30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。

2025年06月

学校は時代遅れ

学校に届くクレームの中には、
「学校は時代遅れでアップデートできていない」というのが多いです。

私はクレームと言う言い方は、あまり好きではない。その意見の中には、学校を、より良くしたいんだ。もっとみんなで幸せになりたいと言う根本の思いがあるはずです。

昔のことを否定するのは、案外と気持ちが良かったりします。
これは「逆張りの快感」とも通じる。
論破王とネット界隈で一時期もてはやされたことのあるひろゆき氏が、いよいよ逆張りをしよう、というときにうっすらと笑みを浮かべるのは、この「逆張りの快感」が働いているのでしょう。
これは100人以上人々が集まる集会場で、たった1人で逆張りをするときに、異常な位アドレナリンが出てくるのと同じ原理です。
つまり、昔から大切にされてきた習慣や、常識と呼ばれるものに対して、「実は違うんだ」と、コペルニクス的新発想を持ち込むのは、脳内物質の中にアドレナリンやドーパミンが大量に溢れる行為だと言うことです。まるでプロレスのリングにアントニオ猪木が颯爽と現れ、気分を盛り立てるバックミュージックと観客の大歓声の中で、大きな咆哮を響かせるのと同じだと思います。

なんせ、昔からあったものと言うのは、以前の世代の人たちがそれを大多数認め推進してきたということですから。

「実は太陽が動いてたんじゃなくて、僕たち地球の方が太陽の周りを回ってたんですよ」

とっくの昔のギリシャ人たちは知っていたけど、いつの間にか忘れ去られていた事実を再度このように蒸し返したとき、コペルニクスの脳内にも、とんでもない量のアドレナリンが分泌されたと思います。

学校に寄せられるこうしたコペルニクス的クレームのうちの1つが、

・和式トイレはもう古いから改築せよ

ですね。
実際にほとんど使われていませんから。お金があれば解決します。

さらに、槍玉に挙げられるのが、
・体育館の肋木(ろくぼく)

です。
この不思議な体操用具は、肌触りの良い木の棒がたくさん体育館の壁に沿って並べられているので、よく子どもがよじ登って遊んでいます。
これは、利権がらみでも何でもなく、スウェーデン体操と言う身体発達のための優れた運動用具でありまして、うまく使えば体のほとんどの筋肉を発達させることができます。ただそれをする時間は今の学校には残されていません。それをする時間は皆無だけど、一応道具だけ残ってますと言うのが、学校には割と多いです。私はこの話を聞いて癪に触ったので、体育館に行くとよくこれを使って子どもと遊んでいます。体育の授業の最初の5分とかで。

・黒板はもう古い、電子黒板でデータを残すべき

電子黒板って字が汚くなるんですよね。チョークだとあんなにきれいに書けるのに・・・。そう思っている先生たちが多いような気がします。でもこれもちょっとずつ変わっていってるように思います。

・プールはもう古い。

確かに、プールは命がけの授業で、今の若い先生たちは、プールの授業なんてできたらしたくないと思っていると思います。実際に教師志望でしたが諦めましたと言う若者の中に、もし自分がプールの授業中に子どもを死なせてしまったら取り返しがつかないと語った大学生がいました。教師にならなかった理由は、それだけ、彼はプールの不安だけが理由で教師になるのをやめたのです。


・防犯体制が古い

これもよく聞きますね。
狂った人間が刃物を持って入ってきたらどうするんだと。先生たちがうちの子を守ってくれるのかと。
これについては、教室に【さすまた】があります。
お金があれば解決できるのかなあ?
そうとも思えないですね。究極の対応としたら、時間がかかるけど、世の中の人々がみんな幸せになるしかないかな。

特に食べるのに困るとか、仕事に充実感がないとか、多くの人が幸せだと感じる要素をつぶしてしまうと、自殺率が増えたり、狂ったり自暴自棄になる人が増える気がします。社会全体のシステムの問題ですね。

・PTA活動のあり方

これはもう今、現在進行形で劇的に変わりつつあります。やりたい人が自分で手を挙げてできることだけをやっていこうとする現実的な路線に転換してます。いくら良いことでも、多くの人がそれによって苦しむのであればやらない方がマシということがたくさんあることがわかります。

