30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2022年03月

タモリさんが冒頭のあいさつから1時間以上“沈黙”をつらぬいた理由

.
テレビ局は、「中立の立場」をとることに、なっている。

この、・・・ということになっている、というところが、情報リテラシーの肝心かなめの部分。

実は、・・・ということになっている、(けれども、そうなっていないこともある)、ということが、情報リテラシーの学習で、いちばん大事。


過去に、TBSというテレビ局が、「町の声」として、「いつもでる町の人」を使ったことがあった。

映像を見ると、芸能人の事件の時になると、なんだか何回も出てくる女性の人がいて、その人が今回もインタビューに出ている。

そして、いわゆる適切な、・・・ということになっている、「町の声」を代弁していた。

これは、TBSの下請けのニュース制作会社が、表向きは、時間をかけて事実実態を報道する・・・ということにして、実際には、役者さんを雇ってセリフを言わせることにより、短時間で仕事を済ませていた、ということなのだが、それを、いかにも

「たった今、ふつうに街を行く人に、たまたまインタビューしたのです」

・・・ということにした、というあたりが、まあ、問題と言えば問題だ、ということで、当時はずいぶん、このことが問題視された。




さて、小学校でふつうに情報リテラシーの授業をするときは、最初に、

「ネットでは、それぞれの人が真実を語っている、ということになっている」

という命題を学習する。

それは同時に、

「・・・ということになっているが、その真偽のほどは定かではない」

ということである。

これを習うから、リテラシーの授業をやった後は、かなりの程度、人間不信、あるいは情報不信に陥る。

「先生、ネットの書き込みってうそばっかりなの?」

というから、

「いや、本当、ということになっているだけで、本当かどうかは、だれにも分からないんだ。本当に本当かもしれないし、嘘かもしれないし、一部の人には本当かもしれないし、またちがう立場の人には嘘かもしれない」

と答えている。

すると、子どもたちは、とても不満そうである。

「なんで、本当のことを言わないの?」


なるほど、至極もっとも。

「いや、本当かもしれないしね。もっともっと調べてみないと分からない、ということもあるし。また、調べてみても分からないことがたくさんある。時間が経てば、本当になる場合もあれば、時間が経つと、うそになる場合もある。ほら、STAP細胞って、あったでしょう?」

ここまでいうと、子どもたちは



「・・・じゃ、もう、いいよ。なんか、情報リテラシーって、つまんないね」


と言う。


もう、情報にはつきあいきれない、ということらしい。


テレビの街角インタヴューは、たまたま街を歩いている人に、質問してる・・・ちゅうことに、なっておる。
個人情報は漏らされない・・・ちゅうことになっておる。
NHKは中立・・・ちゅうことになっておる。
中国が尖閣諸島を狙っている・・・ちゅうことになっておる。
プーチンは理由もなく善人を攻撃した悪人・・・ちゅうことになっておる。
アメリカは正義でいつも正しいことをしている・・・ちゅうことになっておる。
北朝鮮は核開発をしている・・・ちゅうことになっておる。


こうしてみると、

・・・ちゅうことには、一応、なっているんだけれどネ・・・

という感覚が、アタマの中を、勝手によぎるように、なります。


つまり、ほとんど、世の中のことは、分からない、ということが事実ではないだろうか。


・・・で、問題なのは、人間はみんな、「分かりたい病」にかかっていて、「分からない」という状態が、とても苦手だ、ということ。

みんな、目前の世界のことで、いっばい、いっばいだから、早く立場をハッキリさせないと、現象面のことで右往左往してしまう感じがあって、耐えられないのだろう。


しかし。

これからの時代は、「分からない」ということが平気だ、と言う人間がもっとも強いのではないか
おそらく、この「分からないという感覚」をずっと長く保てる人が、もっとも客観的で、もっとも冷静で、もっとも多角的な視野を保てるだろうから。(情報無視とかじゃなくてね。無視もまた苦しいだろう)

情報弱者という言い方もあるが、情報収集量が少ない、ということではない。すぐに全体像が分かった、あるいは自分には分かる能力がある、と思ってしまう思考のことを「情報に弱い」というのだろう。


