30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2024年04月

ちっとも進まないが腹をくくった件

学級開きをして、ついに新学期がはじまった。

今年のわたしの目標は、子ども主体、ということ。
これまでは、子ども主体といいながらも、教師の都合、大人の都合で教育課程を終わらせることを優先していた。


しかし もう この年になり 教員 人生として後半に入って、終わりが見えてきてしまうと 心境が変わってきた。
周囲から多少の文句 や 意見を言われようとも 目の前の子供に対して直接責任を負う気持ちで指導してみたい。

こういうことを書くと
「直接責任を負うとはなにごとか。すべて国の定めに従うのが公務員だろ」
とお叱りを受けそうだ。

しかし、目の前の子供達が最も力をつける 国力をつけるということに 誠心誠意 従うのが本当の教員の勤めだろうと思うようにもなってきた。

これが真の愛国ということではなかろうか。

そこで もう この教室は自分のものではない いわゆる大人として保護者としての観点で 監督はさせてもらうが この教室自体 あるいはこの活動の場所 活動の内容については当事者である子供たちが決めて行くのが最もいいだろうと考えることにした

このことに 春休み中に思い至ったため 私はすっかり楽な気持ちになった

一番楽だと感じたのは教室の春休み中の整備である

毎年 私は春休みになると 教室を最大に カスタマイズして1年のスタートを子供たちが楽しみにできるようにと 自分の時間を全て投げ打つ覚悟で微細に念を入れて掃除をし 新しい 鉛筆削りを備えるばかりか、忘れた子用の鉛筆やノートをたくさん仕入れてレイアウトを試行錯誤し、もうほとんど 自分の時間は 0に近かった

しかし今年はそんなことを一切しなかったのですな

一応 片付けができている程度の教室でスタートしたのであります

おかげで、家族との時間が少しばかりは取れたのは、僥倖と言えましょう。

何という楽なことだろうかと 教員 人生 20年目を迎える 私は 本当に楽な気持ちになりました

私は子供たちに挨拶する際
開口一番 さあ どんなクラスにする?
と聞いた

オルガンの置く場所はどこにしよう?

子供たちは最初何がを聞かれたのかわかっていませんでしたナ

子供たちは最初は面食らったが自分たちが決めていいのだとわかると途端に意見を言い出した

結局 去年と同じような場所に決まったのだが その場所を決めるためになんと1時間以上 時間を使った

この話を同僚の先生にすると呆れたような驚くような声を出した

私は同じように 電子黒板の位置も子供に決めさせた

これも議論が分かれたが子供達は最終的に 窓側の斬新な場所をえらびました

ちょっと私からしたらやりにくい場所なのですが、やってやれないことはない

席順も最初からどうするか 子供達に考えてもらいました

席替えとなると、目の色を変えるのが小学生と言う生き物。
てんやわんや、声の大きなこの意見が通り そうだったのですが
私はそれは許しませんでした

チャンスですから、次のセリフを言いました。

本当に思ったことを言わないとあなたのクラスにはならないよ

実はこのセリフを言いたくてこの時間を仕組んだのでありました


あなたの意見を出すのだ
あなたが本当に思ってる 意見を出すのだ
あなたの心の中にある本当の気持ちをみんなに言うことで 初めてこのクラスは あなたのものになるのだ
遠慮 というのは決して誰の得にもならない

これでほぼ最初の2、3日を使ってしまったために、すでに他のクラスと国語も 算数も2時間分以上の差が開いてしまった

私はほんの少し やばいと思った

しかし私は得るものは得たと思う

事あるごとに 私はその後、何度も同じことを繰り返して言うのです

本当に思ってることを言えてるかな これがいいという気持ちがちゃんと言えてるかな 本当はこうしたいって言えると気持ちが良いよね

また それを聞いている子たちに対しても友達が本当に思ってることを言ってくれると同じ意見の人は一緒だって楽しくなるよね
もし違う意見が出たとしても あそんな考え もあったんだと思ってそれも嬉しいよね
もっともっと考えようね

