私は大学を卒業していなかったので、なにはともあれ、大学を卒業することにした。
ただし、教育実習は受けなくても良い。
受けなくても、卒業に必要な単位数である125単位を取っていた。この4年間の努力がモノをいう。これで、正式に学士として認められ、卒業できるのだ。

問題は、一週間の介護体験実習であった。
一週間、会社を休んで、どこかの施設で実習をしなければならない。

まあ、でもこれは大丈夫だろう。会社をクビにはされまい。
さすがに一ヶ月はクビだが、一週間ならまだ大丈夫だ。
事前準備で、今の後輩に徹底的に仕込んでおく。
それが来春、辞めるときの布石にもなるだろう、と思った。

ちょっと離れてはいるが、デイケアサービスを行う施設に一週間通った。

一週間、介護体験ができたのは収穫だった。
見知らぬお爺さん、お婆さんとカラオケ。
お風呂から上がったら、ドライヤーで髪をとかしてあげる。
お茶や紅茶、コーヒーを用意して、お運びする。まるで喫茶店のマスターだ。

朝、エプロンをつけて、喫茶店をはじめる。次に、ゲームの相手。体操のお兄さん、風呂屋の三助・・・。
ころころと、さまざまに役どころを変えて、まさに「何でも屋」といった感じ。座るヒマのない一週間。お役に立つ、の一心でやりとげて、いい気持ちだった。

最後に、施設の公印をもらった。
これが、介護体験実習の証明になる。この証明書と必要単位の修得証明書、および卒業証明書を持参すると、一種の免許を取得できるわけだ。

おまけに、卒業に関してちょっとおめでたいことがあった。なんと、首席卒業だったのだ。

卒業式の一週間前に、大学から電話がかかってきた。

「卒業式なんですが、シュセキでした」

これが、早口だったせいもあって、こっちは誤解した。つまり、

「卒業式なんですが、シュッセキでしたか」
という、疑問文だと思った。
出席するかどうかの確認かと思い、
「ハイ」
というと、担当者はあいまいな笑い方をした。
それで、こっちもつられて笑うと、電話は切れた。

ところが卒業式に出向くと、私の席は一番前の一番左端。
さらに、担当者が私にだけ、
「賞状を入れてください」
と言いつつ、手提げ袋を渡してくれる。なんでかな、と思っていると、隣に座っていた人があんたは首席ですよ、というようなことを言うので驚いた。(なるほど、ここまで勉強すると首席になるんだな、と新しい発見をした気分だった。)

卒業式では、最初に前に呼ばれ、首席賞という特別な賞状と記念品をもらった。記念品はSEIKOの腕時計だった。

さて、免許を取得できたので、いよいよ次のステップへ行くことにした。
つまり、講師登録である。
会社を辞めて、現場で働くのだ。いよいよ!!

しかし、不安はあった。
登録をしても、かならず雇用されるか、分からないのだ。
電話で教育委員会に問い合わせをすると、
「必ず勤務できるとは決まっていませんので、ご了承ください」
とクギをさされた。このとき、今の職場を辞めていなくてよかった、と改めて感慨にふけった。

3月になって、残念ですが空きがないので、また今度・・と言われたとき、ショックを受けずにすむ。ちゃんと働く場があるからだ。一定の収入があることも心強い。仮に辞めていた場合、嫁と子を養いつつ、アルバイト代だけでしのぐのはつらかろう。

ともかくも、教育委員会で面接をして、登録をした。
晴れ晴れと教諭免状を持参した。つい先日入手できた、あの、「二種の教諭免状」である。
このときほど嬉しかったことはない。
ついに新しい世界の扉が開いた、という気分だった。

面接をしていただいた方は、これまでの道のりを様々に質問された。
そのまま正直にお答えした。

今でも振り返ると、自分であれこれと計画して進めてきたことが実を結んだことが嬉しく思う。
次の年から、近所の小学校で講師をできることになった。
嫁さんと抱き合って喜んだ。

(つづく)