、と分類すること。
そして、テーマ・主題に正対した内容であれば、大方、よいのではないか。
100点満点はとれずとも、合格ラインにいけるのではないか。
そう考えた。
そうなると、受験用の小論文ではなくとも、いつもの学級通信ですでに書いているな、と思った。
学級通信を、たましいをこめて、書く。
学級通信は、学級の子どもに対しての強烈なメッセージである。
生きた、現実の出来事を、そのまま教師の視点でまとめて書く。
子どもへの、「先生からの手紙」として、書いている。
もちろん、親にも見せるように伝えている。
学級での具体的な子どもの様子、立ち居振る舞いをできるだけ率直にあらわし、そこから幾分、抽象的な心の話題にもっていく。最後は、「論」とまではいかないが、先生の言いたいことを明確に出し、できるだけ、子どもが読んで考えていくように仕向ける。
そんな学級通信を出したいと思い、書き続けている。
小論文対策は、(先にも書いたが)合格論文作文集を読んだくらいで、実際に書くことができなかった。
でも、今ふりかえると、学級通信を出していったことが、多少の訓練になっていたかもしれない。
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