ということを何度言っても子供たちが納得した表情を浮かべ続けるのである

この 浮かべ続けるというところが 私としては今の日本にとても大切なことではないかと思っている

それにしてもあぁ自分は歳をとったなと思います
国語も算数もかなり遅れております
でも、何故か平気なんです
平気なのは本当は問題です

でも平気であります
要するに、人生ってこうしなければならないと言うのは本当にないのですね
自分が直接に素責任を負うと言うふうに決めたら、もうなんだっていいのです

それでうまくいけばいいし、うまく行かなくても全く良いのです

風邪は引いてもいいし、ひかなくても良い
引いたら引いたで、風邪を引けば良いのです
直接に責任を負うのは、私なのですから

そして、責められたら、攻められたで人から責められれば良いのです
責められたらおしまいだと言う考えが、若い頃は私にも多少ありましたが、実際には責められたら攻められたで、それは全くと言って良いほど素晴らしいことなのです

というわけで、私は至極泰然とした気持ちでスタートしました
国語も算数も遅れていましたが、もう取り返して追いついてしまいましたゼ。


写真は藤の花です
私の剪定の下手さには定評があるのですが、いかに剪定が下手でも、木は枯れませんでした
そして、枯れたら枯れたで良いのです。そして、泣くのが人生。


災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候


上記は良寛のことばです。
災難に逢うときは災難に遭い、死ぬときには死ぬしかない。私たちがどんなに手を尽くしてもそれは変えられません。だとしたら、それらを受け入れて生きるしかない。どんなに不運が続き、大災害に逢おうとも、それは紛れもない命の現実の姿でしかない。

「人として生まれたからには生老病死からは逃れることはできず、あるがままを受け入れ、その時自分ができることを一生懸命やるしかない」


ここまで思い切るには時間は必要。

災難に逢うときには、災難に逢うしかない。「遭う」ではなく、「逢う」と書いているのは、なぜか。

『遭う』とは、嫌な事柄に偶然に出会ってしまうことに対し、『逢う』とは、親しい人にめぐりあったときに使う言葉。

災難に逢う、と書いた良寛。良寛はこれを書いたときが17歳。相当な生きるうえでの覚悟があったと思われる。
しかし、まぁ、藤も本当によく咲いてくれました。

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結局、天職についての問題 3

当時の私には、すべてが学びの対象と感じられていました。若い人はたいがい、そうでしょう。

やってみてわかったことは、私は業務の成績を上げるというよりも、この仕事が人間にとって、あるいは若者にとって、どのような意味があるのかを文章にしたり、かんがえたりすることのほうが面白いと思ったことです。これは、私の適性の発見につながりました。

その後、今度は転職して野菜の小売業を行いました。
これもまた、学校の勉強のような感覚で仕事を行いました。実地演習のような雰囲気です。

トラックを運転し、家をまわり、ご家庭の玄関先で野菜を売るのです。大阪はすみずみまで回りました。おかげで大きな道路を覚えたばかりか、どんな場所に、土地に、どんな人々が暮らしていて、昼間暇そうにしている人もいれば、忙しそうな人もいるし、経済的にもさまざまなレベルで人は暮らしているということが分かりました。また、非常にたくさんの奥様方とお話をするのは、面白いばかりか、なるほどと思うことも多く、勉強になりました。

当時の私は仕事も頑張っていたのですが、こういった仕事は非常に大切だけど、自分はどちらかというとこのことで儲けようという気分はどうしても湧いてこないな、と感じておりました。
当時の自分のモチベーションは、何だったのだろう、と振り返ってみると、

ここから何を学んだか

を、文章にしたり人に話したり、その仕事から社会経済の仕組みや人の集団の変化を考える、ということのほうが結局は大きな関心事だということがわかったのです。車を運転しながら、アレコレとメモをしたり、考えたりしてましたね。

とうとう腰を痛めてこの仕事に見切りをつけたのですが、また転職しました。
今度はインターネット関連の仕事や、新聞を作る仕事を行いました。私としては、これは非常に面白みがありました。徐々に、自分のモチベーションが強まっているのを感じました。インターネットの仕事は、情報の伝達、ということにつながります。わたしはその部分でも興味が強く、人と人がどう情報の伝達を行うのか、その社会的な意味はなにか、と考えてばかりいました。新聞づくりはもう面白くて仕方がありませんでした。文章を書くのは、自分にとって中毒のようなものでしたから。

