30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2024年01月

サザエさんはなぜサザエさんが主人公と言えるのか

なぜサザエさんは、サザエさんと言うタイトルなのでしょう。

これは小学校で国語を教えている教員は、おそらく一度は考えたことがある問いであると思います。
小学校の国語の教科書は、様々な題材が掲載されています。タイトルがすごく重要なのです。最も大切なことがタイトルに凝縮され、示されてあると考えるのが妥当でしょう。
だから、教員の職業病とでも言うのでしょうか、なぜサザエさんはサザエさんと言うタイトルなのか、教員としてはしっかりと説明できなければならない、と頭のどこかで考えているのです。

わたしはこれを、ウチの嫁様に、ふと話してみました。

彼女はめんどくさそうに、
「サザエさんとその周りの家族を描写しているからじゃないの?」
と、至極、まっとうな返答。

私は意地悪く、
「でも、それをいうなら他の構成員だって同じだよ。みんな、マスオさんの家族とも言えるし、波平さんの家族とも言える。カツオの家族でもあり、タラちゃんの家族でもあるよね。では、なぜ、『カツオくん』がタイトルではないのかなあ?」

皆様はどうお考えになりますか?

これは、前回の記事の続きです。
つまり、必要な事は、抽象思考ということです。
サザエさんに出てくる登場人物、磯野波平、磯野ふね、フグ田マスオ、フグ田サザエ、磯野カツオ、磯野ワカメ、フグ田タラオ、・・・。
この具体的なパーツ、一つ一つを、何らかの最もらしい抽象化ルールに沿って、分類しなければならないのです。
そして、その抽象化作業の結果、答えを確定するのです。
その説明を聞いた誰もが納得し、なるほど!だから、サザエさんが主人公なのだネ!と得心できるように説明するのです。

さて、教室の子どもたちは、どう考えたと思いますか?

これは、ふだんの鍛え方にかかってきますね。
どう問題に向き合い、どう抽象化していくか。
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漢字の指導の変化

教師になりたての頃は、私は漢字の指導がそれほど好きではなかった。

ところが、漢字と言うのは、人類の大した発明と言うべきものであり、大昔の人々の、具体的な、あるいは、抽象的な思考法が、よく見れば、見るほどに浮かび上がってくる題材なのであります。

そのことに気がついたのは、今から10年以上前に、一緒に学年を組んだ、とある先輩の先生のおかげです。その先生は、私に、白川静氏の漢字の本を見せてくださった。白川氏との出会いが、漢字学習を変えた。

今の漢字の授業は、こうである。
1)電子黒板に漢字をでかでかと映し出す。
2)この字について、何かわかる人?
3)部首やつくり、冠などの字形や意味から、この漢字が持つ意味や、成り立ち、どうしてこんな部品が使われているのかなど、子どもが気がついたことをどんどんと発表していく。
4)見当はずれでも全く構わない。確かに、そんなふうに見えるねぇ、と同意しながら、バンバン言わす。
5)最後に、わたしが知ってる代表的な、成り立ちの学説を説明して、後は書き順・熟語の確認・字の練習、で終わり。

これを繰り返していくうちに、子どもたちは、漢字を見た瞬間、アッわかった!と色々と意見を出すようになってきた。つまりなぜその言葉は、その部品を使い、そのような意味を持つ字になったのか、成り立ちについて説明するのである。

これは、具体的なパーツを見ながら、仲間に分類していくことで、似たような字を思い起こしながら、より抽象度の高いグループに分けたり、意味を類推したりして、たくさんの漢字を頭の中に、だんだんと抽象度の高い分布図へと書き換えていくような作業であります。

小学校3年生ともなれば、もう、人生の間に、300字以上を覚えています。なので、新しい字が出てくると、自分の知っている漢字の大きな地図の中の、一番ぴったりするところに付け足していくようなことをします。

この動作や振り分け作業が、瞬時に迷いなく、できる子は漢字を覚えるのが早いです。
瞬時にできる子は、頭の中の漢字地図が、抽象度が高く、極めて論理的に分布されているのです。だから、新しい漢字も、今までのルールに沿ったような形でピタリとはめることができるし、迷わないのです。

同じ意味、同じへん、同じつくり、同じ音(おと)、付け足し、などですね。
共通点を見つけるのが早い。
次に、なぜそれが共通点だと言えるのか、自分の言葉で説明もできる。
高層ビルに例えれば1階部分なのか2階部分にありそうか。もっと高層階にありそうなのか。平面でなく、立体的に頭の中で思考している子もいます。

