自民党の簗和生(やなかずお)衆院議員が5月20日の党会合で、LGBTなど性的少数者の話題で「生物学上、『種の保存』に背く。生物学の根幹にあらがう」と言った趣旨の発言をしたことが話題になって います。
「発言について答えることは差し控える」としていますが、「LGBTなど性的少数者をめぐる理解の増進は必要なことであると考えております」と答えています。
どうも上記のようなことは、昔から気にはなっていました。
人権意識のない発言が国会の議員から出てくるとはどういうことだろう、と。
あってはならないが、と懸念しておりました。
ところが先日の内閣改造で、この栃木選出の簗和生(やなかずお)衆院議員が副大臣になっちゃっているではありませんか。こともあろうに、文部科学副大臣に。
いやあ、公教育の教員からすると、この方、わたしの上司になりますわ。
この上司の元で働かなきゃいけないと思うと、げんなり、です。
どうやらご本人、LGBT差別の発言については反省をしているらしいですが、ちょっと怖いです。
そもそもなぜわたしがこのことを恐ろしいと感じているかというと、LGBT差別の発言が、今話題のカルト教団の教義と似ている部分があると思うからです。
「LGBTや同性婚、夫婦別姓は「生活共産主義」とされ、認めさせてはならないと説いている」とwikipediaに書いてありまして、本当かどうかわかりません。
もし事実、そのように説いているのであれば、残念でなりません。
一人ひとりの個性に着目し、お互いがお互いを見てそのまま尊重しあうことで、できる限り個としての人間が生きていきやすいように社会環境を整えていく、ということが現代の民主主義社会でして、どんな人間でも「生きにくさ」を感じずに済むように、わたしもあなたも、AさんもBさんも全員区別なく、お互いに全員が全員を助け合うのが今の人権尊重社会です。それを邪魔するのはファシズムであり、人権を無視するということです。
もし簗和生(やなかずお)副大臣が上記のようにLGBTQ差別を心の中でおこなっているのであれば、全国の教員が「あーあ」と声にならないため息をついていることでしょう。
簗和生(やなかずお)副大臣は、性的少数者と呼ばれる人たちを見たくないのか、どうなのか知りませんが、意識から外したところで人間は多種多様にそれぞれが元から自由に思考し、考えて行動するわけです。その元来自由さをふんだんに持つ、もともと生まれたときから自由に思考し行動する自由人としての人間の本来性を無視することなど、できっこない話です。
ちょっと話が変わりますが、こういう思想の人もいます。
「人権が過剰→個人に人権を与えすぎ→だから家族をないがしろにするのだ」
今の世の中が乱れているのは、家族がないがしろになっているからで、家父長制のようなしっかりとした大黒柱の父親が尊敬されていないせいだ、と考えるようでして・・・。
それは、個人に人権を与えてしまったからだ、というのです。
だから、人権が過剰になっている。過剰になった人権を認めるわけにいかない、という支離滅裂な論理展開です。どうもこのようなカルト思想に「はまってしまった」人の中に、LGBTを差別する人が多い気がします。
要するに、ひとが自由に行動し、自由に思考するのが気に食わない、という感じでしょうか。
自民党の簗和生(やなかずお)副大臣におかれましては、このようなことのないように願いたいです。子どもが自由に思考し、自由にアイデアを出すことを応援してください。また、自分以外のクラスメートが、それまた自由に思考することを認められる子どもになれますよう、応援してください。
「おれの意見が正しいと認めてほしいが、あいつの意見はまちがっとることにしてほしい」
「おれの人権は認めてほしいが、あいつの人権は認めんぞ!」
「行き過ぎた個人主義は行き過ぎちゃう!範囲としては俺の決めた範囲が絶対としてほしい!」
というようにならないように、してほしいのです。
とくに最後の「行き過ぎた個人主義」というフレーズはどうやら流行らしいですね。しかし、もともと人間の思考に範囲などないのが当然であり、自分たちの決めた常識の範囲を超えているからダメだとして規制をかけたいなあ、というのはワガママとしかいいようがありません。人間は、別にあなたの思考範囲の中に沿うように生まれてきてないワ!ということですね。
こういう夜郎自大な思想になってしまうと、広くアジアに限らず諸国の人々から軽蔑されます。