途中で、面白そうなJAXAの相模原キャンパスに常駐する、情報セキュリティ担当の仕事をしましたが、これもまた渋くて粋な仕事でした。

そこまで進むと、もう28歳になっておりましたので、ここらであれこれと考えた結果、要するにわたしの興味関心は、どうしても社会科学的な分野になってくるのがわかりました。
残りの人生は、そこに深くリンクする仕事でありたい。社会論を考え続けたい、人間にとって有効な社会システムを、ずっと人と話しながら考え続けたい。

このモチベーションは、どうにも下がらないことが、これまでの経緯で自分にわかっていました。

で、再び転職して、選んだのが教師という仕事です。

毎日、学級という人間社会がどう動くのか、何が有効なのか、システムとして大事なのはなにか、人と人とが話し合うためにはなにがポイントになってくるのか。お互いがわかりあうために必要な手段とはなにか。

考え続けるのが面白くて仕方がありません。

でも、この教師という仕事にたどりつくためには、30歳までの10年間が必要でした。
このくらいは必要でしょう。20歳ですぐにたどりつかなくてもいいのではないでしょうか。
もちろん、最初からほぼ自分の計画が立てられていて、同じ分野を少しづつ耕していける人もいます。そういうことが可能な人は、とても幸運だと思いますね。

まあしかし、時間をかけてゆっくり見つけることもできる、ということです。
むしろ、多くの人にとっては、最初からそのくらいの計画でいる方が無理がないような気もします。大事なのは、20代は、観察しつづける、まなびつづける、ということではないでしょうか。

自分が関心をもっているのはなにか、と。

決めつけないで、早わかりしないで。
できるだけ、ちょこちょこと、多方面に興味を向けて、味見をしつづけることです。そして、ワンランク難しいことに挑戦してみると、面白さが見えてくる。少しだけ頑張りながら、変化を感じ取りつつ、自分の中に一貫してつづくもの、モチベーションが下がらない対象を見つける。

わたしはどちらかというと、常識的なものはつまらない、という妙な思い込みを持っていますから、同じことをしゅくしゅくとつづけるのは得意ではありませんでした。
嫁様はまったく逆で、新しいことはしんどいので、同じことを続けていくことこそが幸福だと断言しています。それもまた、正しいのです。

自分のタイプを見極めて、モチベーションができるだけ持続しやすそうな、興味対象を発見すること。

そして、そこに関連する業務・仕事を見つけられたなら、幸福度は高くなると思います。

がんばれ!息子!

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結局、天職についての問題 2

さて、息子の進路について考える、のつづきです。

私自身は、落語家になるより以前に、もっと大事にしたいことがあるならば、それを優先したほうがいい。そうでなければその大事なことは、二度とできないだろうから(人生の後半ではやり直しができないこともある)、と考えました。 とくに、人生に大きな賭けがあるとしたら、若いときにその大きな賭けをした方が良い。小さな賭けはしなくてもいいが、大きな賭けは、賭けた場合と賭けなかった場合とで、死ぬ直前での後悔の度合いがちがうだろうと思ったのです。

そこで、落語家になるよりも、さらに大きく賭けたいこと、こだわりたいことはなんだろうかと、かなり考えることになりました。

落語家に決めたと、仕事をピンポイントで決めたり、【お笑い関連】のように業種をしぼったりするよりも、その前が大事ということです。
そうでなく、もっと自分の幸福に直結するような、大きなことから埋めていこうというわけです。
小さなもので袋を一杯にすると、もうその袋には大きなものは入りませんからね。先に、大きなものを考えるのです。
いま振り返ってみると、こんなふうな思考のおかげで、コレ、と限定しないで考え続けられるようになったのかなと思います。

大事なのは、好きを仕事にするのは危険だということです。
好きが必ずしも強みとリンクしているわけではないことと、向いているかどうかと相関していない場合もあるからです。また、好きだと長時間取り組むことが平気な代わりに、やりがいを搾取されてしまい、これもまた望む幸福が得られるとは限りません。
いったい、幸福とは何でしょうか?
ますます悩むことになりました。

