30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2022年05月

電力不足をどうするか

今年3月、政府は初めて「電力ひっ迫警報」を発令した。
なぜここにきて、電力不足が懸念されているのだろうか。

ここ最近、全国の火力発電所が老朽化のため撤廃されている。
廃止する火力発電所は、石油火力発電の大井火力発電所1~3号機(東京都)、LNG(液化天然ガス)火力発電の横浜火力発電所5、6号機(神奈川県)、知多火力発電所1~4号機(愛知県)であり、合計した発電能力は383万キロワットと大型原子力発電所の4基分にも達する。

なぜ廃止するのか。建設ラッシュだったころから50~60年以上経つ発電所も多く、これをメンテナンスする費用が会社の財政を厳しくさせているためだ。株主集会では、これらのお荷物を早くつぶせと要求している。そのために、この夏および次の冬には電力が不足するのではないか、と経済産業省が気をもんでいる。

「もう原発しかないんですよ」

テレビで識者が語っていた。経済産業省のキャリアだ。
世の中の電力消費を抑えるように、国民に呼びかけることには限界がある。

「原発で永続するエネルギーを得るしかない。世の中の需要にこたえるためです」

説得力があった。

ただし、経済産業省は11年前のフクシマ原発事故に対して責任があり、その責任を果たしていない。どう安全を守るかを提示できず、汚染された水ばかりか事故を起こした炉そのものをどのように処理するかについても、まったくなんの説明もできないまま、時間をかせいでいるだけだ。だから冒頭のキャリアも頭を抱えている。「原発を進めるための合理的な説明はまだできる段階ではない」

しかし、このテレビに映った方は、誠意のある方だと思う。きちんと悩んでおられるのだから。
頭を抱える、というピュアさがあり、人の心をうつ。
正直、頭を抱える、というくらいしか、もうやることがない。そんな感じだ。

手塚治虫が火の鳥で、「永遠の命、永遠の火、永遠のエネルギー」ということを語っている。
当の本人が「原子力の危うさ」ということを言っているのだから、火の鳥が原発を意識していることは自明だろう。手塚さんは「鉄腕アトム」を描いた後、原子力、というものに向かわざるを得なかった、と述懐している。

その「火の鳥」のなかに、「永遠の命がほしい」と呻(うめ)く権力者が登場する。
「永遠の命、永遠のエネルギーを欲する気持ち」は、今の世と変わらない。
古代人も、平安時代の人も、平清盛も、未来人も、作品「火の鳥」の中では、どんな登場人物もみな、「永遠のエネルギー」を欲しがるのだ。そして、七転八倒し、もだえ苦しむ。

現代人が、火の鳥に登場する権力者と同じく、「永遠のエネルギー」を欲しがるのも無理はない。
それは、人間が人間である証左のようなもの。
たしかに、むさぼるようなその気持ちもわかる。人間だもの。だって、永遠のエネルギーが手に入れられたら、どんなにむさぼっても良いのだから。

古来の日本人が大事にしてきた心に、「貪(とん)」「瞋(じん)」「痴(ち)」を放す、というものがある。仏教では、これらは「心の三毒」として教えられている。神道にも同様の教えがある。神道では「清める」ということを大事にする。身を清めるために大事なこととして、これらに陥らないように自戒する。美しい所作も心も、清められた意識も、「むさぼる心」を放すことからだ。

「もう原発しかないんですよ」

永遠の命、永遠のエネルギーをほしがる心。
それを自らの心のうちに、はっきりと自覚するからこそ、テレビに映った経済産業省のキャリアは、呻くのだろう。
永遠の命がほしい。「不死をねがう心」をはっきりと自覚する。これこそが、人間らしさだと思う。

日本人は古くから、その自覚ははっきりしていたと思う。
なにせ、富士山は、もともとは

不死山

だったらしいから。たえず噴火し、おさまる気配がない活火山。そこに畏怖の念はもちろん、あこがれに似た気持ちももったにちがいない。古代より、『不老不死』を願い、永遠のエネルギー、永遠の富、永遠の繁栄を願ってきたのが、われわれ日本人だ。

我々は、おそらく「原子力発電所再開」に向かうだろう。
そして、手塚治虫の「火の鳥」をくりかえすのだ。

それにしても、手塚治虫はどうして火の鳥を、「まったくすばらしい存在」として描かなかったのか?今になってその理由がわかってきた。改めて「そうとしか描けなかったのだろう」と思う。

