30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2024年03月

PTA懇談会の速記録 その3

(つづきから)

でも、考えてみたら、先生が、子どもの世話を焼く、というのは、本来当たり前のことですね。

ところが、実際にはそうでない。
案外と、子どもが精神的には大人よりも上で、大人の心情を推しはかって、あるいは心配して(笑)・・・

子どもが大人の世話をしてる、面倒を見てる、ってこと、よくあるんですよね。

どのくらいの割合だと思います?

これ、ちょっと、みなさんの意見を聞いてみようかなあ。
挙手でお願いしますね(笑)。

大人が子どもの世話をするが9。子どもが大人の世話をするが1、と、このくらいの人? つまり9対1で、まだ大人が子どもの世話をしてるんだ、という・・・。

ああ、意外とこれ、みなさんそんくらい。まあまあいらっしゃいますね。

8:2は?
2くらいは、子どもが大人の心配をして、忖度してるのでは、という・・・、あ、このくらいかな。

では、半分。5:5くらいだと思われる方。

エーッ!
おお・・・!意外に多いですね!もっと少ないかと思いましたが。意外。

いや、逆に、子どもってのは大人の機嫌を見てるもんだ、気にして暮らしてるんだ、と、その割合の方がひょっとしたら多い、と思われる方?

ああ、少し!
あ、でも、いらっしゃいますね。
あ、そうですか、お子さん、忖度してる!?(笑)

ありがとうございました。
うーん、なるほどですね。
親が子どもの世話をするのか、それとも子どもが大人の世話をしているのか・・・。

だんだんと、わからなくなってまいりましたね。(笑)

さて、謎が深まってきたところで、お時間がまいりました。(笑)

でも、いかがですかね。
今日、お家にお帰りになったら、ぜひちょっと気にしてみるのも、いいかもしれないです。あ、今、どっちかなあ、って。(笑)
忖度された?今! 母の機嫌を損ねないように、って。あら、今、私、お世話されたかしらって。(笑)

どっちもある、ってことですよね。私たちは、いつも、いつの間にか、大人が子どもの世話をするんだ、一方通行なんだ、と思って暮らしがちです。
でも、実際は両方向ですよね。

あ、このままいったら、先生、困るよね、とか。これだとスムーズじゃないよな、とか。コレすると大人が大変だから、今はこうしとこう、とか。子どもたちは、すごく考えて、日々、生活してます。目線は完全に、教師よりも上、でございます。

彼らは、決して立ち位置を上下で考えてはいません。もし、上下で考えたとしたら、それは大人がそうさせたんでしょう。俺が上だ、と、何かそうさせるものが、子どもにそう思わせるようなことが、あったんでしょうね。
先に生まれたから上とか、違うわけです。子どもに教わることは、多いですよ。仲直りのスピードでしたら、多くの大人が、子どもに負けます。大人の方が面倒で、妙にこだわってます。子どもに見習うことは、すごくたくさんあります。

いつも思うんですが、総理大臣でさえ、私は子どもからいろいろと教われば良いと思いますね。人として、どう生きるべきか。彼らの、友達を守ろうとする気持ちとか、かばうスピードとか、学ぶべきですよ。
まあ、裏金問題では、身内だろうが仲間だろうが、そんなのはかばって欲しくないですが。(笑)

以上です。
最後まで、本当に、ありがとうございました。
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PTA懇談会の速記録 その2

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(その1 より つづき)

この本には、子どもをよく見ろ、とあります。
とくに先生になりたての若い先生は、子どもをよく見ていない。そのことが指摘してあります。書いているのはもちろんベテランの先生です。

「子どもをみなさい」

そして、宿題を出しているかどうかというのは決して見過ごしてはいけない。
一度でもスルーしてしまえば、出さなくてもよいと思わせてしまう。だから、とくに最初の1週間は目を皿のようにして、子どもを観なさい、と。

よくあるのは、先生のこんなセリフです。

「全員出しましたか?まだ出していない子はいませんか?いや、まだ出していない人が2人いる!」(笑)


まあ、こういうことを繰り返していると、子どもは宿題を出すようになります。なぜかというと、面倒だからです。宿題をやるのが面倒なんじゃない。それ以上に、宿題を出さないと、先生のこういう調査とか指摘する作業に、毎日のように付き合わなければならない。それが面倒なんです。

「出さないと先生うるさいからなー」

これ、長谷川さんをみる、山之内君の目線とかぶりません?