18歳の当時、わたしが結論を出したのは、

「こんなに迷うということは、自分はあまりにも世間を知らなさ過ぎるからだろう。世の中の端っこの方、隅っこの方を、しっかりもっと見て学んだほうがいい。テレビやマスコミや本で紹介されているだけでは、世界はわからない」

ということでした。

そこで、青年海外協力隊になろうとしましたが、当時、手紙をやり取りしていた同級生の話を聞いて、挫けてしまいました。

同級生だった田平という友達が国連の仕事をし、東ティモールで初めての国政選挙を行いましたが、金持ちが人々をすぐに二束三文で買収したそうです。金で票を集めておりまして、かえってマフィアのような人物が公認で政治を行うために治安が悪くなったことを嘆いておりました。そうならないように心血を注いだのに、挫折をしてしまい、気の毒にも人間不信で世の中を呪っておりましたが、まあそんなこともあるのですね。

私は結局、1年後には牛舎で牛にミルクをやる仕事に就いたのですが、これは愉快でした。わたしが世の中をよく知るには、農業という仕事はかなり有効だったのです。ミルクを手にしたり、肉を手にしたりするためには、こういった作業が、世話が、仕事が、必要である、ということを認識するのは、社会の成り立ちを理解するには非常に勉強になりました。
(つづく)

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結局、天職についての問題 1

息子が大学生になり、1年間が過ぎまして・・・。
将来のことで、本当にたまに話をすることがあります。
未来の計画は自由なので、その自由さにめまいがするほどですね。

生涯において自分がどのような時間を過ごすのか、自由であります。
人生は限られた時間ですが、どのように使うのも自由。
人間とはすばらしいですな。

ところが、あまりにも選択肢が多すぎると、ひとはあまり、幸福とは思えなくなるそうですね。アメリカの心理学の研究で、データがあるようです。
みなさんは、どう感じますか?



わたしは15歳のころから、この「何をして過ごすのか問題」というのに関心をもちまして、この問題の解決方法を探り始めました。

死ぬときに、後悔したくない、というのが一番だが、そのためには自分の設計に心の底から納得していなければならない。

ではどうするか。

わたしが15,6際の頃は、日本がバブルの頂点にあったときで、世の中が浮かれておりました。
今のように手堅く貯金の計画をしたり、収入と消費のバランスを取って人生設計を行うような雰囲気ではなく、生きている残りの時間をどうやって過ごすか、ともかくありとあらゆる選択肢がある、という状況。

高校の友達も、日本はつまらんからオーストラリアに行ってくる、とか、でかいイベントをしたいとか、政治家になって世の中を変えていく夢を語ったり、ビル・ゲイツに会うツアーに参加しようとしたり、多少若さゆえの狂気じみたニュアンスはありましたが、本当に自由な発想があったのです。

わたしは落語家になろうとしていましたが、

好きなことを職業にするかどうか

このことで非常に悩みましたね。
(こういう人は多いと思われます)

結局、落語家にはならなかったわけですが、そのときに思ったことは、
1)好きなことが必ず得意な訳では無い
2)好きなことでなくても、のちのち得意になっていくことがある(まだ未発見)
3)やりたい!と思うことは細かいレベルではすごく流動的
ということでした。

具体的には、以下のようなことがあると、幸福になるはずが、そうでもなかった、ということになりかねません。

罠1:好きを仕事にする→それが本当に得意で世の人に需要があるかどうかは別問題。
罠2:給料の高さに釣られる→本人が向いてなくて無駄な努力を強いられるかも。
罠3:仕事のラクさで選ぶ→自分を生かせないという不満が静かにたまりそう。
罠4:業界や業種を絞る→意外とそれとは異なる業種こそ天職の可能性も。
罠5:適正や強みを生かす→周囲を見ると上には上がいるために報われないと思うかも。
罠6:自分の直感を信じる→脳内情報にバイアスがかかっていて、あてにならないことも。
罠7:性格テストを気にする→性格はコロコロ変わるのであてにならない。

こんなことを言い出すとキリがありませんが・・・


ただ、したいこと、というのはなかなか容易には見つかりません。
なんとなくやってみたいかも、というのもたくさんありすぎて、迷いはどんどん深まります。
結局、いちばん有効な視点は何かというと、つまるところ、