情報リテラシー


先日、タモリさんが18日夜、ロシアのウクライナ軍事侵攻を伝えたテレビ朝日系の報道番組「タモリステーション」で、番組冒頭のあいさつから1時間以上“沈黙”を貫いた。

タモリさんは、終了間際に「一日も早く平和な日々がウクライナに来ることを祈るだけですね」とコメントした。

これ以外に何も発言しなかったことについて、賛否両論あるらしく、ネットでもマスコミでもあれこれと話をしている。

なぜこのタモリさんの行動がいまさらながらにピックアップされているかというと、

「分からないことは分からない。ただ一つ、自分が平和を願っていることだけが確か」

という、あまりにも当たり前の姿勢を、なんの粉飾も、飾り立てもせず、タモリさんがごく自然にとったからだろう。
そして、そのことに、改めて多くの人がハッとなり、「初心にかえった」からではないだろうか。

知らないこと、分からないことを、そのまま「分からない。知らない」とできる強み。

これこそが、小学生が身につけるべき、情報リテラシーの根幹でありましょう。
そして、全国の教師は、「いまだ知りえず」ということに勇気を持たなければならない。
いちばんやっちゃいけない教育の根幹は、

「嘘を教える」

ことであり、まだ分からない、まだ知らない、ということについて、
教師は命をかけても、必ず、ぜったいに、知ったかぶりをしては『断じて』ならない。

※情報リテラシーの意味

「情報を活用する創造的能力」のことを指し、情報手段の特性の理解と目的に応じた適切な選択、情報の収集・判断・評価・発信の能力、情報および情報手段・情報技術の役割や、情報による影響に対する理解など、“情報の取り扱い”に関する広範囲な知識と能力のことをいう。」(By 情報マネジメント用語辞典)

『信じる』を学級ではどう扱うのか

対カルト、との距離の置き方、護り方、つきあい方のコツ。
先生方は、このスキルをどれくらい身につけていらっしゃるでしょうか。

わたしの学年・クラスではありませんでしたが、身近な事例だったので、ここで言及しておきたいと思います。

さて、そもそも、です。
「保護者と子どもを守る」というのが、担任の務めであります。
学校は、保護者を守るのが使命である。また、何よりもそれは、『子どもを一人の人格として護りきる』ためなのです。そのために、保護者も同時に護るし、世間からも護る、あらゆる誤解からも護る、というのが使命です。

そこで大事になってくるのは、「線を引く」ということであります。
Aさんが何を信じても、それは信教の自由。
Bさんが何を信じても、それも信教の自由。
王様や皇帝のいうことを「そうです」と言わなくてはならなかった中世とはちがい、現代は数々の人権獲得の闘いを経ております。人類史を後退させることはありません。「だれもが自身の良心に従って、自由に思考し、自由に発言し、自由に過ごしてよい」のです。

だから、Aさんが〇〇はゼッタイだ、とする思考を、Bさんに「押し付ける」のはちがう。
それは、Bさんの信教の自由を奪うことになります。
それはやってはいけない。学校は、Bさんの『心の自由』を守らなければならない。

このことをどうやって守り切るのか。
先生たちは、非常に難しい「舵取り」をこれからは普通にこなしていかなければならない。
つまり、カルト信教の保護者と、うまくつきあう、ということが大事になってくる。

学校はすべての人にとっての「安全基地」であるべきです。
しかしそれはあくまでも理想論であり、それをすべての学校、学校の人材が引き受けきれるかと言うとむずかしい。なぜなら、たった1人の不安さえ、まともに引き受けるのはたいへんな事だから。


今、カルト信者の親が増えています。
ここで大事なのは、そのカルトを信じる親自身をもまた、学校は護っていくのが使命だ、ということです。カルト信者だからこそ、と言った方が良いかもしれない。
カルトにはまる親、どっぷりと浸かる親、思考の安定しない親、言うことがころころ変わる親をも護る。学校は、その方を守るのが使命なのです。

学校は、そのカルト信者によってダメージを受けた親子を守ると同時に、そのカルトによる強固な「正義」をふりかざして他を責めている親子その人を、また、護るのです。
これは、なかなか難しい。

