30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。

2025年07月

教室にぬいぐるみがあるかどうか

教室にぬいぐるみを置いています。
教室にぬいぐるみを置いていていいのかどうか?
コレ、ずっと実は悩んでるんですよ。

ほんとにこんなの置いていいのってね。
教室はロンパールームじゃないんだから!
・・・と、いつか、誰かの保護者に言われないかな!ってね。不安なんですよ。

実はこれ私の恩師の真似なんです。
私の小学校4年生の時の担任の先生。ずっと教室にくまのぬいぐるみがありました。そしてそれがなぜか多くの子供たちの心の拠り所だったんですよ。
何かあると熊に話しかけたりしてね。
誰かの誕生日になると、そのクマがちゃんと祝ってくれたり。先生の声でしたけどね。


でも、多分これ保護者には受けが悪いです。教室にそんなもの置いといていいわけがないと多くの保護者が思っていると思います。
子供の気持ちが、たるむんじゃないかと言うことで。

くまなんかと遊んでないで、さっさと算数をやるべきだ!

と、誰かのおじいちゃんに怒られそうな気がしています。

私はこれを文科省に手紙を出して、ぬいぐるみ教育はやって良いかどうか聞こうと思ったんですが、正式にダメですって言われたらやめなきゃいけないので手紙を出すのはやめました。

このぬいぐるみの導入には3時間かけてます。
単発で、ぬいぐるみがあるわけではなく、マインドフルネスと言う長い授業プランの中の1つの材料として存在しているのですね。最終的には、自分自身をマネージメントしていくと言う大きな総合発表につながると言う気の長いプランです。これをしないといわゆるキャリアパスポートも書けないですからね。

キャリアパスポートを本気でやろうと思うと、自己マネジメントと言う世界に踏み込まざるを得ず、そのためにぬいぐるみがその最初の段階で必要となるわけです。まぁ、ライナスの毛布、ということです。自分のことをじっと見つめる時に、ライナスは毛布を必要とするのですが、それを日本の小学生だって必要とするわけです。

今度の学習指導要領の改定に見られるように、子供自身が自分の学びを形成していくと言う流れは、この私の提唱する「自己マネジメントぬいぐるみ教育」を推進するものなので、私は非常に安心をしました。

そのうちに、発表する機会もあろうかと思いますが、実は前からこのブログにおいて、かなりその実態について詳細に書いてきました。
ただ、系統的になってないんです。このブログは、その日、その日思いついたことを書いただけなので。

自己マネジメントぬいぐるみ教育と言うのは何者か・・・!

また夏休み位にまとめてみたいと思います。

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ヒトラーの「わが闘争」の論理的破綻

私のブログを読んだ方が、我が闘争の論理的破綻ってなんですか?
と、質問してこられたので。

というか、質問してきた人は、とっても身近な人なのですが。

ヒトラーは、我が闘争で、なぜユダヤ人を差別すべきかについて書いております。


ヒトラーは『我が闘争』の中で、アーリア人とユダヤ人の結婚を避けるべきだと強く主張していますが、その説明は「論理的」というよりは、彼の人種主義的なイデオロギーに基づくものです。彼は科学的な根拠や客観的なデータを用いて説明するのではなく、感情的な訴え、疑似科学的な主張、そして歴史的な誤解を交えながら、ユダヤ人をドイツ社会にとっての脅威として描き出しました。

具体的には、彼は以下のような主張を展開しました。

 * アーリア人の人種的純粋性の維持

ヒトラーは、アーリア人が文化創造の担い手であり、人類の進歩の原動力であると信じていました。彼は、アーリア人の「高貴な」特質が、他民族、特に彼が「劣等」と見なしたユダヤ人との混血によって「汚染」されることを恐れました。彼は、人種の混淆が最終的にはアーリア人の文化的・精神的衰退につながると主張しました。

 * ユダヤ人の「劣等性」と「寄生性」

ヒトラーは、ユダヤ人を特定の国家や文化を持たない「寄生的な」民族であり、他国の文化や経済を蝕む存在だと描写しました。彼は、ユダヤ人がドイツ社会に溶け込もうとしているのは、ドイツ民族の「純粋性」を内部から破壊し、最終的にドイツを支配するための陰謀であると主張しました。この「寄生性」という概念は、彼がユダヤ人を社会にとっての「病原菌」や「癌」のように見なしていたことを示しています。

 * 遺伝の法則の誤用

ヒトラーは、ダーウィンの進化論やメンデルの遺伝学を都合よく解釈し、人種間の遺伝的差異が不可逆的であると主張しました。彼は、ユダヤ人との混血は、ユダヤ人の「負の遺伝的特質」がアーリア人に引き継がれることになり、それが子孫に悪影響を及ぼすと説きました。しかし、これは当時の遺伝学の理解を恣意的に歪めたものであり、科学的な根拠はありません。

 * 歴史の歪曲と陰謀論

ヒトラーは、歴史上の様々な出来事を、ユダヤ人が裏で操り、アーリア人(ドイツ人)を弱体化させようとしているという陰謀論の文脈で解釈しました。彼は、ユダヤ人がボルシェビズムや資本主義といった異なるイデオロギーを巧みに利用し、ドイツ国民を分断し、自らの支配を確立しようとしていると主張しました。