モチベーションが持続する

というのが大事だと思ったのでした。

ちょうどその頃、持続可能な社会、ということも言われ始めており、ブラジルで気候サミットが開催されたりもしていましたね。(COP3)

持続可能なモチベーション。
はたして、それは・・・。

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林家木久扇さんの卒業と持ち味の話

テレビでお馴染みの笑点の話題。
55年という長きにわたり、座布団メンバーとして活躍してきた林家木久扇師匠が、この3月で卒業だそうだ。

大喜利でとぼけたことを言う木久扇さん。ほとんどの人は、テレビの笑点での師匠の姿しか知らないのではないでしょうか。でも、そうではありません。木久扇師匠は、とてもクレバーな噺家です。

片岡千恵蔵のものまねが爆笑を呼ぶ昭和演芸についての噺はとても流暢で、組み立ても良く計算されていて、爆笑に継ぐ爆笑。観客はすっかり良い心持ちになってしまうのでありました。

私は木久蔵さんの高座を見てからと言うもの、テレビの笑点での木久扇さんの振る舞いは、全て演技なのだと思うようになりました。まぁ、当たり前っちゃ当たり前ですが。

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それにしても、身の上話で1時間近くも観客を釘付けにする話術の持ち主です。感服しないわけにはいきません。
振り返れば、最も長く笑点のメンバーをやり続けることのできた人です。

長くやり続けることの秘訣は何か、と問われたら、木久扇さんは何というでしょうね。これは、私が想像するだけのことではありますが、きっと、こう、おっしゃるんじゃないでしょうかネ。

「頑張らないことですかね。私は、笑点は努力しないでも、つとまった。私はそれが許されたんですね。みなさんから。たまたまそういう仕事に巡り会えたと言うだけでしょうけど」

というようなことを言うのではないか、と。

努力しないでも、天性の自分の持ち味と才能が、とことん生かされていくような場所、舞台。
そういうものに巡り会えた人は、本当に長く続けられるし、幸せでいられるに違いない。

考えてみれば、タモリさんも努力という言葉が嫌いだそうですし、さんまさんも、努力はしたことが無いそうです。
人はみんな、彼らを見ていて、絶対にそんな事は無いだろうと思うのですが、本人たちは、自分の持ち味が発揮されるような場所を探して、探して変遷していくうちに、周りが自分を生かしてくれたと言うようなことを言っています。

それが努力なのだと言えば、言えそうですが、要するに、歯を食いしばって苦手を懸命に克服すると言うようなストーリーとは、どうやら無縁だったみたいですね。

ちなみに、イチローは、小学校時代の自分は努力していたが、中学からは努力しなくても打てていたし守れていたので、「研究」をしていたと言葉を変えています。



世の中の人の大半はどうなのでしょう。

私の勝手な想像ですが、世の半分以上の人は、もともと持っている自分の天性や持ち味で生きている、というよりも、精一杯の努力をして苦手を克服し、技術やスキルを身に付けて仕事をしていることが多いのではないかと思う。
で、改めて、それは非常に尊い立派なことだと思います。

しかし、できることなら、その子の持っている持ち味を、楽に生かせる(活かせる)道があるのなら、そのほうが良いと考えます。


子どもたちを見ていても、この子がどうしてもサッカーをやらなければいけない理由は無いだろうと思う場合もあるし、もっと違う持ち味があるだろうと思えるような子が、一切他のことをしないで、公文に通ったりピアノを習ったりして忙しくしている場合もある。

公文もピアノも、それ自体はものすごく他のことにも作用するし、有益なものだろうと思うが、どうしてもそれでなければならないから、本人の意を屈して苦手克服の努力をしなければならないと言うものではないと思う。

木久扇さんを見ていると、下手な努力で自分を消耗させないでも、楽に楽しく天性の素質や持ち味を生かすことで、どんどんとその力を発揮できることが、やはり幸福の道だと思える。そういう場との遭遇、それこそが大事なのではないかと思うが、未だ、社会には万人がそういう道を進むようには出来ていない。

もしかしたら就職の仕方とか、金を稼ぐとかの概念が変化して、10年後とかにはこういう社会のシステムが改良されているかもしれない。

まあ、世の中とは、変わるものですから。

良い方へと・・・変えていきたいですね。

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