だが、今後は、学校の担任が身につけていく、大事な素養になっていくでしょう。
もしかすると、担任がそういうスキルを身につけていたとしても、肝心の管理職がそのような素養をもたず、混乱に輪をかけることになるかもしれない。教育委員会そのものが、カルトとの闘い方、付き合い方を知らない場合もあるでしょうし、そうなると地獄ですね。

これからの教育界が実は覚悟して身につけなければならないのが、この
カルトとの距離の置き方、身の護り方、つきあい方のコツ
なのです。

過去には「代理ミュンヒハウゼン症候群」の母親が、担任を陥れるという事件があり、福岡「殺人教師」事件としてマスコミでも大々的に報道されたことがありました。最初は教師が処分を受けましたが、冤罪でした。母親がカルトに染まっていたのです。ただしもうすでに二十年ほど過去の事件。完全に風化しているし、覚えている人も少ないでしょう。裁判長は、教師を無罪としました。

人格障害が疑われるような言動を繰り返す人もいる。その人のせいではなく、その人をそうさせてきた環境があったのだが、それを教育現場の一個人がすべて担い、「安全基地」として機能するのは、荷が重すぎる。
つまり、教育現場が対応する許容量を超える「対応」が求められているのが実態で、それはたしかに痩せた馬に、荷がかちすぎる、のであります。

まずは、誰もが前提としてわきまえることとして、

自分以外の他の親に向かって、あるいは子どもに向かって、

〇〇すべきだ
〇〇しないのはおかしい
〇〇じゃないとダメだ


というようなことを言わないようにする。
これだけでも徹底できれば、仮にカルト的な思考をそれぞれが持っていたとしても(持っていても良いのだ)、それが表面的に出てこず、責める行為が顕在化しないでしょう。顕在化しないことで、どれだけの人が助かるかしれない。腹では何を考えていても良い。それこそ信教の自由だ。しかし、それをもって子どもを責めるのは道理が違う。

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CANVAでポスター展をはじめてみた

CANVAという、動画や音声、写真やテキストを効果的に使って作成する、プレゼンテーションや広告?に特化したアプリケーションがありますね。

それを使って、子どもたちに表現させる、というのが始まっています。

作品例をつくってみました。

リンクを貼っておきます。
https://www.canva.com/design/DAE7VPbDwGI/Sqa4pbtx-T0I5fm-oCbEbA/watch?utm_content=DAE7VPbDwGI&utm_campaign=designshare&utm_medium=link&utm_source=publishsharelink

子どもたちが、学校を紹介するビデオをつくったり、
自分の興味のあることを仲間にプレゼンしたりするのに使えそう。
なんとなく、簡単なプラットフォームで、おそらく子どもは直感的にいろいろとつくることができるだろう。
音声も動画も写真もテキストも、なんならGIFアニメーションもOKだ。

ちょっと導入に意欲がわいてきた。

龍の道

50過ぎて、泣くのが楽しいと思い始める

50を過ぎたおっさんが、人前でわんわん泣いていたら誰だって「ひく」だろう。
わたしも同じだ。隣でおっさんが泣いていたら、ちょっと避ける。

ところが、泣く方からすると、これが本当に快感でありまして、
やったことがある人はわかるだろうなあ、という感覚であります。

今回も、泣き顔を、5分くらい人前にさらしてしまいました。
5分泣き続けると、もういい加減、『芸』のうちであろう、というのが私の解釈だ。
ただ洟をすするとか、嗚咽するとか、そんなことの繰り返しだと飽きてくる。
だから、時折、「笑い」をはさむ。

わたしの話を聴いている保護者が、一斉に笑う。
わたしもつられて笑ってしまう。
すると、泣いているのか笑っているのか、ちょっと分からなくなりますが、
涙も乾いてくるのですが(途中で)

でも、最後にまた、子どもたちの次の新たな出発を語るくだりで、結局はまた、むせび泣くのであります。私はこれを、礼服や綺麗な着物を着飾った保護者の前で、だれに遠慮することもなくやってのけることができる。教師に生まれて良かった、とつくづく思いますナ。

卒業式で、入学した6年前(正確には5年と11か月半前)の映像を見たのです。
6年前のビデオカメラの性能たるや、もう本当にレベルが高い。ばっちりと子どもたちの表情も精密に映っている。画素数も高い。