ところが、頭の中がごちゃまぜで、どう地図の上で配置すればいいのか、ぴんとこないような状態が続くと、やはりその中途半端で、宙に浮いたような漢字は、いずれ記憶のどこかに紛れ込んで消えてしまうのでしょう。

いわば漢字を覚えるということは、漢字一つ一つと言う非常に具体的なものに、抽象的なルールを当てはめて、抽象度を上げていくことによって、初めてマスターできると言えるのです。

教室の中に、「つまり、先生、それって、こういうことでしよ?」という言い方が、癖になっている子がいます。
その子は、生活の中や学習の中で初めて出会ったものを、自分の思考体系の中に、自分の言葉で言語化することによって抽象度を上げて、組み込んでいるのです。つまり、とか、要するに、とか、そういう言い方を補助的に使って、自分の思考をヨイショと支えながら。

そして、結論です。
このような思考の動かし方をしている子は、漢字のテストもほぼ100点が取れます。

漢字練習帳に体力勝負で同じ字を50個書けば覚えるかと言うと、どうもそうでは無いようです。やはり脳みその中を、『具体から抽象へ』と、整理整頓することに尽きるようです。


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大谷選手のグローブに思うこと

大谷選手には一つひとつ感心することばかり。
左利き用が1つ、入っていたのもカッコいい、と思った。
ハンサムだし楽しそうだし何よりも真剣にゴミを拾う。
男でも好きになるタイプだ。

今回、大谷選手からNewBalance社を通じて小学校へグローブが届いた。
先生たちはそんなにはしゃがないし、大人だからぐっと抑えたふるまいをするけれど、それでもどこかでウキウキしている気がする。
定年間近の男性の先生方は、嬉しくて仕方がないらしく、自分と野球との関わりをお茶のみついでにお話しされる。

現役時代の金田投手(かねやん)を見た先生はさすがにもういらっしゃらないが、現役時代の王、長島を見た先生はまだ職員室にいらっしゃる。
かく言うわたしも、小学校3年の冬に、2mという至近距離で王さんと目があったことがあり、手を振ってもらった。巨人・中日戦の昼間に、球場近くの喫茶店で番記者と語らうところを、わたしの母親がネットもスマホもない時代に、口コミだけをたよりにそこへわたしをいざなったのであります。昭和の母親はすごいなあ、と今もなお思いますね。

わたしは名古屋の小学生で、当然のように中日ファンでありました。まだ中日が優勝したときの余韻がある時代で、巨人ファンは一切そのことを口に出せず、巨人の帽子を被ってよいのは自宅の押入れの中だけで、外ではぜったいに中日ドラゴンズの帽子をかぶっていなければ、人として許されない空気がありました。

昭和49年(1974年)、中日ドラゴンズが巨人のV10を阻止して20年ぶりに優勝をかざったが、その年にリリースされ、大ヒットしたのが「燃えよドラゴンズ」。これを新しい打順で歌い切ることも当然のようにできなくてはならない。ちょっとでも間違えようものなら、もしかしたらコイツは純粋のドラゴンズファンでないのかもしれない、と邪推される。1時間かかる登下校中の話題も、昨夜のナイターで谷沢がホームランを打ったかどうかであり、大島と谷沢のどちらがえらいか、というのがもっぱらの議題でありました。

しかしどの小学生も、王さんの話題になればもう中日などはどうでもよく、やはり王はえらく、敵ながらアッパレ、という感じになるのでした。

わたしがテレビ放映のジャイアンツ戦をみながら興奮しているのを見て、母は細い人脈を200くらいたどり、なんとかして無料で王さんに会えないかと画策したらしい。ついにわたしは無料で王さんに会うことができ(といってもコーヒーを飲む王さんに近寄っただけ)、一応そのするどい眼光の中に、わたしのヘラヘラした笑い顔を映してもらったのです。ああ、遠い昔の記憶だなー・・・

さて、ゲンダイの子はどうなのか。
50、60代の先生たちの興奮をよそに、小学生たちは、実はそれほど盛り上がっていません。
それもそのはず、大谷選手はなんとなく知っているけれど、野球のルールすらわからない子が多いのですからね。

みんな喜ぶだろう、と思ったら、一部の子たちはさすがに大事だと感じているらしい。スゲー!と喜んでいる!
しかし、わりとあっさりとブームが去りそう。
やはり徐々に、徐々に、野球というものの、社会の中での立ち位置が、変わっていってるのだろう。毎日、本当に毎日のように、ジャイアンツ戦が地上波で放送されていた、ということを、もう若い先生たちも知らない。