・掃除のやり方が古い

つまり、電気を使え、ということです。電気掃除機でいいじゃないか、モップでいいじゃないか、なぜ雑巾がけなどさせるのだと言うことのようです。特におうちの方が日本出身でない保護者の場合、なんで子どもにこんな屈辱的なことをさせるのかとお怒りであると聞きました。つまり祖国では掃除と言うのは、身分の低い人がやることのようだったようです。

・宿題が古い

みんなが同じようなプリントを一斉にするというのが、一人ひとりの子どもにマッチしていないのではないかと感じる保護者がいるようです。

さて、クレームを列挙してきました。
いかがでしたか?
私は、どの意見を聞いても、なるほど、どれも一理はあるのだなぁと思えてなりません。やはりコペルニクス的発想と言うのは聞いていても気持ちが良いですね。歴史に対して人類に対して逆張りをしている、このことの【快感】は計り知れません。

こんな話を、とある先生たちとしていたら、かなり盛り上がりました。そこにいた5人の先生のうち、4人の先生は、大賛成。
いや、そりゃそうだよ。そのクレームは正しい。確かにその発想はなかったナ・・・。これまで間違っていたよね。もう今の時代にマッチしていないよ、学校は古いからね、もう古い事はやめなきゃいけないよ、と賛同していたのです。

ところが、たった1人、私と仲の良い若い男性の先生が、不気味に笑ってこういったのですヨ。

「いや、本当にそうなのかなぁ。そう思い込まされているだけかもしれないよ?」

それから、こうも言いました。

「あのう、それって、エビデンスがあるんすか?」

と、言ったのです!


私はそれを聞いて、まさかのアドレナリンが爆発しそうになりました。

な、なんと!
逆張りの逆張り!

これはさらなる過剰なエンドルフィン、アドレナリン、ドーパミンの分泌をもたらします。
逆張りの→逆張りの→逆張りの→逆張りの→・・・と、つづけば続くほど・・・

逆張りが、つながればつながるほど、アドレナリンやドーパミンの量は指数関数的に増えるようです。

・和式のトイレには、実は多数のメリットが存在する
・昔ながらの黒板には、電子黒板にはないメリットが存在する
・肋木は上手に使えば、子どもの身体的機能も超絶高める
・プールの授業は、子供たちの特権であり、最高のリラックスタイム

たったひとつ、その若い先生が、やはりこれは正解だ、と言ったものがありました。それがPTA活動の運営の仕方が改善されたと言う点です。

「やりたい気持ちの人がやりたいと言う気持ちで、やれる時間に集まって、やれることだけを現実的に運営できる方法で支障なく進めていく」

まぁおそらくこれが最も人間的な行為なんでしょうね。持続可能と言う4文字を大事にする、今の時代感に、「やりたい人がやろうとする気持ちでやれるだけやってみる」という考えはマッチしていると思います。




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ミトコンドリアについて

賢い友人のKさんが、

「結局ミトコンドリアだよね」

と話したことがきっかけで、ちょっとミトコンドリアについて調べる気になった。

以下は、Kさんに色々と教えてもらったのを忘れないうちにアウトプットしておくための記事です。

ミトコンドリアは、人体の中でエネルギーを生成する大きな働きを持っていて、それも持続性のある強く、大きな力を生み出している。
人間の体には生まれつき備わっているから、生涯にわたって力を発揮している存在。どちらかと言うと、特に若い時よりも中年以降に大きな力を発揮する。

このミトコンドリアは、うまく働くのに必要な条件がある。それは、酸素がたくさん供給されていて、かつ体温がしっかりと高く維持されている、という点だ。
体がよく冷えるタイプの人だったり、呼吸の浅い人は、このミトコンドリアの機能があまり発揮されていない。

さて、人間には、エネルギーを生み出す、もう一つのシステムがあり、それがいわゆる代謝と呼ばれる働きで、特に糖の分解によって小さくとも瞬発的な力が素早く生成される、

この糖分解・代謝によるエネルギーの生成システムは【解糖系】と呼ばれ、どちらかと言うと細胞分裂を促す際に多く使われる。つまり生まれてから猛烈に働いて20歳ごろまで体をとにかく作り上げるのに、大変重要な働きをする。

もちろん、糖の代謝は、生涯通じて行われる。人体の中では、小さく素早くくるくる回るような歯車であり、新しい細胞の生成だけではなく、後述するミトコンドリアのエネルギー源にもなる。