かわいい顔をした、あどけない顔をした、あの子もこの子も、背の高かったAちゃんも小さかったBちゃんも、みんな映っておりました。

そしてその後方に、たくさんのカメラを持った保護者が、期待と不安をないまぜにした、なんともいい顔で、たくさんみえるわけです。

わたしはもう齢50を過ぎております。
だから、このときの保護者の気持ちが、イタイほどよくわかった。
入学式の保護者と、今日の卒業式の保護者は、同じ保護者なのです。
同一人物。

つい先ほど、テレビ画面で大写しにしてみたのは、6年前の保護者で、今実際に目の前にいるのが、6年後の今の保護者のわけだ。6年間、子どもをずっと見てきた親のことを思うと、目の前に参列する保護者を見ていると、もうこれは見ただけで泣けるのであります。

子どもがつまづきそうな小石があったらそれを拾おうとし、
枝が落ちていたら拾い、
楽しくわくわくして登下校してほしくて花を植え、木陰で休めるように木を植えて。

そういうことをたくさん、たくさん、保護者は毎日のようにやってきたわけで。

それを思うと、もうそれだけで泣けてしまい、今日もまた、私はマイクを持ったまま、卒業式で保護者への一言がなかなか言い始められず、ハンカチで涙をぬぐうのであります。

そしてその姿を見て、思わずもらい泣きをする保護者もいたりして、それを見てまたもらい泣きをする他の学年の先生もいたりして、ただただ、広い体育館に大勢の大人の、鼻をすする音が合奏となり、こだましておりました。

わたしは毎朝、学校へ行く際、小さな水筒にお茶を入れてもらっています。
嫁様が毎朝、それをしてくださるわけですが、わたしがなにか今日の授業のことを思いついてニヤニヤしていると、

「あ、にやにやしてる。なに、にやにやしてるの」

と、興味を持って聞いてきます。

授業のことを話しても伝わらないのでごまかして出発するのですが、
それにしても、そんなふうに、楽しそうに学校に出かけるのが嫁様には伝わるらしく、

「いいなあ。楽しそうだよね」

と言われることもある。

その話を子どもたちの前で、最後に話した。

「こんなふうに、おうちで先生は、いつも楽しそうでいいね、と奥さんに言われて毎朝、学校へ通うことができました。これはもう、みんなのおかげで、みんなと出会えて、毎日こうやっていっしょに勉強したり、暮らしたりすることができたからです。感謝です」

ところがこれだけの内容を言うのに、また泣ける。もう、一日に、何回も泣けるのです。
これが、としをくった、ということの具体的な姿ですね。もう涙腺を押さえるための筋肉が、弱ってしまって動かないのですよ、きびきびと。だから、もう鼻水と同じく、だだ漏れ。

で、泣いた後、もうすごくさわやかな感じがある。
これは、泣くことの効能でしょうね。人間に与えられた、とてもいいシステムであろうかと思います。上手に感情をメンテナンスする、とでもいいましょうか、そういう大きな「癒し」効果があるね、泣くことには。

平安時代、在原業平という人をモデルにして書かれた「伊勢物語」。
それをみると、当時の大人の人がいかによく泣いたかが、わかる。
たとえば、

「“かきつばた”という五文字を句の先頭に置いて、旅の心を歌に詠め」
と言ったので、詠んだ歌は、
からころもきつつなれにしつましあればはるばる来ぬるたびをしぞ思ふ
〔唐衣を着ているうちに体になじんでくる褄つまのように、長年連れ添って馴染んだ妻が都にいるので、はるばるとやって来た旅のわびしさが身にしみることよ〕

と詠んだところ、みな乾飯の上に涙をこぼして、乾飯がふやけてしまった。

という部分があったり、さらには

ちょうどその時、白い鳥でくちばしと脚が赤い、鴫ほどの大きさである鳥が、水の上を動き回びながら魚を食べている。
京では目にしたことのない鳥なので、一行は誰も見知っていない。
渡し守に訪ねたところ、
「これが都鳥だよ」
と言うのを聞いて、
名にしおはばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと
〔都鳥よ、そんな名を持っているならば、さあお前に訪ねようじゃないか。京の都にいる、私の愛するあの人が無事でいるのかいないのかを〕