「え?ナイター?・・・知らないです。見たこと無いです。そんな毎日、みなさん野球、見てたんですか?」

若い平成生まれの先生がこう言ったとき、60歳定年間近の先生の顔があきらかにひきつっているのを見ました。
長嶋も王も、若い世代の先生ですら知らない。まして子どもは・・・。
さて、どうする。

サッカーはハーフタイム以外に休憩がないので、ビールをゆっくり飲み干したり、隣の席の人とーだこーだと感想を言い合って駄弁る時間がありませんね。その間にシュートが決まっちゃうかもしれないから。サッカーは踊りながら叫びながら一瞬も気を抜かずに見ること。

ところが野球はタイプがちがう。
相撲や将棋や囲碁と同じで一手ごとに間が空く。その間に観客は次の一手を予想して、腕組みしながら待つのです。とにかくスピード、間のとり方がちがうのです。

今の時代は、どちらかというと踊りながら参加する、サッカーのような劇場型スポーツがあうのでしょうね。一手ごとに、あれこれと頭を巡らすような、視聴者参加型のスポーツは、時代のテンポに合わないのかもしれません。寂しいですが。

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子どもたちの社会的・世代的な変化とは

子どもたちは、昭和の頃とそう変わってない。子どもだからしょっ中熱を出すし、宿題も忘れる。
ここで話題にしたいのは、そういうことではない。子どもの、いわゆる一般的な属性や特質、ではない。

小学校の教員が、炭鉱のカナリアとしての役割を果たすとしたら、これか、と感じているのである。
今、気付いたことを書いておくのが良いと思ったことがあり、ここに書いておく。

それは、いわゆる個性とか競争、という不変かと思われた概念が、もしかしたら過去のものになりつつあるのでは、という思いだ。

児童会の選挙が、つい先日行われた。
個性的で優秀な子が児童会長に立候補するかと思いきや、なかなかそうはならない。以前からこの傾向はあったが、最近は本当につくづくそうだと思う。長と言う役職にはなかなかつきたがらないのである。
子どもたちは 「長はイヤだ」とはっきり言う。
そこで、児童会役員だとか長だとか言う特別な感じを、「薄める」作戦に出た。
人数を各クラス1人でなく、各クラスから2名ずつ選ぶようにし、その集団が、あたかも合議制のようにして、児童会の運営を行っていくように変えることにした。そうして初めて、各クラスから立候補者がでてくれた。

もともと、児童会は、各委員長ごとに〇〇委員長、と言う役割があり、その委員長が集まって会議を行います。今回は、その会議をリードし、束ねるはずの児童会長的な立場のメンバーをさらに増やしたのです。

かつて、〇〇委員長というのは、児童会全体からすると部長のような立場でした。今ではせいぜい課長が係長クラス。
そして、児童会間の方針やイベントの性格、実施の仕方にいたるまで、音頭をとって旗を振り、進める立場だった児童会長や副会長は、今や、8人ほどの大所帯を構成して、文化人類学者のレヴィストロースが研究した南の島の村の長老たちのようになって、ゆっくりと喋りながら合議制を行うのであります。

今、上へ上へと這い上がろうとするハングリー精神を持った児童は1人もいません。なんせ、Z世代ですから。個性を磨き、競争力をつけて、社長になろう!とする子はほとんどいない。時代が変わりつつある。

振り返ると、今からもう既に40年ほど前には、シラケ世代と言う呼び方があった。また、30年ほど前には、新人類と呼ばれる時代があった。今のような雰囲気へと変わっていく予感は、すでにかなり以前からあったのですね。

とはいえ、これまではやはり、一定数の上昇思考を持ったメンバーはいて、力を持ち、カリスマになることに憧れて、周囲の注目を得て、活躍することを望んでおりました。社会全体としても常識として一応、若い世代はだれしも社会のピラミッドの上流に這い上がっていくのを望んでいるはずだという前提条件が存在していたのです。

しかし、今はそんな前提も崩れている。誰も管理職にはなりたくない。ブラック企業を回避したいのと同じで、気持ちをすり減らすようなことはしたくないんです。上を目指すのではなく、自分の周りの小さな心地の良いコミュニティーとの、ゆるいつながりと共生を目指しているだけのようです。そこでは、すでに【個性】のアピールはあまり必要なことでもなくなっているし、価値はなくなってきています。個性はアピールするものでなく、じわじわと周囲に理解されていくもの、自然に浸透していくもの、黙っていても現れてくるもの、という感じでしょうか。