糖の代謝が小さな歯車で、高速回転するのに引き換えると、ミトコンドリアによるエネルギー、生成は、人体の中でも特に大きな歯車で、ゆっくり確実に回転し、長く長く働き続けるイメージだ。これはサイボー分裂を行うためではないから、人間の体を向上的に整えつつ、長く持続的に働かせるための大切なシステムだと言える。

特に50代以降だと、ミトコンドリアの活躍がとても重要な要素になってくるから、人間は特に自分の体内に潜むミトコンドリアたちを元気に賢く強く保護し育てていかなければならない。
そう、自分の体内にミトコンドリアと言う小さなスーパーマンをたくさん飼っていると言うイメージが近いかもしれない。このスーパーマンたちを活躍させるには、冷え性は大敵、体を温めることと、酸素呼吸をしっかりすると言う、この2点が重要になる。

逆に解糖系はミトコンドリアとは逆で、低体温、夜睡眠してる間にうまく働く。体温がそれほど高くなく(低く)、また酸素はそれほど必要としない。つまり睡眠時間に最も良く、細胞分裂を行う。これが身長を伸ばそうとする子どもたちに睡眠が必要なわけ。

ミトコンドリアについては、NHKの監修した、サイエンスZERO、という番組が詳しい。かなり詳しくミトコンドリアが人体でどのように働くのかを解説する番組がある。

私が今、非常に興味深く思っているのは、あたかもミトコンドリアには意思があるようにさえ思えることだ。
私と言う意識が生きているのか、それともミトコンドリアに意識があって、私の意識はそのミトコンドリアから思考内容を規定されて動いているだけなのかとすら思う。

もしかしたらミトコンドリアが私と言う主体性のある意識の本当の本当の正体なのかもしれない。

ちなみに、ミトコンドリアは、ミドリムシとは違うから気をつけてください。
私の嫁様は、私がミトコンドリアと口走った瞬間に、あぁ、あの光合成もできるけど、自分でも動くって言うよくわかんないやつでしょう。植物なのか動物なのかよくわかんないやつ、と言った。
それは、ミドリムシである。

ミトコンドリアは、体の中の「ちっちゃな工場」みたいなものです。

わたしたちの体は、食べ物からエネルギーをもらって動いていますよね。でも、食べたものはそのままでは使えません。

そこで活やくするのが、ミトコンドリア!


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🔧ミトコンドリアのしごと

  1. 食べ物の中の栄養をエネルギーにかえる
     → ごはんやパンをたべたら、それを体が使える力(エネルギー)に変えてくれます。

  2. 体を動かしたり、あたためたりするための力をつくる
     → たとえば、走ったり、考えたり、体温を保つのにもミトコンドリアの力が必要なんです。


🏭どこにあるの?

ミトコンドリアは、体の中のほとんどの細胞(さいぼう)の中にあります。細胞っていうのは、体を作っているとっても小さな部品のこと。ミトコンドリアは、その中にたくさんあるんですな。


実は、「糖を分解すること」と「ミトコンドリア」は、どちらもエネルギーを作るために必要な大事なステップなんです。それぞれの役わりを、わかりやすく説明しますね。


🍬【ステップ1】まずは糖(グルコース)を分解!

わたしたちがごはんやパンを食べると、体の中で「糖(グルコース)」になります。
この糖は、まず細胞の中(ミトコンドリアの外)で「分解」されて、小さなエネルギー(ATPという力のもと)を少しだけ作ります。
これを「解糖系(かいとうけい)」といいます。

🔹これはミトコンドリアを使わない段階です。
でも、これだけでは少しのエネルギーしか作れません。


🔥【ステップ2】ミトコンドリアで本気のエネルギー作り!

糖が分解されたあと、その材料がミトコンドリアに運ばれます。
ミトコンドリアの中では、それを使ってもっとたくさんのエネルギー(ATP)を作るのです。

これを「クエン酸回路」や「電子伝達系」といいますが、簡単に言うと:

🔹本当のパワー工場はミトコンドリア!