火の鳥はどの編を読んでも、まったく孤独の存在である。
それはそうだ。この世界で唯一、死を恐れることができないのだから。
その孤独の苦しみ、悲しみを背負うから、「HAPPY!YEAH!」と叫ぶだけの鳥にはならないのが当然なのだろう。どのページを見ても、火の鳥は美しいし、超然としているし、かっこいい。しかし、どこか寂しさを抱え、孤独さをただよわせ、どこかあきらめたような悲しさを湛(たた)えている。

火の鳥とSDGS
今、この作品「火の鳥」を題材にして、不老不死を願う人間の「むさぼる心」を鋭くえぐるような授業を構想している。これを今年のSDGs学習の基本線にしようかな。最終的には電力不足を子どもたちなりにどう解決するか、原発を再稼働するかどうかまで、討論できるようにしていきたい。

みそとマヨネーズと醤油の話

きゅうりにマヨネーズをつけて食べることがある。
「マヨラー」ではないが、基本的にマヨネーズが好きな方だ。
しかしその日は、マヨネーズが切れていた。そこで、みそをつけて食べた。
もろみ味噌とか、金山寺みそではなかったが、ふつうのみそでも十分美味い。

食べながら、みそとマヨネーズは同じようなものだな、と一人で考えた。
となれば、マヨラーがいるくらいだから、みそらーもいるだろう、と思う。
たぶん、検索すればごまんとヒットするだろう。
日本人に限らず、世界中に『みそらー』がいるにちがいない。

マヨネーズとみそが近いという話を、人生街道をあゆむ途中、あちこちで聞いた。
レストランのシェフをしていた人に聞いたことがある。
その人が勤務していた場所は、なんだかたいへんに高級なレストランらしかった。
ひょんなことから私は、その人物と2週間ほど共に話をしたり生活をしたりすることがあった。
いっしょに昼食を食べながら、その人が食卓のみんなに言ったのが、

「うちの店では、マヨネーズに白みそを隠し味にしてましたよ」

というセリフ。つづいて、

「マヨネーズとみそは、基本的に非常に相性が良い」

ということでありました。

もうひとつは、ひとしきり「金山寺みそ」が話題になったあとの

「もともと、しょうゆとみそって、同じものだったんですよ」

という話で、それはみんな、へえ!?という反応だった。

たしかに材料は同じようなものだし、発酵食品であることや、作り方も近似している。
同じようなものといえばそうなのか・・・。

調味料のうち、もっとも原始的なものは「塩」でありましょう。
そもそも人間が肉体的に疲労した場合に塩気を求めるのは、ごく当然で、必要なことですからね。
つぎに、穀類などを発酵させて「麹」をつくり、さらに塩とまぜて「もろみ」がつくられました。

これがまあ、ミソのようなものでもあり・・・
さらにしぼれば、しょうゆになるわけで・・・
たしかに、似ているし、同じようなものか。

これを自作することができれば、さぞかし「食生活」は豊かに感ぜられるだろうと思う。
みそは自作したことがあるが、しょうゆはまだ未・チャレンジである。この世で最も強いといわれる『なっとう菌』にもいつの日か、挑戦してみたいモノだナ・・・。

勝手にイメージするだけですが、自分でしぼった「しょうゆ」で、とれとれの烏賊の刺身など食った日にゃ、さぞかし「贅沢」を感じられるだろうと思うネ。以前、金をかけるぜいたくと、手間をかけるぜいたくと比較した、という心理学の研究があった。結果は、手間をかけた方に、人間は「ぜいたく」を感じるらしい。ただし、これはアメリカ人を対象にした心理実験の結果である。

みそに関することわざは多いが、しょうゆに関するものは案外少ない。
「酢でも醤油でも、くえぬものは食えぬ」
ということわざがあるらしい。
食べられないものは、どんなに味をつけてもダメ、という意味だ。
ふつう日本の食べ物は、だいたいが酢で和えたり、醤油で味をつければ食える。
しかし、その酢でも醤油でもダメ、というのなら、もう何をしてもダメで食えない、ということだろう。逆に言えば、和食のほとんどは「酢か醤油」が大活躍をしている、ということになる。

こう考えてみると、その醤油や味噌の原料である「大豆」は日本人の宝であります。
ところが今や日本人が食べる味噌のほぼ99%が輸入大豆だという。
このことを憂いて、「大豆を霞が関でつくろう」と宣言をした官僚がいて、ビルの屋上で大豆をつくりはじめたが、残業に次ぐ残業で面倒がみれず、計画が挫折したと聞いた。
またこの話を憂いた国会議員がやはり、「大豆こそ日本人が日本の土地で育てるべし」と喝破したが、わたしもそう思う。で、教室のプランターで育てている。若さや(枝豆)ができてもビールと一緒に消費しないように気を付けようと思う。

vegetable_daizu
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