要するに、ヒトラーのユダヤ人とアーリア人の結婚を禁じる理由は、科学的な論理に基づいたものではなく、彼が抱いていた人種的な偏見、憎悪、そして妄想的な陰謀論に根ざしたものでした。

彼は、ユダヤ人を「悪」の根源と位置づけ、彼らとの接触、特に結婚がアーリア人の「純粋性」とドイツ国家の「健全性」を脅かすものだと扇動的に説いたのです。

こうしたこともそろそろ令和の子供たちは勉強すべきかもしれませんね。
何故かと言うと、そろそろヒトラーの反省を口にする人たちが少なくなってきており、実際に政治が人を殺すということについて、真剣に考える人たちが減ってきた時代だからです。

参議院選挙が近づきましたが、立候補者のスピーチを文字起こしして検証すべきだと思います。扇動的で人々の感情を熱狂的にさせるスピーチであればあるほど強く疑ってかかるべきだと思います。

それよりも、事務的で論理的で、どのような政治的プロセスを経て、法の改正を行ったり、必要な行政を進めていくか、淡々と面白みもなく、語る候補者の方が、何倍もマシだと思います。

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ノストラダムスの大予言と7月5日

朝、教室に行くと子どもが日本が滅亡すると騒いでいた。
最初は冗談かと思っていたが、何人かはかなり本気にしているようで、私に訴えてきた。
私が、

「あ、そうなの!へえ」

という、いつものお決まりの返事しかしないので、その子たちは苛立っているようだった。

「滅亡しちゃうんだよ!なんでそんなに平気なの!」

そのトーンと言い方が、

「もう学校行く時間だよ!なんでそんなにゆっくりしてんの!」

というママの言い方そっくりだなあ、子どもは親をよく見てるなぁ、と思ったので、ソレが表情に出てしまった。

「あー!先生笑ってる!ひどい!」

・・・ということで、私も今回の7月5日大予言騒ぎに、どうやら巻き込まれてしまったらしい。

昭和の時代をくぐり抜けてきた我々50代は、ノストラダムスの大予言やらオウム真理教やら口裂け女等を乗り越えてきている。

大人になって

「ああ、あれは金儲けだったのだな」

とみる視点が加わることで、一気に現実世界が覚めて見えてきてしまった経験を持っている。
不安を煽り→ものを買わせる。
これは、ほとんど商売の基本中の基本で鉄則でありましょう。もちろんやり方の汚なさにはレベルがありますが、ほとんどの広告には、そういった「脅し」が紛れ込んでいる。

ある彗星が地球に近づくと、その彗星によるガスの影響で地球の大気が汚染され、一時的に空気が吸えなくなるらしい。そのためにゴムのチューブを買い求める必要がある。いよいよとなったら、そのゴムのチューブを口に加えて、ゆっくり息をしながら彗星が過ぎ去るのを待つべきだ。

この話は有名です。気になる方は『空気のなくなる日』(岩倉政治・著)を参照してください。1910年にハレー彗星が地球に近づくことがわかり、デマが流れました。当時の騒ぎを実際に映画にしたものもありますね。
私はこの話を教材にして、人はなぜ騙されるのかを学習すべきだと思いますナ。

そして、大体騙すのは、論文で勝負するような本当のアカデミックな人たちではなくて、ちょっと賢いふりをした大人であることも、子どもたちは知るべきです。
ちゃんとした知識は、文字にしてきちんと検証を入れながら読解すべきで、安易な動画で学ぶものではないと言うことも。

大体、騙す人は、身振り手振りを大きくしながら、大声で早口で喋ります。
ヒトラーがそうでした。ヒトラーは、わが闘争を書きましたが、文章にした途端に、論理のほころびがあっという間に見えたので、それこそ信者たちも驚いたと言うエピソードがあります。
知識と言うのは、文字にした途端にはっきりしてくる。騙そう騙そうとする人の、電話口での早口を全て文字起こししてみると、ツッコミどころ満載なのがばれてしまいます。それに気づかれまいと、早口になってしまうのです。

私がそんなことをつらつら考えていると、7月5日に地球が滅亡すると言う噂を唱える子供たちが、二重にも三重にも私を取り囲みました。

多くの小学校の教員が、多分私と同じように、この7月5日のちょっとへんてこな予言をどう解釈するべきか悩んでいたと思います。もちろん3秒でそんなのは虚言だと断じることもできるのですが、私はどうも頼りなくていけません。

私は、
「ねえ!滅亡するよ!先生どうすんの?!」
と口々に言う子どもたちに対して、以下のように返答しました。

「えー、滅亡すんの?やだなあ(棒読み)」
「先生、来週、ひまわりの長さ測るって言ってたでしよ?どのくらい伸びたか気になってたから、あれを調べないで、死ぬのやだなあ(棒読み)」
「そういえば火曜日はプールだったよね、暑い日になりそうだからプール入りたかったんだけど」

そのうちに、子どもたちの質問はやみまして、

「先生、しゅんくんのひまわり、もう先生の背の高さより高くなったよ」
「火曜日のプールって、2組と合同なの?佐久間先生、また平泳ぎで泳ぐ?」

という質問に変わってきたので、ホッとしました。

全国の先生方、あなたはどのように今回の騒ぎに対応しましたか?
コメント欄で教えてね!

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