🧠たとえでまとめると…

  • 糖を分解するのは、「エネルギーの材料を作る工場」

  • ミトコンドリアは、「その材料を使って、本気のエネルギーをたくさん作る工場」

つまり、「糖の分解」も「ミトコンドリア」も、どちらもエネルギーを作る仲間です!
でも、一番多くのエネルギーを作っているのはミトコンドリアなんですよ😊


私はこれから酸素をしっかりと取り込める体に改造していくため、呼吸のトレーニングをしなければならない。


腹式呼吸をたくさんトレーニングして、横隔膜をもっと自由にのびのびと動かすために、クラリネットでも習おうか知らん。しかしこんな中年が今から楽器なんて始めたら、それこそ


パッケラマオ♪ パッケラマオ♪ パオパオパ!


だろうなぁ・・・


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困るんですけど!

自治会の集会に出ていたときのこと。
日曜日の夜の集会で、私は自治会の1つの役回りを担って役員をしていたので、その場にいました。

すると、会計のことで少し決まっていないところがあり、ルールをしっかり決めないといけないと言う話が出ました。

私はあぁそれならルールを決めたらいいんだなと言う程度にしか聞いていなかったんですが、少しテンションの上がったその人は、割と、はっきりと強い口調で「困るんですけど!」・・・と言ったのです。

その方は、その会計の細かな点について、はっきりと詳細を知らされていない。なので、私は困ると言いました。
全体のことを進めている委員長さんが、では、そこは今回はもう締め切りが過ぎていて、その活動自体が終わっているので、次の役員さん達に伝えておきますねと言いました。

私はそれで済むかと思ったんですが、その方は

「いやそれだと困るんですけど」

と再び言いました。
もし、新しい役員さんが、そのことをちゃんと理解していなくて、自分が疑われたらたまったものではない、と。

委員長さんは、大人の対応。
恵比寿さんのような柔和な笑顔で、

「わかりました。ご心配なんですね。大丈夫です。私がしっかりと伝えておきますから大丈夫ですよ。」

と、繰り返しました。

私が印象に残ったのは、それでもその方が、

「でも」

と、続けたことです。

「それでも、もし、その方がきちんと理解できなくて、私がしっかりやってないってなったら、どうするんですか?それだと困るんですけど!」

委員長さんの柔和な笑顔が少しずつこわばっていくのがわかりました。
それでも委員長さんは、やはり70年を生きた人生のベテランだったので、やはり仏さんのような笑顔で

「わかりました。心配なんですね。大丈夫ですよ。分りました。大丈夫です。もしそれでも何か疑われるようなことを言われたんだったらすぐに私に連絡してください。私がきっちり説明しましょう」

と、話を締めにかかりました。

私は連日の学校行事の準備などで疲れ果てていたために、ほとんど眠りそうだったのですが、実際のところほとんど眠りかけていたのですが、しっかりと目が覚めたのは次の言葉でした。

「いや、でも、疑われたらどうするんですか?困るんですけど!」

私は、困るんですけど、の中身ってなんだろうなぁと、とても哲学的に考え始めました。

困るって、一体なんだろうなぁ?

もし私が委員長さんの立場だったら、なんと返すだろうなぁ、と。

もし私が委員長さんの立場だったら、きっとこういうに違いありません。

ああ、そうですか。

と。

困るんですけど、という人に対して、申し訳ありませんが、私が出せる回答はたった一つしかありません。

ああ、そうなんですか。

私はそこで思考停止して、きっと穴の開くほど、その人の顔を見るしかありません。きっとその人の顔を見て凝視して、空中のただの一点を見つめるように、その人の顔を見て、ああ、そんなんですね、と言うだけです。たぶん。

たとえあなたが困っても、他のみんなは誰も困らないし、何の問題もないので、あなたも困らなくてもいいんじゃないですかね。別に困る事は何一つないので。

・・・という感じで。

それに比べて、委員長さんのなんと対応の素晴らしいこと。
人は70年生きていると、こういう対応ができるようになるのです。

委員長さんは立ち上がって、大きな身振り手振りを示しながら、もう本当に仏様と恵比寿様と大黒様が生まれたての赤ちゃんを抱くように、柔和な笑顔をさらに柔らかくした感じで、

「だあいじょうぶ、だあいじょうぶ、ちゃんと、ちゃーんと、私の方で、私の方で、私の方で、大丈夫です。大丈夫です、ちゃんと伝えますからね。心配されなくても大丈夫ですよ。決してあなたを責める事はありません」