私の息子はちょうど20歳になるのですが、彼や、その彼の友人たちを見ていても、人生をかけて大きな城を構えようだとか、上昇気流に乗って、トップダウン型・上位下達の組織の上位を目指そうとか、そういう雰囲気は微塵も感じません。

私自身は、学生の頃に昭和が終わり、社会人となる頃は平成となっておりました。象徴であった天皇が逝去して、君主が統治した昭和の時代は終わったのですね。

考えてみると、長い歴史です。 江戸時代には、そのへんの人は、ただの『民』でありました。それが明治大正昭和の時代には、民が国民となります。昭和が始まると世界大戦があり、国民は、国の犠牲となって自分たちの命を放り出したので、戦後はその反動で国民は市民へと変わりました。民→国民→市民、という変化です。

思い返すと、しみじみしますね。
昭和から平成に変わり、国民という言葉は徐々に意味をなくしていきます。われわれ団塊ジュニア世代は、国の政治に期待などせずに成長した世代でした。そして、同世代の人たちの中には、自分の国の政治家の、下手な失政の尻拭い、後始末のために、戦争で大切な誰かの命を奪ったり自分の命捧げたりする人は、おそらくほとんどいないと思います。

そこからさらにさらに、時代はさらに進んだわけでして。
今の若者は、大きなコミュニティーを志向しません。その大きなコミュニティーの、まさか管理運営など絶対にしない。そんなことに神経をすり減らすなんてまっぴらごめんなのです。だから、組織を運営する側になろうと言う気もない。
今の若者が望むのは、足元の小さなコミュニティー。そして、そのコミュニティーですら、管理する側には、なりたくない。バイトリーダーになることでさえ拒む子が多いそうですね、今は。やろうと思えばできるのに。

こうした動きを社会の女性化とか、現代社会が男性性を失い始めたためだ、と批評する文化学者もいます。ところが、私はそう思わない。

いつしか時代は、人間の元の姿に立ち返ろうとしているだけだと思います。
人間はもともと、競争を目的に生まれたのではないですから。競争する生命体は、今や地球上では絶滅寸前です。虎やオオワシはとうの昔にレッドブックデータに入っており、最適化できる動物は子孫を繁栄させる。
うさぎは地球上で、爪を持たないのに子孫を増やし、タイガーは巨大な爪を研ぎながら絶滅するのです。

レヴィストロースが研究した文化人類学においては、南の島で、長老たちは、ゆっくりとのんびりとおしゃべりをしながら、合議を行います。けっしてそこには「腹を立てたり、みけんにシワを寄せて大声を出す人」はいません。長と名のつく立場の人もいません。長老というのは、研究者がそう記録に書いただけで、現地では、ただのおじいさん、です。

今回の児童会選挙や、児童会の形の変化をみていて、イヴァン・イリイチの「脱学校論」を思い出す先生もいたでしょうが、わたしは同時にモースの「贈与論」あるいはクロード・レヴィ=ストロースのさまざまな研究を思い出す。
昨今の児童会選挙の変化は、今年の5年生にはたまたまそういう子が多かったんだろう、というのでは説明がつきません。平板な個々の児童の志向やクセにおとしこんでしまえるものではない。おそらくはこの社会全体の構造的な変化であり、社会の性質の如実な変化が、【ここにも】現れてきたのだ、と考える方が腑に落ちます。

これからの児童会は、おそらくは【脱児童会】を志向するものとなるでしょう。それはビジネスの世界や政治の世界で長く使われてきた、児童会長をトップにおく組織図で説明できるものではなくなり、文化人類学で【純粋贈与経済】とよばれる南の島の世界の、資本主義社会とはまったく別の匂いがする、ああいった文化がぴったりとくるような、ゆっくりとした長老の合議の世界でありましょう。

そこでは、大きなイベントをやる必要も志向も消え失せてしまう。覇気は無いように思えます。しかし、それは上の世代の勝手な誤解にすぎません。そこには、Z世代がのぞむような、小さなコミュニティの、小さな安心があり、確実な安心があるでしょう。そして、一つのゴミを拾うことさえも、十分に味わっていくような、わびさびの世界にも通じる児童の姿が想像できるのです。そういう子どもたちが行う児童会は、これまでのような児童会でなくても、かまわないわけです。
きっと、その意味や価値すらも、古い世代にはわからないのかもしれません。

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クロード・レヴィ=ストロース/中沢新一『サンタクロースの秘密』