「一緒にサウナに入ってあげないと、長谷川さんうるさいからなー」

ほら、長谷川さん、出てきた。(笑)

学校で、アルミ缶を集めています。リサイクル活動というやつ。これ、妙なことにクラスで目標を立てるんですよ。今月いくつ集めるかって。不思議だと思いません?だって、アルミ缶を買うのは、小学生のやることじゃないですよ。それぞれの家庭で、暮らしの中から少しずつ出てきたのを集めて、まあリサイクルしてみましょうか、というのが実際だと思うのですけど。

でも、これを目標を立てて、学校全体で集めよう、ということをする。児童会の活動なんです。アルミ缶回収を、環境委員会とか、清掃委員会とかがやるんですよ。各学校で。
すると、目標の数に到達しない。みんな、クラスで目標を立てていますから。1学期で200個とか。すると、アメとムチの論理でやろう、ということが出てきます。必ずといっていいくらい。

どうするかというと、まずはたくさんもってきたクラスを、給食の時間に校内放送で発表します。栄誉をたたえるわけです。5年2組は、今月、300個もってきてくれました。ありがとうございます。とか。
すると、クラスによってはプレッシャーを感じて、帰りの会とかで子どもがやるようになります。
「今週、アルミ缶をもってこなかった人は立ってください。金曜日までに必ずひとり3個持ってくるようにしてください」
で、立った子が悲痛な顔で、「すみません。必ず持ってきます」とか。

給食残飯グランプリ、というのもありました。
給食でおかずとかご飯が残ります。すると、その残滓の量をはかるんです。またお昼の放送です。
「今月、いちばん残滓の少なかったクラスは、6年1組でした!おめでとうございます!」
これ、賞品がつくんですよ。専科の担任の先生の分とか、デザートのヨーグルトとか、たまに残るんです。それが、6年1組に配られるの。逆に、残滓の多いクラスも発表されます。すると、つらいですよ。罰はないです。ただ、もっと減らすようにしましょう、と言われるだけ。でも、なんだかさらし者にでもなったみたいで、いやなものですよ。

ほら、ここにも、アメとムチの論理、生きてるでしょう?

根深いのです。ずっと学校で、子どもと先生と、ち密に組み立ててしっかりと強固なシステムとして、日本の誇る『しつけの文化・教育文化』として、会社でも商店でも学校でも、ありとあらゆる場所で育んで大切にしてきた制度であり、文化なんです。アメとムチ、これは本当に根深いと思います。

アメとムチで、経営をしていると、子どもたちはどうしても、山之内君の視点で動くようになります。
〇〇しないと、先生が気の毒だ。〇〇していかないと、先生が困る。〇〇していかないと、学校全体として、なんかまずいみたい。
まあ、仕方がないから、このシステムにつきあってあげるか、ということになります。本当はまったく意味が分からんけど、という。
これ、子どもが先生や学校の世話をする、という姿勢です。


山之内君がヤクザの世話をするのは、変じゃないか、と思いますか?
同様に、子どもが大人や先生の世話を焼くというのは、変だと思います?

どうでしょうね。

 自分は、回り道をして学校の教師になりましたので、大学の教育学部を出たわけでもなく、教育実習も受けていません。だから、たぶん、わたしは、教育のことがよく分かっていないんだと思います。教員になってそろそろ20年ですが、ちっとも分かりません。

23

PTA懇談会の速記録 その1

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~文字起こし~

今日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。 

 え、いきなりですが、ヤクザさんの話から始めたいと思います。(保護者の皆さん笑)

小学生の頃のことです。
わたし、当時5年生だったと思います。

ヤクザに会うのですよ。銭湯で。
うち、家に風呂があったのですけど、近所に山之内くんという子がいまして。彼の家はお風呂が壊れて、しばらくの間、銭湯に通ってた。一人で通ってたんですけど、つまらないので、友達のわたしを誘うようになりました。
私も家で風呂に入るのはつまらないし、山之内君と遊べるので、喜んでいっしょに行ってました。母親は金がかかる、とこぼしていましたが。

山之内くんがお風呂で恐れていることが一つありました。近所のヤクザに会うのですよ。背中に、でかい鯉の彫物がありました。
で、そのヤクザは、私たちを見つけると、
「よし、今日はおれがお前たちを鍛えてやる」
とか言って、サウナ室へ入れ、とか、指示するわけです。
我々はなんでか知らないけど、お付き合いしなければならない。

サウナに付き合い、その後は風呂の中に何秒沈んでいられるか、というやつ。
ヤクザはやらないんですよ。わたしと山之内くんだけにやらせるの。
たまに、近所の小学生とかが運悪く加わることがありましたが、山之内君とわたしは彼にとっても気に入られまして、よくその根性を叩き直す、という訓練をやらされました。