と言いました。

すると、驚くべきことにその方は黙って座りました。

私はそれを見て、最後の言葉が効いたナ、と思いました。

あなたを責めません。

人はこれを言って欲しいのですね。
要するに、彼女は、誰かに責められることが不安だったんですよ。
誰もあなたを責めないよって言って欲しかったんですね。
大変に勉強になりました。

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気になる子ども

この記事は、3年以上前に書いた記事の原稿ですが、非常に具体的な事例なので、身近に気にされる方がいると困ると思い、あえて公表を避けてきました。

既に3年以上が経過し、既にその子は小学校を卒業、また私も勤務校が変わったために、長いこと下書き状態であったこの記事を改めて書き直し、新たに編集し直し、初めてアップすることにしました。


では、ここで言う気になる子とは?

実は、その該当児童は、「被害を訴える」ことにたけていたのです。

気になる点は、そのことだけです。
本当にとても良い子で、クラスのために何度も活躍したし、勉強も頑張るし、とても素直な良い子でした。友達もたくさんいて、その子が笑うとみんなもつられて笑うようなコミニケーション能力も高い子でした。

そんな子だったから、あえて気になったことなのかもしれませんが・・・

さて、その子は、被害を、オーバーに脚色してしまうのです。
例えば、

肩を触られた→ 叩かれた
ここに置かないでと言われた→なんでここに置くんだ!馬鹿野郎!と怒鳴られた
椅子の背をトントンとした→椅子の背を思いっきり引っ張られた

と言うふうに、他に言いふらしてしまうのです。
実際に私が見て、これは違うよな、何とかして被害を大きくして言おうとしているんだな、と全てを目の当たりにして思ったことが「何度も」ありました。

ここで私が問いたいのは、
その子がそのように被害を受けた、あるいは被害を大きくして言わなければならなくなる、そういう精神状態に追い詰められているのであれば、なぜそのように追い詰められているのか、という点。

友達とその直前まで仲良くしていたはずなのに、特に何かその子を怒らせるような要素が他にあるわけでもなさそうなのに、誰もその子を責めてはいないのに・・・。

それにもかかわらず、他の子を徹底的に責めようとする。
あるいは自分が被害者だ被害を受けたのだと言うことを切に訴えようとする。

これは、何だろうか?
と、当時、強く思いました。

そして、これは、防衛反応だろうなと直感しました。
責められ責められ、謝罪を要求され、これまでの人生のどこかで否定を受けてきたためでしょう。

誰もクラスの友達でその子自身を非難したり、蔑んだり、恥ずかしめを受けさせたり、責めたりする子どもなんていないのです。
それでも、そのように、振る舞わざるを得ない、彼の心の状態。

彼の人生の中で学んできたことの大きさを思います。

自分が被害者であり、決して自分は加害者ではないと、周囲に常に申し開きしなければならないと言う状態。
自分はシロです、というか、自分は被害を受けた側の被害者です!と、叫んで回らないと、自分の身に何か良くないことが起こると言う予感です。

この子の心が癒され安らぎ。安定してくるために、どんな関わり方をしていけば良いのかな、と考えました。

1番は、彼が【自分が被害者である】と叫ばないでも、周囲から決して責められないと言う安心感です。
2番目に、誰もあなたを責めてないよと言うメッセージを明確にすることです。
3番目は、あなたが被害者だから救うのではないよと言うことです。被害を受けていなくても加害者だとか被害者だとか、そういうお互いの関係以外のところでも十分にあなたの希望には協力するよと言う姿勢を示すこと。人間関係はもっと豊かで、単純な加害者と被害者、どちらかに偏ると言うものではないのです。
4番目は、実際にあなたの希望を教えてね。ぜひ協力させてねと言うことを常に常に伝え続けることです。

具体的には
「僕は、◯◯してほしいです」
「僕は、さっき、◯◯して欲しかったです」
と言う言い方で、あなたの気持ちを教えてね、と言い続けるようにしました。

別に、あなたがかわいそうな身の上で、かわいそうな被害を受けたから、保護するのではなく、あなたがどんな状態であれ、常にあなたを応援するのが周囲の大人ですよと伝えるのです、

あなたは何がして欲しいの?と、とにかくその子に聞いていくのです。
そしてきっちり言わせます。
日本語としてきっちり言わせていきます。
話型を、確実にその子にインプットさせるのです。「〇〇してほしい」

