「おやつなし ガソリン代を うらみます」
ある子が日記に、「お母さんが今日のおやつは抜きだ、と言ったのでなんでかときいたら、ガソリン代が高かったからでした」と書いた。
令和の世に生きる今の小学生たちは、これからかなり難しい時代を生き抜いていかなければならないことは予想できますね。日銀の黒田さんはすでにボケ始めているという噂もあり、あきらかにインタビューの映像を見ても、「認知がはっきりしていない」感じ。記者の質問に反応するのも力がなく、これで重責を背負わせるのは酷じゃないのか、と気遣う識者も居るくらい。
日本だけ金利を上げずにいて国を亡ぼす方向に向いているわけですが、どうやら日銀の黒田総裁は
「日本だけは特別な事情があるから、だいじょうぶ」
と、まったく周囲の状況を見ることができない。
これは残念ですが太平洋戦争突入時の大本営と同じ症状です。
5年生の児童に、「ガソリン代がなぜ高いか」を問うと、調べてきた子もいる。
なかなか偉いと思うし、今年の夏休みの自由研究にすごい向いている課題だと思う。
5年生としたら死活問題です。毎日のおやつもなし、大好きなガリガリ君も買ってもらえず泣いているのですから。
これはいけない、と兄弟で戦線を組んで協力し、車の中で懸命に交渉した結果、パピコを弟と分けて食べることができたが、
「このままガソリン代が高いままだったら、今年の夏休みは1週間にパピコが1つ(弟と半分こ)、ということもありえます。わたしの心は今、ゆれ動いています」
ということであり、小学生にも安倍内閣の負の遺産は容赦なく襲い掛かる。
さて、日銀の黒田さんが認知のゆがみを呈しはじめた、というのは歴史を勉強していれば明らかであります。
いつも、日本は追い込まれると「周囲がみえなくなり、認知のゆがみが生じた結果、『日本は特殊だから大丈夫』という自尊心肥大を増幅させるだけで、効果的な手が打てずに崩壊した」のであります。
大日本帝国以前からつづく日本の国家的なお家芸ともいえますが、「日本は神の国」と言い出すタイミングはいつも、日本が追い込まれている時代でした。
一番古いのは、日本という国の名前を決めた頃、白村江の戦いのあたりでしょう。
新羅はもともと唐がこわく、日本を味方につけたいので、下手に出る作戦をとっており、倭に対して「貢ぐ」国でした。「唐がこわいんだよね。だから、倭くんだけはうちらを攻めないでね」というわけです。倭の方が、立場が上だったのですね。
ところが白村江の戦いで倭が敗れた際、新羅が「もうあんたのとこには貢がないけど」と言ってきても、「いや倭(日本)は神の国で強いんだから貢ぐべきだ」と言い張ったそうですな。
当時の倭は、はじめて新羅と唐の連合軍に敗れ去って国の形を問い直さねばならないくらいに追い込まれており、賢い人たちを中心に律令国家をはじめるべく奔走せねばならなかったのです。しかしこのとき、担当の大臣が『認知を狂わせており』まして、『日本は神の国』であり、『日本は特殊なのだからぜったい大丈夫』と周囲を説き伏せる(無視)しまして、新羅に向かって『貢ぐんだ。俺は偉いのだから』と言ったらしい。現代のように『日本はもっとも世界で人気がある』的な感じでしょうか。
これが、どうやら日本の宿命らしいです。
日本は、同じことを現代まで延々と繰り返しているわけで。
歴史を学ぶと、すごくよくわかる。
おそらく日銀はこれからもずっと金融緩和をしつづけるでしょうし、円安は止まらないでしょうし、ガソリン代はまだまだ上がるでしょう。
しかたがない。日本はそういう歴史と宿命を背負った国なのでした。
日本は、外部の脅威を感じると、「うちらは特殊だから大丈夫。神の国だ」というのですごしてきたのですが、そのうちに外部の脅威がなくても、外部の脅威とは無関係の状態であっても、そういう具合になっていきます。病気がますます進行したわけですね。つねに政治家にとって、
「うちらは特殊で大丈夫」
は便利な合言葉となります。
平安時代の末期は末法思想が流行し、阿弥陀仏にすがる宗教が流行します。
世界の終わりが近いぞ、という感覚が日本人全体に強まりまして、浄土信仰が大流行するのですが、このとき、浄土信仰にすがろうとする人が多くなる一方、残りの人は「日本は特殊で神の国だから大丈夫」と、自尊心肥大にすがることになったようです。つまり神国思想、です。