と詠んだところ、舟に乗っていた者はみなこぞって泣いてしまった。

などという部分があり、当時の人が運命に逆らえない世の不条理を思うたびに、いかにわんわんと泣いていたかがわかる。

これは理があることで、本当に泣くと、スッキリする のであります。
古来より人間は、泣くことで感情をメンテナンスして、生きてきたのでしょうね。

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『終わり』という感覚がない子

学期末に近づくと、子どもたちは荷物を持ち帰ります。

最終日、両肩に荷物を食いこませる。

その上、さらに両手にも荷物をぶら下げて帰宅する猛者もいる。

「せんせ・・・くるしぃ・・・」

だ、だいじょうぶ?と聞くが、

「なんとか・・・帰ります・・・」

歯を食いしばって歩いていく。



これは、どうしてこういう事象が起きるのか、不思議ですが、子どもからすると

「まさか、休みがくるとは思わなかった」

ということらしい。(事前に忠告は何度も受けているのに、ですよ?)

永遠に、毎日のように自分の人生は繰り返されて行くのだ、という感覚になっていて、朝起きてご飯を食べたら靴を履いてランドセルをしょい、友だちと道を歩いて教室に入り、みんなとすごすのがつづく、と思っている子がいる。

もちろん、きちんと毎日のようにカレンダーを見て確認し、

「最終日まであと10日。よし、そろそろ絵の具は持って帰ろうかな」

と計算できる子もいる。

しかし、まさか、この学年が、この学級が、おわってしまうとはついぞ考えたことが無かった、という子もいるのである。

いよいよ終業式が終わり、教室も片付いて、通知表ももらって、

「春休みですね、みなさんさようなら」

となってから、ぼうっと立ち尽くす子もいるのである。
「まさか、こんな形で終わるとは」
「人生に、こんな区切りがあるとは思わなかった」
「この毎日が、俺の人生のすべてだったのに」
「ずっとこの日常が、毎日が、くりかえされていくと信じていたのに」

とまあ、こんな雰囲気の心情であるのだろう。(推測)

とてつもなく不安な顔をしたまま、その子はゆっくりとランドセルをしょい、
水彩画のセットを肩にかける。
そして反対側の肩から画板をさげ、その上から今度は体操着袋をあらためて背中に背負う。

そして左手に図工の木工作品や家庭科でつくった布の袋や裁縫道具などを入れた巨大な「作品袋」を持ち、右手に上履きやらぞうきんやら、しばらく学校に忘れていたジャンパー等を入れたこれも大きな袋をさげたところで

「先生、ぼうしを頭にのせてください」

と言う。

見た目はもう、

特別に仕上げた雪だるまのような雰囲気。

さらに、そのまま、画板をあちこちの机の角にぶつけながら歩いて昇降口へ移動すると、お世話好きで心配そうに見ていたクラスの気の利く女子から、

「あ、Kくん、これ忘れてる」

と理科の観察バッグと地図帳の入った袋を渡されるが、もうなんとしてもどこにも持つことができず、女子にうしろからランドセルをあけてもらって、そのふたの部分で地図帳と観察バッグを無理やりにはさみこんでもらって、なんとか『ほうほうのてい』で下駄箱へ行き、泣きそうになりながら靴をさがしてもらってはかせてもらい、まるで遠くから見ると人ではなく荷物が移動しているかのような恰好で、帰宅するのである。

すべての子がこういうわけではないが、こういう子も中には、いる。

「まさか、この幸福な毎日に、突如として終わりがくるとは信じられない」

という感覚でしょうか。

最後に「これでおしまい」ということになってから、

「え!?終わっちゃうの?ほんとうに?」

と言った子がいて、そのセリフを実際にわたしは聞いたことがありますが、子どもというのは、時間の感覚も大人とちがうし、なにかが終わる、という感覚も、まだ育っていないのでしょう。

ただ、大人の方がそれに縛られている、という見方も一方では存在しています。
別に、本当はどうでもいいのかもしれません。
春だからこうしようとか、秋だからこうしよう、というのも、ね。
キメツケないでもいいことでは、ありますナ。