山之内君はそれでもその時間に風呂に入らなければならない。
ヤクザがいない日は、ラッキーです。笑って、本当にのんびりすごしました。
ですが、ヤクザがいると、もう仕方なく付き合うわけです。もうサンダルまで覚えていて、銭湯の玄関に入るとすぐそのサンダルを探す。サンダルがあると、
「あ~、いるわ」
ざんねん、という感じ。

でも、我々も鬼じゃないですから、そのヤクザにつきあってあげました。いいヤクザなんです。サウナとかに付き合うと、風呂上がりにコーヒー牛乳をおごってくれるんですよ。山之内君が「フルーツ牛乳がいい!」と言っても、「男だろ!」と言って叱られて、いつもコーヒー牛乳でした。

そのヤクザさん、本名が長谷川さんっていうんですが、長谷川さんはあまり金持ちじゃない。そして、いつも暇そうにしてました。たまに近所のスーパーとかで出会ったりすると、「おう!」とか、にこにこして手を振ってくれたりしました。スーパーでかまぼこを買うところを見たことがあります。でも、見ると、かまぼことネギとか、本当に少ししか買ってない。あんだけでいいのかな、と不安に思ったことを覚えています。

たまに学校で、山之内君とわたしとで、長谷川さんの話をすることがありました。長谷川さんに付き合うのは、イヤでしたけど、あの人もさびしい人だから、俺たちがつきあってあげるしかないよな、というような、話をしたことがあります。ませた小学生だと思いますけど、実は子どもって良く見ていて、けっこう大人の機嫌や、大人の立ち位置なんかを気にして、気を遣うようなことって、案外とあったのかもしれないな、と思います。

で、話は変わります。
ここまでが、伏線。あとで、長谷川さんが出てきますから。忘れないでね。(笑)

あの、学級経営って、いうでしょう?
学校の先生たちって、けっこう勉強家がそろっています。そりゃそうですよね、中学高校大学と、ぜんぶまじめにやってきたような人が、先生になるんでしょうから。学校がきらいな人って、先生っていう職業は選ばないだろう、と思うんですよ。だから、職員室で見回すと、たいていは本当に真面目で、コツコツと仕事をする。残業なんて普通なこと。月に百二十時間くらい残業する人もたっくさんいます。まじめなんですよ。

そのまじめな先生たちが、よく購読している雑誌が、これ、です。
「学級経営」
「統率力&授業力」
学校の先生というのは、学級という一つの人間の集団を、うまいこと経営していかなければならない。経営者なんです。
ありとあらゆる事態を想定しながら、その都度、今は何が最適解なのか、1年後を見通しながら計画し、遂行していく。
そのために、多くの本に書かれているのは、みなさんご存知の、アメとムチ、という論理。文科省の指導官も、この言葉、使っています。つまり、日本におけるデファクトスタンダードなんですね、アメとかムチ、という経営手段は。

この本には、宿題を出させるための方法が書いてあります。

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朝のスピーチ つたわるか、つたわらないかの差はどこに


毎朝、子どもらは、教室のディスプレイを使って、スピーチをする。
デジカメでうつしてきた写真を、みんなに見せる。
これは、ただ、なにも道具立てがないよりも、はるかにおもしろい。
写真にいったい何が映っているのか、みんなが固唾をのんで、待ち受けている。

教室が、一瞬のちに、シーンとなる。

「ただいまより、ニュースを始めます」

なかには、NHKのアナウンサーを気取って、

「時刻は○時○分になりました。ニュースの時間です」

と始める子もいて、個性があるのがいい。

家でうつしてきた、ちょっとした小物。
お母さんと一緒に作ったホットケーキ。
買ってもらったばかりのプールバッグ。
飼っている犬の姿。
弟の顔、なんてのもあった。

理科で、植物を学んでいるシーズンは、どの子も似たようになる。

登下校中に見つかった、あやしい草。
家の前に咲いている、黄色いきれいな花。
おじいちゃんの、盆栽。
・・・

おそらく、写真のシャッターを押す瞬間、彼や彼女が、なにかを心に宿し、決めて、
「よし、これだ!」
と思い切る。

その、自己決定の「ハラハラ、ドキドキ感」が、ニュースに臨場感を持たせ、おもしろくさせるのだと思う。

だから、なんとなく、ニュースがつまらないとき、

「撮るものがなくて、お母さんがこれにしとき、っていうから撮った」

という場合が、中にはある。
もちろん、
「お、それいいな。お母さんの言ってくれたの、すごくいい!」
と思えて、自ら主体的にシャッターを押す子もいるだろうから、お母さんに教えてもらうこと自体が悪い訳ではない。
ともかくも、その子の内面の、緊張感が出てしまうのが写真というものだろう。