同じことが太平洋戦争時にも起こるわけで、構造とパターンはおどろくほど一致します。
平安時代は結局、貴族社会がくずれ、律令体制の崩壊、という形で武士の政権へと根本から大改革されます。貴族たちには結局、1)浄土信仰 2)神国思想 この2つしか道がなかったのです。どちらも、こわいものから目をそらす、という点では変わらず、「認知をゆがませ、目をそらせる」ことでしかなかった、という点が泣けるところです。
このあたりの詳細は、実は以下の本に述べてあります。
わたしの上記の解説はつたないものですから、ぜひ皆様におかれましては以下の本をご覧ください。もっとよくわかります。
常に、他のことが見えなくなり、むしろ自分たちの方が特別な存在であり、自分たちの方が正しいのだ、という節回しを口にすることは、日本のお家芸だと言える、というのが結論でありました。
それが、やっかいなのは、「日本が立場的に厳しくなると必ずそうなる」というところです。
今、ガソリン代だけでなく、円安もそうだし、物価高もそうだし、コロナもそうだし、日本はかなり負のフレーズばかりがニュースに出てきます。オリンピックの予算も嘘ばかりで使途不明金だらけでしたから、おそらく平安末期のように、これは今の日本は「末法の世」に近いのかもしれません。
歴史の流れからすると、こういう時代はいずれ「日本は神の国で特殊だから自分たちだけは大丈夫」と言う政治家がどんどん増えるでしょうし、人気を博すでしょう。
それが日本の国の在り方であり、昔からそういう国だったのですから、あきらめるよりほかないのかもしれません。
おやつは弟とパピコを分ける夏休みになりそうです。
令和の日本は、そこから脱却できるでしょうか。
やっぱ、島国だからね。「自分たちは特殊ですごいのだ」という『井の中の蛙』のような精神性をどこかで持っているのかも。一方で、外国からは常にすごい文化がもたらされるから、劣等感もあるし。むずかしいね。
ところで黒田さん、もういい加減、金融緩和、やめましょうよ。
日本だけ特殊で大丈夫なはず、というのは、おそらく「認知のゆがみ」ですぜ。
ある子が日記に、「お母さんが今日のおやつは抜きだ、と言ったのでなんでかときいたら、ガソリン代が高かったからでした」と書いた。
令和の世に生きる今の小学生たちは、これからかなり難しい時代を生き抜いていかなければならないことは予想できますね。日銀の黒田さんはすでにボケ始めているという噂もあり、あきらかにインタビューの映像を見ても、「認知がはっきりしていない」感じ。記者の質問に反応するのも力がなく、これで重責を背負わせるのは酷じゃないのか、と気遣う識者も居るくらい。
日本だけ金利を上げずにいて国を亡ぼす方向に向いているわけですが、どうやら日銀の黒田総裁は
「日本だけは特別な事情があるから、だいじょうぶ」
と、まったく周囲の状況を見ることができない。
これは残念ですが太平洋戦争突入時の大本営と同じ症状です。
5年生の児童に、「ガソリン代がなぜ高いか」を問うと、調べてきた子もいる。
なかなか偉いと思うし、今年の夏休みの自由研究にすごい向いている課題だと思う。
5年生としたら死活問題です。毎日のおやつもなし、大好きなガリガリ君も買ってもらえず泣いているのですから。
これはいけない、と兄弟で戦線を組んで協力し、車の中で懸命に交渉した結果、パピコを弟と分けて食べることができたが、
「このままガソリン代が高いままだったら、今年の夏休みは1週間にパピコが1つ(弟と半分こ)、ということもありえます。わたしの心は今、ゆれ動いています」
ということであり、小学生にも安倍内閣の負の遺産は容赦なく襲い掛かる。
さて、日銀の黒田さんが認知のゆがみを呈しはじめた、というのは歴史を勉強していれば明らかであります。
いつも、日本は追い込まれると「周囲がみえなくなり、認知のゆがみが生じた結果、『日本は特殊だから大丈夫』という自尊心肥大を増幅させるだけで、効果的な手が打てずに崩壊した」のであります。
大日本帝国以前からつづく日本の国家的なお家芸ともいえますが、「日本は神の国」と言い出すタイミングはいつも、日本が追い込まれている時代でした。
一番古いのは、日本という国の名前を決めた頃、白村江の戦いのあたりでしょう。