元旦のお風呂で。

元旦に嫁様の実家に参りました。
義父のお墓参りを済ませ、午後、息子と2人で近くのスーパー銭湯へ行きました。

私が住んでいる地元には、温泉がたくさんあることもあって、まだ息子が幼い時からちょくちょくと温泉にはよく出かけていきました。
息子にとって、温泉とはただ体をきれいにする場所だけではなかったようです。
なぜなら、息子はそこで人間観察をしているらしいからです。

温泉から出てきたときに、息子がふともらすコメントは非常に味がありました。
例えば、非常に高齢のおじいさんが一緒の湯船につかっていた時。

おじいさんの肌や体の表情を見ていたらしい息子は、その肌の様子を不思議がって、あんなにシワシワなのに、曲げると伸びるんだとか、お風呂に浸かると、赤ちゃんみたいにつやつやになるとか、よく見てコメントしていました。

また、筋骨隆々とした若い男性と一緒にいた場合は、その筋肉やしなやかな動きに見ほれていたようです。
幼い彼からしたら、一人一人、個性のある体つきや、その表情に、色々と学ぶことがあったのでしょう。

20代や30代の大人になったときに、自分がどうなっているだろうか、ということを、大人の人の体の表情を見ながら、少し考えるんだと思います。

また、逆に、自分よりも年下の小さな子を見たとき。あぁ、自分もあんなだったなぁとか、あんなふうにしていることが、楽しかったよな、などと、自分の過去を振り返っているのだと思います。振り返るということは、自分のこれまでの歴史を考え、今、まさに自分がこうなっていると言うことの価値や良さを実感するわけです。

日本独特の裸の付き合いとは、面白いものです。老人という、長い時を経た、未来の存在と、幼児という、かつて自分がたどってきた昔の自分を、心のどこかで、感じ取りながら、静かにお湯につかっているわけです。

温泉と言うのは、今、現在の自分がお湯につかっているだけでなく、同時に、過去や未来の自分を間近で捉え、その行動や顔の表情肉体までふくめて、リアルに感じ取る場所なのです。

来年20歳になる息子は、今回結構長湯をしていました。
そして、脱衣所のドライヤーをずっと長い時間一人占めして使っている、若い男性を見て、
「ありゃぁ、長く使いすぎだな」
と、短くコメントしていました。

狭い脱衣所での歩き方、着替えるスピード、ちょっと間をあけて、隣の人とぶつからないようにするコツ、ドライヤーを使う時間。
ここはコミュニティーと言うものを、まさにリアルに実感する場です。

私は昔、とある事情から、毎日銭湯のように大勢の人が利用しているお風呂へ通っておりました。同じ職場の人や地域の人がたくさん利用しているお風呂です。20代の10年間ほぼ毎日、そこで大勢の大人の人の背中を見ました。
改めて、他人の背中を見ながら、大人の人の背中を見ながら、あるときには、自分より年下の子の背中を見ながら、自分と言うものを感じ取る、あの時間は、貴重なものだったと思っています。

ふと見ると、息子は慣れた調子でロッカーの中の忘れ物がないかを確認していました。
そして、20歳になろうとする今、駐車場で車に乗り込みながら、またいつも通りに同じことを言いました。

「いやぁー、やっぱ温泉は良いわ」

元旦の道路はすいており、優しい陽ざしが、ハンドルをほんのりあっためてくれていました。IMG_4384

2024年の幕開けです。今年もよろしくお願いします。

このブログを2006年より、30代の後半から書き始めました。18年続いています。当時、新人だった私も、既にベテランの教師になっております。
職員室では、様々な役職を任され、ほぼ毎年主任をやり、研究では重要な役割を任されるようになりました。
これは年齢と経験を重ねてきた結果です。

教師になりたての1年目から、毎日のように自分の教育実践をブログで振り返りながら、あーでもないこーでもないと考え続けてくる事は、私にとっては、どうしても必要なことであり、読者の方がいようが、いまいが、自分の頭や気持ちを整理していくのには必要な行動でした。

改めて、新しい年を迎えるにあたり、やはり同じ事は続けていこうと思っております。
昨年は、家族のことで、なかなか時間やエネルギーをブログに向けられませんでしたが、そういうことも人生の上では必要なことだと思っています。

2024年が始まりました。

大きな地震、震災があり、少額ながら私にできることとして寄付だけをしました。若い頃なら、ボランティアにも行きたかったと思います。

今、できることとして、家族を支え、新学期が始まれば、震災のことをテーマに子供たちと討論したり、話し合ったり必要な知識を学んだりしていきたいと思います。

それでは今年1年どうぞよろしくお願いいたします。IMG_4382
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