というか、本当に人間にふさわしいシステムというのは、もしかしたら違うかもしれない。

1年ごとに区切りをつけなくてもいい、という前提で社会のシステムをつくった方が「生きていきやすい」という人もいるだろう。

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仮説実験授業~電球が光るだろうか?~

理科を教えていない。
今年から。
なぜかというと、文科省がある計画を持っていまして。
小学校も、一部、中学校のように「教科担任制」にしようとしているのです。
(教科担任制の大きな目的は、児童に対して教員がチームで対応するためだそうです)

私は今年、理科と外国語と音楽は担当しなかった。それぞれ、他のクラスの先生と、交換したのであります。わたしはその代わり、図工を4クラス受け持ち、算数も3クラス受け持ちました。こうすると、やはり効果はありまして、理科の準備をしなくて済むのは、これは非常に「時間を生みました」。

自動車で例えるなら、高速道路をつねに5速・150kmで1年中、ずっと走り抜けるような感じはなくなり、時折、人間らしく40kmくらいの時速で、まわりの景色の様子もみながら、3速くらいで走れるような気分さえしたのですね。
だから、他の学年でヘルプが出るとかけつけることもできたし、周囲の先生がお休みされたら、その分もかなりサポートすることができました。コロナもあったので、「とつぜんの休み」というの、今年は多かったですからね。

ただし、理科を教えなかったのは、ちょっと残念なことでもあります。
だって、理科、たのしいからね。

だから、卒業前に、わたしが理科の授業をしました。
子どもたち、驚いていましたよ。
新間先生は理科ができないんだ、と思い込んでたって。

実際にはもう教科としての理科の授業は終わりになっていて、他の科目も終わっているために、時間がうまれました。卒業式の練習も、しゃかりきになって「返事の練習!」と怒鳴り散らす雰囲気もないですし、のんびり仮説実験授業でもやろうか、と。

これは盛り上がるのですよ。もう、台本と流れができあがっていて、その通りにやればどの先生が進めても、子どもたちは自立して考えていきます。本当は、学習というのはこういう思考の流れが必要なのでしょうね。理にかなっているのだと思います。子どもの反応は、仮説実験授業はぴかイチです。

さて、以下がその進め方。

100V電源につないだ、テスターを用意する。
回路には、電球がつながれている。
この電球は、5WとLEDの電球の2種類を用意した。
電気が通じれば、電球が光る仕組みだ。


回路の途中に、さまざまなものを挟んでみる。


①金属スプーン

「スプーンを、回路の途中に挟みます。電球は光るでしょうか?」

予想をノートに書かせる。
となりの友達にも、書いた予想を見せて、お互いに確認させる。

「では、やってみます」

電気がつうじて、電球が光る。

「光りました。ノートに、金属スプーンは電気を通す、と書きなさい」

②10円玉

「10円玉を、回路の途中に挟みます。電球は光るでしょうか?」

これも予想を立てさせる。
ほとんどの子が、光る、と書く。
やってみると光る。結果を書かせる。

③1円玉

これは、意見が分かれる。
同じようにさせる。
光る。
ノートには、『1円玉は電気を通す』と書かれることになる。

④5円玉
⑤100円玉
⑥1000円札

「紙は電気を通さない」
「お金のインクも電気を通さない」

⑦アルミホイル
⑧銀の折り紙
⑨金の折り紙

「金色の折り紙は、やすりでけずって銀色にすると、電気を通す」

⑩お菓子の材料の【アラザン】

「これは砂糖の粒の表面に、銀が塗られています」

⑪銀色のマーカーで書いた線

ここまでで、まとめを書かせる。
ひと言で、【結局、どんなものが電気を通すと言えるか】を書く。

金属は電気を通す。銀色のものが多い。金属では自由電子が動くので、電気を通すことになる。銀色の顔料マーカーは、アルコールが主成分の顔料だから、電気を通さない。


⑫えんぴつの芯

鉛筆をどろぼう削り(両端を両方とも削る)にして、両極から電気を通してみる。

「金属は電気を通しますが、グラファイトとよばれるものも、電気を通します」

ちなみに、鉛筆で回路を描くと、その芯の線上には微量だが電気が流れる。
このことから、鉛筆で書いた安価な電気回路もできると思う(思うだけ)。

⑬カレー(麻布十番ビーフカレー、というやつ)

麻布十番ビーフカレー、というカレーが売られている。
買い物中、なんだかピカピカ光る箱があるので、よく見てみると、カレーの箱だ。
ロゴの部分が、ピカピカしてる。
「通電するんやないやろか」と怪しみ、買ってみた。
その箱のロゴの部分、けっこうメタルな色である。これに、電気が通るか?