こんな、写真のような道具立てがなくたって、スピーチ自体がおもしろいときもある。


クラスに、スピーチ名人がいる。
なぜかスピーチに臨場感があり、伝わってくる。
それはもう見事で、クラスがその子の声に、すっかりとりこまれてしまう。
教室が、その子の息、呼吸に、すべてぬりつぶされてしまうくらい、面白い。
そう、おもしろい。

なぜかな、と考えてみている。


他の子のスピーチと、一味ちがうところは・・・。


聞く人の目が、すいすいとすいよせられ、いきいきと、
彼女が話すたびに、聴衆に活気がみなぎっていく。

それは、彼女が、自分の中の、「迷い」を出しているからだろう、と思う。

彼女には、まだ小さな、少し変わった弟がいて、姉のやることなすことに興味を持ち、(まあふつうですよね)姉のランドセルにぬいぐるみを詰めたり、朝起きたばかりの姉の上にとびのってきたりする。
姉としてはちょっと、困ることなのだが、そこをまあ、姉らしく、ちょうどよくおさめていくために、彼女なりの工夫でもって、うまく弟くんを、じいちゃんに押し付けたり、軽くかわしたり、あれこれと迷いながら、葛藤しながらも、知恵をしぼる。
これが、話のおもしろいところだ。

たまに、家族をよ~く観察しているからかな、と思って笑っていたが、この間、気がついた。

この子の話は、サザエさんなのだ。

長谷川町子が、気付いて、漫画にしたてあげる。
日常にみえかくれする、人間臭さ、とっぴょうしのなさ、思わずのけぞったアクシデント、ふと口にしたセリフ、意図せず行うこと、力のぬけた感じ。
サザエさんをはじめ、マスオさん、ワカメ、カツオ、タラちゃん・・・。

あの目線が、この子には、ある。
人間くささ。
ひとのうごき、考え、クセ、アホさ。
ひっくるめての、人間の、こと。

それが、そのままで、面白いってこと。


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道徳教材 だれとでも


だれとでも

長谷川あおい


3年生になり、クラスがえがありました。
わたしは、ひかりちゃんと、また同じクラスになれたので、うれしくてたまりませんでした。ひかりちゃんとは、それまで保育園のころからずっといっしょだったのです。同じクラスだとわかったときは、ふたりで大よろこびをしました。

1学期がはじまって、すこしたったころのことです。
あたらしい友だちもできました。ゆみちゃんです。
ひかりちゃんとゆみちゃんは同じはんです。さいきん、ひかりちゃんがゆみちゃんとよくしゃべっているので、わたしもしぜんと話をするようになりました。

ある日、わたしが、休み時間にひかりちゃんとあそぼうと思っていたら、ひかりちゃんは、ゆみちゃんと話をしていました。
ひかりちゃんは、とてもたのしそうにわらっています。
ゆみちゃんも、いっしょになってわらっているし、たくさんしゃべっていて、二人はとてもたのしそうでした。

わたしはそのようすをみて、なんとなくすぐにトイレに行ってしまいました。
トイレからもどってくると、まだひかりちゃんとゆみちゃんはしゃべっています。

けっきょく、その休み時間は、わたしはほかのことをしてすごしました。

---------------------------------
○このときの、あおいちゃんのきもちって?
○おなじようなけいけん、ある人?



つぎの休み時間がきました。
ひかりちゃんが、わたしのところにあそびにさそいにきてくれました。
「あおいちゃん!」
ひかりちゃんが、にこにこして言いました。
「ね、ドッジボールやろうよ」
わたしは、ひかりちゃんがこうやってあそびにさそってくれるところがすきなのですが、ドッジボール、ときいて、ちょっと考えてしまいました。本当は、ひかりちゃんと二人きりであそびたい気分だったのです。

「だれと?」
ときくと、
「ゆみちゃんもいっしょだよ」
とひかりちゃんが言いました。

ボールをもっている男の子が、
「はやくいこう!」
と言うと、ひかりちゃんとゆみちゃんは、
「いまいく!」
と言ってから、
「あおいちゃん、先に行くよ!おいでね」
と走って行ってしまいました。

ゆみちゃんが、ひかりちゃんといっしょに走っていきます。
その姿を見ながら、本当はわたしがひかりちゃんとあそぶんだったのに、と思いました。

「2年生のときだったら、こうじゃなかったのに・・・」

ひかりちゃんのすぐそばにいて、いっしょに走っていくのは、ゆみちゃんではなくて、このわたしだったのにな・・・。そう考えると、なんだかすぐには外へ出て行く気持ちになれませんでした。


---------------------------------
○このときの、あおいちゃんのきもちって?
○おなじようなけいけん、ある人?
○このあと、どうなったと思う?予想しよう。