副大臣へのお願いです。日本という豊かな国の子どもたちが、未来に向かって世界のどの人にも敬愛されるような「人権思想」を身につけられるように応援してください。(くれぐれも、悪い予感が当たりませんように)
「発言について答えることは差し控える」としていますが、「LGBTなど性的少数者をめぐる理解の増進は必要なことであると考えております」と答えています。
どうも上記のようなことは、昔から気にはなっていました。
人権意識のない発言が国会の議員から出てくるとはどういうことだろう、と。
あってはならないが、と懸念しておりました。
ところが先日の内閣改造で、この栃木選出の簗和生(やなかずお)衆院議員が副大臣になっちゃっているではありませんか。こともあろうに、文部科学副大臣に。
いやあ、公教育の教員からすると、この方、わたしの上司になりますわ。
この上司の元で働かなきゃいけないと思うと、げんなり、です。
どうやらご本人、LGBT差別の発言については反省をしているらしいですが、ちょっと怖いです。
そもそもなぜわたしがこのことを恐ろしいと感じているかというと、LGBT差別の発言が、今話題のカルト教団の教義と似ている部分があると思うからです。
「LGBTや同性婚、夫婦別姓は「生活共産主義」とされ、認めさせてはならないと説いている」とwikipediaに書いてありまして、本当かどうかわかりません。
もし事実、そのように説いているのであれば、残念でなりません。
一人ひとりの個性に着目し、お互いがお互いを見てそのまま尊重しあうことで、できる限り個としての人間が生きていきやすいように社会環境を整えていく、ということが現代の民主主義社会でして、どんな人間でも「生きにくさ」を感じずに済むように、わたしもあなたも、AさんもBさんも全員区別なく、お互いに全員が全員を助け合うのが今の人権尊重社会です。それを邪魔するのはファシズムであり、人権を無視するということです。
もし簗和生(やなかずお)副大臣が上記のようにLGBTQ差別を心の中でおこなっているのであれば、全国の教員が「あーあ」と声にならないため息をついていることでしょう。
簗和生(やなかずお)副大臣は、性的少数者と呼ばれる人たちを見たくないのか、どうなのか知りませんが、意識から外したところで人間は多種多様にそれぞれが元から自由に思考し、考えて行動するわけです。その元来自由さをふんだんに持つ、もともと生まれたときから自由に思考し行動する自由人としての人間の本来性を無視することなど、できっこない話です。
ちょっと話が変わりますが、こういう思想の人もいます。
「人権が過剰→個人に人権を与えすぎ→だから家族をないがしろにするのだ」
今の世の中が乱れているのは、家族がないがしろになっているからで、家父長制のようなしっかりとした大黒柱の父親が尊敬されていないせいだ、と考えるようでして・・・。
それは、個人に人権を与えてしまったからだ、というのです。
だから、人権が過剰になっている。過剰になった人権を認めるわけにいかない、という支離滅裂な論理展開です。どうもこのようなカルト思想に「はまってしまった」人の中に、LGBTを差別する人が多い気がします。
要するに、ひとが自由に行動し、自由に思考するのが気に食わない、という感じでしょうか。
自民党の簗和生(やなかずお)副大臣におかれましては、このようなことのないように願いたいです。子どもが自由に思考し、自由にアイデアを出すことを応援してください。また、自分以外のクラスメートが、それまた自由に思考することを認められる子どもになれますよう、応援してください。
「おれの意見が正しいと認めてほしいが、あいつの意見はまちがっとることにしてほしい」
「おれの人権は認めてほしいが、あいつの人権は認めんぞ!」
「行き過ぎた個人主義は行き過ぎちゃう!範囲としては俺の決めた範囲が絶対としてほしい!」
というようにならないように、してほしいのです。
とくに最後の「行き過ぎた個人主義」というフレーズはどうやら流行らしいですね。しかし、もともと人間の思考に範囲などないのが当然であり、自分たちの決めた常識の範囲を超えているからダメだとして規制をかけたいなあ、というのはワガママとしかいいようがありません。人間は、別にあなたの思考範囲の中に沿うように生まれてきてないワ!ということですね。
こういう夜郎自大な思想になってしまうと、広くアジアに限らず諸国の人々から軽蔑されます。
副大臣へのお願いです。日本という豊かな国の子どもたちが、未来に向かって世界のどの人にも敬愛されるような「人権思想」を身につけられるように応援してください。(くれぐれも、悪い予感が当たりませんように)