麻布十番カレー
麻布十番カレー



これ、見事に電球が光る!(ちょっと、オドロキ!)


⑭レモン

「カレーのついでに、果物を買ってきました。果物には、電気が通じるでしょうか」

これは、なんだかみんな通る、と確信している。
なんで?と聞くと、
「すっぱいから。すっぱいものは、電気を通す。だって、ポカリスエットは電解うんたらって言うし」

結果、見事に通電!

⑮グレープフルーツ
⑯バナナ
⑰きゅうり

「野菜はどうでしょうか」

⑱ナス
⑲じゃがいも

ここまでで、さらに突き詰めて書かせる。

ひと言で、【結局、どんなものが電気を通すと言えるか】を書く。

金属とグラファイト、そして野菜や果物は電気を通す。


教師「金属は、もともとどこにありましたか?」

子「地面の下。土のなか」

教師「そうですね。グラファイトも、山の中の天然の鉱物から採れるものです」
では、じゃがいもはどうですか?」

子「土の中です」

教師「果物も、土の中から栄養分を取り入れて、実がなったものですね。
では、再度、さらに突き詰めて、書いてみてください」

金属とグラファイトはどちらも地面の下や土の中からとれるもので、電気を通す。また、野菜や果物も、土の中から栄養を取り入れていて、電気を通す。


教師「では、野菜を食べている人間は、電気を通すでしょうか」

子「通す。だって感電する」

教師「そうだね。実験したいけど危険だからやりません。その代わり、肉に通してみよう」

⑳肉(魚)

イワシをまるごと一匹買い、アタマと背中に電極をさした。
・・・通電。(無事に光る)

教師「海や土で出来た物を食べているから、動物も魚も人間もみんな電気を通すのでしょうかね?」


「では、土って、電気を通すでしょうか?」

⑳土を溶かしたどろ水

「では、ただの水は、電気を通すでしょうか?」

㉑水道水

最終的な結論と、明らかになったこと、自分自身でこれはそうだ、と
言えることを考えて、最終的な自分の結論を書かせる。

【結局、どんなものが電気を通すと言えるのですか?】

「地球の自然界、土や海で自然に出来るほとんどの生もの(ちょっと水分のある感じのもの)、そして金属やグラファイト、が電気を通す」

最後に感想を書かせて、終わり。

国と国とを分断する話~新たな発明を~

子どもたちにウクライナをどう説明するか。
卒業式も近いのに、なぜか「戦争」の話題になる。
本当にげんなりする。

「日本も核を持てばいい」と子どもが言い出す。
広島長崎、そして福島の原発まで勉強したのに、そういうことを言う子もいて、どういう情報がこの子の頭にINPUTされたんだろう、と素直に不思議に思う。

私が不安なのは、プーチンが最初に軍を動かして占拠したのが原発だった、ということ。
これが重要な作戦になる、という意味らしい。
わたしは軍事のことは分からないけれど、やはりこれで「原発のある地域」には心情的には住みたくな、と正直に心の内情をうちあけると、そう感じてしまう。

また、テレビで日本も核保有をする議論をしているのが、ちょっと不思議な異世界のことのように感じる。タレントで、「潜水艦に原子爆弾の核弾頭をのせて配備する」と勇ましく意見を述べている人もいるらしい。

勇ましい、というのは、妙にこころをくすぐる言葉だ。
勇ましさ、そして武勇、雄々しさ。
これは本来であれば、人間がめざすべき世界を示しているように思う。

わたしが史上最も勇ましいと思ったのは、武器に頼らない姿に、だ。
軟弱ものはすぐに核だとか、武器に頼ろうとする。
ところが、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの動画をみると、
手に手に警棒や犬の鎖などを持った白人警官の部隊へ向かって行進していくマーティンたち黒人の列は、本当になにも持っていないのだ。
これほど勇敢な姿はないだろうと思う。