そして、それが言えたら褒めます。
はっきり教えてくれてありがとう。これで協力しやすくなったよ、と。

「ぼく、〇〇して欲しい」
が、使える子供に育つと、どんどんと子育ては優しくなります。簡単になります。僕は被害者なんだ!と言うことを言わなくても協力してくれる。そんな大人が周囲にいることがはっきりとわかるからですね。

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友だちを強く注意する、と言う問題

世の中から、パワハラ問題がなくならない。これは人々の意識の中に「〇〇しなければならない」と言う意識が濃厚なためで、なかなかそう簡単にはなくならない。

怒鳴りつける上司の方にも言い分があり、そうは言ったって得意先のあることだからそうは言ったって締め切りがあるのだからそうは言ったって。さらに上の上司から叱られるのだからそうは言ったって・・・、という部長なら、部長の課長なら課長の言い分があるのです。

そこで、脅し暴力と言うものが使われるようになります。安易に相手がひるみ恐れ言うことを聞き従うからです。
この方法は、あまりにも安易で簡単で、シンプルで効き目が強いために多くの人がこれに頼るようになります。しかし、長い目で見れば、組織は徐々に弱体化し、その組織はそれを続けている限り、長続きはせず、良い人材は離れ、求人にしても、人は集まらなくなり、噂が噂を呼んで、退職者が増え、組織は成り立たなくなっていくのです。

従って、本当の会社の存続を願う社長は、パワハラをする中間管理職の方をやめさせるか、その行動や意識を全て是正していかなければならないのです。

さて、小学校の教室にも、中間管理職が現れます。いわゆる、「学級の中間管理職問題」です。

これは先生のように教師のように強く何々してはいけません。何々しているのはダメだと思いますと言うふうに、同じ子供を、学級の友達を、非難し、なじるということです。

これを放置しておくと、学級が荒れて行きます。問題が地下に潜り込んで、教師の目に見えにくくなることもあります。表面上はおとなしくても、早くこのクラスが終わるといいなと子供たちが考えるようになるのです。

子供が子供に注意するのをそのまま放置しておく事は私は基本的にはありません。注意ではなく、きちんと言葉を使って、「◯◯してほしいです。△△だと⬜︎⬜︎になるので、それよりももっとこうして欲しいです」と言うように、指導します。

あるいは、「◯◯だと嫌な気持ちになってしまうので、そのことをわかって欲しいです」という言い方も教えます。

わかって欲しい、という言い方は、なかなか子どもはしませんね。知りません。

でも、言い方を教えると、便利に使うようになります。

◯◯してほしかった、と過去形で言う言い方も教えます。

これも、ずいぶん使うようになります。
つまり、こっちの心情を慮ってほしかった、というのを、言えるようにするわけ。

これが言えるようになった子で、すぐに手が出たり足が出たりする子が、暴力に依存しなくなったケースは山ほどあります。

◯◯するのは悪いのでダメ!
なんでそんなことするの!
△△しなきゃダメでしょ!

・・・という言い方を覚えた子は、その言い方に依存しているだけなので、依存しなくても良いんだよ。別の言い方があるよと伝えることで、中間管理職を辞めるようになっていくわけです。

これは権力の味と言うものを教えることにもつながっていきます。権力者の言うことだから従わなければならない、権力者の言うことに従わなければひどい目に遭う、権力者の言うことに従わなければ、このグループからつまはじきにされる・・・
いつの間にか、こんな間違った概念が、子供たちに浸透しているのです。
権力者などどこにもいないと言うことを、子供には骨の髄から教えていく必要があります。

「あー!いけないんだ!悪いことしてる!!〜しちゃいけないって校長先生が言ってたんだよ!」
「他の子もみんな、そう言ってたよ!なんでしないの?!」

こんな言い回しをしている子供を見つけたら、教師は本当に気をつけなければいけません。それはパワハラを教えることになり、差別主義を教えることになるからです。ファシズムやレイシズムにもつながる、危険思想です。

小学校の教員は、中間管理職を見つけたら、よほど気をつけなければならないのです。よっぽど気を入れて慎重に慎重に考えなければいけません。権力を笠にきた言葉を使うことで、相手を意のままに操作しようと言う子供を1人でも生み出してはならないのです。

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