でも、今日は前の休み時間にもあそばなかったのだし、と思いなおして、外へ出ました。ほかにもいっしょにドッジボールをやる子たちがいて、しぶしぶとわたしはみんなのあとについていきました。

地めんにコートをかいて、ドッジボールがはじまりました。わたしはあまり元気がなくて、すぐに当たってしまいました。
すると、ボールをなげた男の子が、

「あっ、いたくなかった?」

と言ってくれたので、わたしは

「ううん、だいじょうぶ」

と言いました。

それを見て、ひかりちゃんが、

「男の子は、左手でなげてよね」

と言って、わたしの方を見て、にっこりとしてくれました。

また、ゆみちゃんも、

「まだはじまったばかりだから!あおいちゃん、パス、おくるね」

と言ってくれたのです。

わたしはすこし、元気が出て、ボールがとんでくると、その近くまで走ってとろうとやってみました。男の子たちが、がんばってボールをとっているとので、なかなかとるチャンスがありません。でも、何回かに一回、ボールをなげることができました。

わたしはひかりちゃんになげたかったのですが、とどきません。それで、近くにいた、同じチームの男の子になげてボールをパスしました。すると、その子が、すぐにあい手をひとり当てました。
それを見ていた、同じチームのさやかちゃんが、

「あおいちゃん、ナイスパス!」

と言ってくれました。
さやかちゃんのとなりにいたけんじくんも、
「おお、ナイスパス!」
と言ってくれました。

そのあと、またなんどかボールがきて、思い切りなげると、同じチームのコートに、とどく回数がふえました。
わたしは思い切りやれて、なんだか、ドッジボールが楽しくなってきました。

チャイムがなって、休み時間は終わりです。
すると、さやかちゃんやけんじくんが、近くにきてあるきながら、

「けっこう、おもしろかったね」

と話しかけてくれました。

「あおいちゃん、よくパスできるよね。わたしなんかこわくて、にげてばかりだけど!」

さやかちゃんがわらって言うと、

「そうだ。またおいでよ。ドッジ。あしたもやろう」

けんじくんたち、男の子たちも、みんなくつをはきかえながら、そう言うのでした。
それまで話をしたことのない子で、
「あおいちゃん、けっこうとおくまでなげるね」
と話しかけてきてくれた子もいました。

ろうかには、春のあたたかい風がふいています。もうすぐ、じゅぎょうがはじまりそうです。


---------------------------------
○このときの、あおいちゃんのきもちって?
○なぜ、あおいちゃんのきもちがかわった?
○あおいちゃんは、なぜたのしくなってきた?
○ある人とだけなかよし、について、どう思う?




○感想。


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文章が、ちょっと長いから、どう削るかを思案中。

子どもだって、問いを作るのは難しい

なぜ、難しいのだろうか。
大人も問うことが苦手だ。問うことは、エネルギーを使う。合理的な思考を要求される。知的活動だから、脳内でブドウ糖を消費してしまう。

小学生が問うことを苦手とするのは、一つには「問いは与えられるものだ」という思い込みがあるから、かもしれない。
これはこれまでの教育の弊害だろう。

小学生については、次のように進めていくと良いだろう。
まずは、問いを立てる、自分で調べることのできそうなところから、少しずつ調べ始め、わかったことを順に整理していく。1つわかったことがあったら、他にもわかる事は無いかと広げていく。もしわかったことが2つ3つと広がったら、それらを比較してみて、また自分なりの気づきが得られるかどうか探してみる。
最後に結論をまとめるが、その際に、気をつけなければならないのが、これでわかったとおしまいにしないことである。ここまではわかった、であれば、その続きはどうなるのか、と、前に進めたり、環境が変わったら、そういう事象は起きないのだろうか、と条件を変えて考えてみたり、日本以外ではどうか時代が変わったらどうか、と、見る視点を変えてみて、さらに追求できるよう、新たな問いにつなげていくのがコツだ。

しかし、そもそも、そんな問いを立てること自体が難しい。まだ慣れてもいない。ほとんど生まれて初めてのことをすると言う気分になる子だってそうだ。

ではどうするか。

まずは1冊ノートを用意しよう。
そこにすごろくを書いていこう。
昔からの定番だが、すごろく型の思考の進め方、は、非常に小学生に向いている。

大きな丸を描き、その中にふとした疑問をとりあえず1つ入れてみる。
なぜ空は青いのか。
自動運転の車は本当にできるのか。
地震が起きたときに、どうしたらうまく逃げられるのか。
うさぎの賢い飼い方。
うちの猫は一体何を考えているのか。