新羅はもともと唐がこわく、日本を味方につけたいので、下手に出る作戦をとっており、倭に対して「貢ぐ」国でした。「唐がこわいんだよね。だから、倭くんだけはうちらを攻めないでね」というわけです。倭の方が、立場が上だったのですね。
ところが白村江の戦いで倭が敗れた際、新羅が「もうあんたのとこには貢がないけど」と言ってきても、「いや倭(日本)は神の国で強いんだから貢ぐべきだ」と言い張ったそうですな。
当時の倭は、はじめて新羅と唐の連合軍に敗れ去って国の形を問い直さねばならないくらいに追い込まれており、賢い人たちを中心に律令国家をはじめるべく奔走せねばならなかったのです。しかしこのとき、担当の大臣が『認知を狂わせており』まして、『日本は神の国』であり、『日本は特殊なのだからぜったい大丈夫』と周囲を説き伏せる(無視)しまして、新羅に向かって『貢ぐんだ。俺は偉いのだから』と言ったらしい。現代のように『日本はもっとも世界で人気がある』的な感じでしょうか。
これが、どうやら日本の宿命らしいです。
日本は、同じことを現代まで延々と繰り返しているわけで。
歴史を学ぶと、すごくよくわかる。
おそらく日銀はこれからもずっと金融緩和をしつづけるでしょうし、円安は止まらないでしょうし、ガソリン代はまだまだ上がるでしょう。
しかたがない。日本はそういう歴史と宿命を背負った国なのでした。
日本は、外部の脅威を感じると、「うちらは特殊だから大丈夫。神の国だ」というのですごしてきたのですが、そのうちに外部の脅威がなくても、外部の脅威とは無関係の状態であっても、そういう具合になっていきます。病気がますます進行したわけですね。つねに政治家にとって、
「うちらは特殊で大丈夫」
は便利な合言葉となります。
平安時代の末期は末法思想が流行し、阿弥陀仏にすがる宗教が流行します。
世界の終わりが近いぞ、という感覚が日本人全体に強まりまして、浄土信仰が大流行するのですが、このとき、浄土信仰にすがろうとする人が多くなる一方、残りの人は「日本は特殊で神の国だから大丈夫」と、自尊心肥大にすがることになったようです。つまり神国思想、です。
同じことが太平洋戦争時にも起こるわけで、構造とパターンはおどろくほど一致します。
平安時代は結局、貴族社会がくずれ、律令体制の崩壊、という形で武士の政権へと根本から大改革されます。貴族たちには結局、1)浄土信仰 2)神国思想 この2つしか道がなかったのです。どちらも、こわいものから目をそらす、という点では変わらず、「認知をゆがませ、目をそらせる」ことでしかなかった、という点が泣けるところです。
このあたりの詳細は、実は以下の本に述べてあります。
わたしの上記の解説はつたないものですから、ぜひ皆様におかれましては以下の本をご覧ください。もっとよくわかります。
常に、他のことが見えなくなり、むしろ自分たちの方が特別な存在であり、自分たちの方が正しいのだ、という節回しを口にすることは、日本のお家芸だと言える、というのが結論でありました。
それが、やっかいなのは、「日本が立場的に厳しくなると必ずそうなる」というところです。
今、ガソリン代だけでなく、円安もそうだし、物価高もそうだし、コロナもそうだし、日本はかなり負のフレーズばかりがニュースに出てきます。オリンピックの予算も嘘ばかりで使途不明金だらけでしたから、おそらく平安末期のように、これは今の日本は「末法の世」に近いのかもしれません。
歴史の流れからすると、こういう時代はいずれ「日本は神の国で特殊だから自分たちだけは大丈夫」と言う政治家がどんどん増えるでしょうし、人気を博すでしょう。
それが日本の国の在り方であり、昔からそういう国だったのですから、あきらめるよりほかないのかもしれません。
おやつは弟とパピコを分ける夏休みになりそうです。
令和の日本は、そこから脱却できるでしょうか。
やっぱ、島国だからね。「自分たちは特殊ですごいのだ」という『井の中の蛙』のような精神性をどこかで持っているのかも。一方で、外国からは常にすごい文化がもたらされるから、劣等感もあるし。むずかしいね。
ところで黒田さん、もういい加減、金融緩和、やめましょうよ。
日本だけ特殊で大丈夫なはず、というのは、おそらく「認知のゆがみ」ですぜ。