以前、福井県の若狭湾海岸で、ロシアの船から重油がもれた事件があった。おびただしい量の重油が流れ、その回収作業がさかんに行なわれた。朝日新聞の記者は、その様子をこう記した。
「重油はまるで、牛の糞のように、岩にべっとりくっついて容易に剥がれない」
これは、牛の糞を知っている者にとっては、すこぶる言い得て妙、ピタリと分かる表現であろう。その色合いも、容易に剥がれない、という感じも、見事に言い表わしていると思う。
牛の糞というのは、粘性のあるものなのだ。うさぎや山羊の糞などとちがって、乾いたり、ころころしたりしていない。だから、牛の糞をスコップですくおうと思うと、ちょっとしたコツがいるくらいだ。ひと息に、サッとすくってしまわないと、たちまちスコップの横からボタッ、と落ちる。また、時間を置いて乾いてしまったりすると、さらに粘着性を増す。
おそらく、岩にこびりついた真っ黒い重油の固まりは、スコップですくっても、たちまちボタッと落ちてしまったにちがいない。これがウサギの糞のように、丸くてころころと転がるようなものであるなら、いっぺんに掃き寄せて、まとめてチリトリで取ることもできたかもしれないが。
この表現は、ある情景を表現するのに、いわば殺し文句のような効果をもっている。「牛の糞」という、きわめて具体的なたとえを使うことで、読者の印象に深く分け入り、その中身を直接実感させる。ここで用いられた言葉は、それだけのパワーを秘めていたはずであった。
はずであった、と書いたのには、わけがある。
実は、この表現は、実際には使われなかったのだ。編集部内で物議をかもし、最終的にはデスクの判断で消去されてしまったらしい。その理由は、「この表現が分かる人が、今の時代、もう少ないのではないか」というものだった。(つづく)
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