など、ふと思いついた疑問を、まずはその1つ目の丸に入れてみる。

2つ目の◯も重要だ。
最初の◯から、1本の線を伸ばして、2つ目の丸につなげてみよう。
この2つ目の丸の中には、どうしてそれが気になったのかを書いてみるのが良い。自分の中で特にその気になった原因を探してみると、問いがもう少しだけ咀嚼され柔らかくなる。

例えば、空はなぜ青いのかと言う問題を考えた子。
どうしてそれが気になったのかと言うと、これは、人によって、様々なきっかけがある。
青だけじゃつまらない、もっといろんな色になれば、毎日が楽しそうなのに、と、美術的アート的デザイン的な視点からそのことを考える子は、科学的な光の波長や屈折度についての理解をしたいわけではない。むしろなぜ人がアートを欲するのか、青い色はなぜ清々しい感じを人々に与えるのか、温かみのあるオレンジ色は、なぜ食欲をそそる色になるのだろうかなど、色彩心理学のほうに舵を切った方が興味関心が持続する。

もし緑色の夕焼けがあったら、人々はどんな気持ちになるだろうか。

と、問いを少しだけ変化させてみる方が、その子の調べる意欲をかき立てるかもしれない。

まずは、問いを、自分なりに細かく咀嚼し直すことが必要である。これが2つ目、3つ目、4つ目、5つ目位までの◯の中身である。
つまり、これが問いを大きく咀嚼した段階と言えよう。

次の段階に進もう。
それは、その問題を、もし理解したり、解決したり、深く捉え、直すことができたとしたら、どんな良いことがあるかを考えることである。
難しく考えなくてもいい。これは個人的なことで構わない。
自分がこれからの生活に、その知識を生かせそう、と、思えば良いだけである。

しかし、そのことを調べ、学習の最初に少しだけ考えておくことが、最後の最後に非常に生きてくる。
それは、次の問いを発生させるエンジンになるからである。

正直、問いを立てて考えていくということは、側面から見ると、しんどいことに違いない。
わざわざ調査し、回りくどく考え、わかったと、単純に言わないのが、とてもしんどい。だからこそ、このことを考えたことが、どれだけ自分を高めたのか、と言う視点を入れておくのである。

こうして、当初の、ふとした小さな疑問は、咀嚼し直し、自分なりの意義づけを与えることにより、小学校での学習にふさわしいものとなる。

大人はここまでのことをしない。
SNSやYahoo!のコメント欄を見ても、ほぼ条件反射でいいねを押したり、そんなのはダメだと否定することが多い。
これらは、問いを立てると言う知的な作業では無い。もし可能なら、「関連して新たな問いを作る」というボタンを付けるべきである。

人類は、問いを立てることにより、様々に思考を働かせ、現実の社会問題をよりよく解決する方向に進めることができた。
今のSNS社会では、問いは立てないが、何かしらわかったつもりになりやすい。賛成ボタンと反対ボタンを、条件反射で押してるだけのことである。
このことの意味のなさを、子どもの時から感じられるように、育てていくのが、新しい次の世代に向けての教育だろうと思われる。

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問いを、ともかくたくさん出してみる【小3・モチモチの木】

問いを、ともかくたくさん出してみる。
これが、トレーニングになる、と多くの先生たちは考えます。

例えば「将来、自分は何がしたいのかな」と、考えることがあるとします。

この問いに対して、

では、考えましょう!

と、いきなり進めるのではない。
その辺が、どうやらポイントになりそうです。

「将来、自分は何がしたいのかな」

これを考えるために、考えやすくなるような作戦を立てよう。
というのが、常套手段です。
この問いに迫るための、いわば、ロードマップを計画します。

何がしたいか、

【の前に・・・】

と考えるわけです。

大きな問題をいきなり考えるのでなく、以下のような中くらいの大きさの問題を、考えてみましょう。

例えばですが、
【問い】ぼくの性格は?
【問い】僕が3歳の頃、夢中になったものは?
【問い】好きで得意なものは?
【問い】好きだけど苦手なものは?
【問い】これから10年後の社会はどうなってると思う?
【問い】自分の中で、誰かの役に立ちたいと思う割合は、10点満点で何点?

など。
いろいろ、考えてみよう、とするわけです。

つまり、大きな問いしかつくれない人と、さまざまな、それに近づいていくための中くらいの問いをつくれる人、さらに細かい問いをたてられる人とでは、得られる情報が、当然ながら違ってくる、ということです。

なので、国語でモチモチの木を学習するとき、大きな問いとして、
【問い】この話が好きか嫌いか

というのを、クラスみんなにアンケートを取りたい、という子がいたら、それを大きな問いと考えて、中くらいの問い、小さな問い、として、どんどん子どもに出させる。

すると、
【問い】この物語はハッピーエンドだと思うかどうか。

というのが、意見として出てくる。
好きか嫌いかをいきなり答えようとする前に、ちょっと待てよ、そもそもこれは良い話なのか?そうでもないのか?・・・。どっちだと思う?ということが、気になるわけです。

豆太が臆病を克服して強くなった、とは書かれていない。
最後はこれで、めでたし、めでたし、だと言えるのかどうか?

豆太はせっかく勇気を出せたのだ。
真夜中に、医者様を呼ぶため、たった1人で半道もある麓の村まで、行くことができた。
であれば、お話の最後は、豆太が自分の力を信じ、勇気を持った少年となり、それからはもう二度と、じさまを夜中にしょんべんで起こす事はなくなりましたとさ、で終わるべきだ。

ここまで考えてようやく、
【問い】このお話が好きか嫌いか
について、意見が言えるのでしょう。

あるいは、こんな問いも出されそうです。

【問い】豆太は本当に臆病なのか
【問い】どうして作者は、最後に再び、じさまぁと豆太に言わせるのか
【問い】モチモチの木をなぜ豆太は一瞬しか見ないのか

のように、子どもがどんどんと謎を見つけていく。

それらを討論してからですと、どの子も自分なりに、この物語を、好き!とか、嫌い!とか言えるようになる。それも、根拠を持って・・・。相手を納得させる理由を、胸を張って言えるわけ。

図工の鑑賞授業の手法と似てます。
というか、おそらく、見方や考え方は、かなり共通点がある。

雪がキラキラ光る、満月の夜のモチモチの木を、ぜひ見てみたい、と子どもが思うようになれば、さらに学習は広がりますね・・・。ワタシ、自分が子どもの頃、ホントにそう思ったもの。
ちょっと理科の方角かもしれんけど。

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問う力を育む教育へ、時代は変わる


学習指導要領という大きな義務教育の根幹をなす、ルールがあります。

ご承知の通り、時代とともに、子どもに対する教育の方法や指針は変わっています。
より時代に即した、合理的で社会全体に資するような、指針作りを行うのが国の務めであります。

その最新の動向はどうか。

このような話をすると、多くの方が、プログラミング教育ですか?とか、AIを教育に導入するのですか?のように聞いてくださいます。
今回は、それよりももっと元の部分、より、大元の方針についてです。

ズバリ結論を申し上げましょう。

それは、問題そのものを、子どもが考える。

と言うものです。
いかがですか?
そんなこと、無理だろうと、お思いになりますか?

あるいは、これまで伝えてきた知識はどうなるんだ?軽視してしまうのか?
と不安になる方もいらっしゃると思います。
そんなことをして、誰が一体どのような評価をするのだ?
という疑問を持つ方もおいででしょう。
教師の役割は一体何になるのか?
もしかしたら、パソコンの画面でずっと検索をするだけか?
と極端なことを言い出す方もいます。

国民が混乱してます。
日本は非常に大きな転換点に差し掛かっているのです。
よく考えてみると、大きな転換点に差し掛かっているというのは教育だけでは無い。むしろ、教育や子どもと言うのは、その大きな転換に、巻き込まれた側と見る見方もできます。

社会がこんなに変わるようであれば、教育も変わらざるを得ないよ、と言うのが、文科省の方の本音だろうと思います。

世界には、もうのっぴきならない問題が、目前に差し迫っており、誰か偉い人が解決すれば、それで良いということでは済まず、世の中の人大多数がその問題を認識し、自分の立場で何をすることができるのか、考えなければならないのです。

戦争、紛争、民族のアイデンティティの問題、差別などはもちろん。

環境の課題はもはや緊急事態。
誰か、アイデアのある人は、どしどし実行しないといけない。社会全体で、応援しないと間に合わない。

いわば、革命的な解決を人類は求めています。それも、解が一つではない。一億通りも、解の見つかるような。
多種多様、様々で、誰もが参加できるような、地道で金のかからない持続可能なアイデアと実践を。

日本であれば、トヨタやパナソニック三菱重工、日本石油や住友化学の偉い人たちが、何か良い発明をしたり、仕組みを考えたりしてくれるだろう、と、いうことでは済まないのです。ソフトバンクの孫先生が、良いことをしてくれるよ、では無いのです。もちろん、裏金問題でテンテコ舞いの与党政府の政治家が、国民の将来について考えているとは思えないわけで・・・。

そんな中、中教審と呼ばれる会合が、日本中の識者を集めて、これからの教育について討論をしてくれています。

そこでは。

答えを覚える学習の仕方から、自分で課題を見つける、学習の仕方へ。

と、学習方法の大転換が示されております。

これそんなに新しい話ではなく、もう10年以上前の会議で、示されているんですが、はっきり言ってよく知らないままで、国民は過ごしてしまいました。

学校の先生たちも、実はまだ、よく分かってない。
多くの人が、やはり課題は教師が与えるもの、答えも教師が教えるもの、と考えています。

ところが、答えが無い、という教育を始めなさい、というのです。国が。

問いを、子どもがたてるんですって。

どう思います?

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日本一のバスガイドさんがすごい

はとバスに乗った。
きっかけは何かというと、タモリさんのこと。
タモリさんの番組、「ブラタモリ」が終わってしまうと言う話を聞いた。

毎週、楽しみにしていたので、終わってしまうのは残念でならない。
一ヶ月ほど前であろうか。嫁様と、この話になり、さらに、タモリさんについて知っている昔話を、お互いにあれこれと話していた。
「ねえねえ、知ってる?黒柳徹子がいいともに出たときのこと」 嫁様が問うので、わたしは思い出した。 「あー!おれ、見たかも。リアルタイムでその時見たよ」 黒柳徹子さんが、テレフォンショッキングに登場したときの話は今では伝説だが、実際に放映してた番組を自分も見た。おそらく日曜日に放映していた増刊号を見たのだと思う。 徹子さんはそのとき、タモリから所望されてハンドバックの中身をあれこれとさらけ出し、事細かに説明していた。

 タモリさんについて言えば、ほかにも、4カ国語麻雀とか、北朝鮮のバスガイドさんとか。
知っている人が多いと思うが、タモリさんの、「はとバス」案内は、絶品である。
その話をしているうちに、無性に「はとバス」に乗りたくなった。

この時の、はとバスの乗りたさ、というのが尋常なレベルではなく、自分の人生史上初めて、と言うくらいの、やかんが沸騰するような熱さの情熱が胸を突き上げてきた。

そこで、先日、万障繰り上げてはとバスツアーを決行したのでございます。
そしたら、なんと、はとバスのリーダーと呼ばれる、一番の実力者がガイドをしてくれた。

リーダーという特別なバッジをつけていらしたので、ちょっと世間話ついでに聞いてみると、

「ええ、そうなんです。ベテランになってしまいまして」

と笑いながらおっしゃった。


 若い頃からずっと勤務されている他、通常のバスツアーの経験も相当あり、東京案内はほぼどの地域もそらんじている。すごいな、と感心した。

 さて、そのガイドさんについて、特に感心したのが、次のこと。


 ①これからの動きについて、大(おおまかに)→中(ほどほどに)→小(くわしく)の順で説明してくれる。
②中(ほどほどに)の説明が10分前くらい。小(くわしく)の説明が5分前くらい。だから記憶に残っているうちに到着する。
③大切なことをしぼっている。→具体的には☆場所☆集合(出発)時間の2点。
④その大切なことを、十分に記憶に残るように反復する。
⑤その際、聞いていない客を責める雰囲気がない。
⑥もしよく伝わらない場合は、わたしの説明がわかりにくかったですかね、というサラリとした雰囲気。
⑦いくつかのおすすめスポットをかんたんに案内→案内しすぎでもなく、案内が無いわけでもなく、おしつけない程度のさらりとした、おすすめスポット(お店)の紹介

 とくに感心したのが4番。
 「集合時間は、2:50分です。(ゆっくり)2時・・・、50分・・・。2時、50分・・・。2時50分でございます。もし遅れそうな場合はわたしくの携帯にご連絡をください。見えるもの、看板、お店、なんでもおっしゃっていただければご案内が可能でございます。もし、あれ、と不安になったすぐにともかくお電話いただければご案内できます。次のお時間は、2時・・・50分、集合は2時50分でございます」

 こんな感じ。


 これ、教室で低学年の子に話しかけるのと、そっくり!

黒板にP.38と書いた後、
「教科書、38ページです。開いてみましょう。さんじゅう・・・はち、ページ・・・。38・・・ページ。教科書を開きましょう。38ページ。いいですね、もう開いている子、早いですねえ。すばらしい。さんじゅう、はち、ページ。いいね、お隣さんがもう開いていたら、いいねえ、と感心してあげてください、さんじゅう、はち。38ページです」

 こんな感じで毎日言ってるが、やはり共通するものをひしひしと感じる。

 はとバスに乗るのは、平均するとやはりご年配の方が多く、わたしが乗車した日は休日でありましたが、ほぼ70代の女性の方ばかりでしたね。
たまたま家族で連れてこられた風の若者が数人いましたが、あとはみんなじいちゃんとばあちゃん、あるいは叔母様たちのグループでした。

 するとね、やはり、このリピート。そして確認。 これが大事ですわね。
bird_hato
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