わたしは昔読んだ書物で、
「真のヤマトダマシイがあれば、武器などに頼らない」
という文章に出会ったことがある。
たしか、太平洋戦争末期、日本軍人で上記のようなセリフを言った将校がいたのだった。
わたしはこれを真実だと思う。この日本男児は、本当の勇ましさを知っていたのだ。

さて、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、そのまま白人の近くまで歩いていき、目の前に行くと跪(ひざまづ)き、白人の目をみながら懸命に祈りはじめる。
その姿を見て、警官たちは最初の列をなぐりはじめるが、なぐってもなぐってもだれもそこを立ち去らない。黒人たちは、ますます懸命に祈るばかり。

白人はついにその場を明け渡し、黒人は感謝の言葉を口々に発しながら、警棒でなぐりつづけた白人をだれも責めることなく、そのまま行進をつづける。

さて、以下はちょっと知人に聞いた話。
核弾頭を付けた巡航ミサイルについて、もしもアメリカと同様の技術を日本がもち(開発できたと仮定した場合)それを製造し、ミサイルを搭載した潜水艦をつくり、潜水艦を保持点検修理する施設をつくったとしたら、まっさきにそこが攻撃されるだろう、ということでした。

「そういう設備を〇〇市につくります」
と言ったら、その〇〇市の方たちは果たして賛成するのかどうか。

賛成する人もいるかもしれないが、ほぼいないだろうなあ。
そこが敵にとって、作戦上もっとも重要な攻撃対象となるからだ。
要するに、日本に対する核の脅威を増大こそすれ、減らすものとはならない。

まあ、こんな記事を載せる時代がくるとは思わなかった。
しかし、テレビで子どもが見るからね。「核を持とう」と話す大人の姿を。
これは教室でも話題になってしまう、ということ。

学校は、学校教育に忍び寄る社会的分断に対して、なにができるかを問わなければならないというのは、すでに何度も言われてきたことです。
しかし、それがこんな「軍事の話」で、いともかんたんに「国と国とを分断する話」になっていき、人間と人間はしょせん分かり合えないのだ、となっていくのが残念でたまりません。

子どもがずっとつちかってきた、「話し合ってわかりあっていく、人と人とは協力していく」という信念も、たった一度、大人のコメンテーターがテレビで

日本も戦争ができるようになればいい

とつぶやくだけで、あっという間に瓦解する。

一方で、ヒトラーなどの狂人政治家に対しては、どうにもできない、とも思う。
非暴力も何も通じないような気がする。
非暴力が通じるのは、まともな人、良心のある「世間一般」に対してであって、ハナから人を殺す気出来ている人の前で「非暴力」もなにもない。

今、なぜ時代そのものが「重くなっている」かというと、
狂人が政治をしているから、ということなのだろうと思う。
これに対抗するには、どうしたらいいのか。
大人だって答えをもっていない。
社会の仕組み自体を、「戦争する気になれない」ように変えていくしかないし、
そうした仕組み、システム、お互いの関係そのもの、を新たに「発明」するしかない。
これは、ただ「戦争しないようにしましょう」と言うだけではダメだ。

これは教育界はどうするか、試されている時代に入ったなあ。

MOON

漢字ドリル・漢字スキルは友達といっしょにやる件

わたしはこれまで、学期末の漢字テストは、練習プリントをたくさんさせたり、まあふつうに宿題としてノートにたくさん書かせたり、というようなことをやってきました。多くの先生がごくふつうに実践されているようなことです。これはこれで大事です。

しかし、実際はかなり、子どもの尻を叩くのですよ。やれ、やれ、と。
それに疲れましてネ・・・

で、ふと休日に気休めに読んだ、イヴァン・イリイチの「脱学校」だとか、ロイスホルツマンだとかのせいか、教師の指示が先に来るよりも、やはり社会的な活動と、そのふりかえりが大事なことだと思い至ります。

まずは活動➡ふりかえり➡なにか思うことの言語化(自分なりの内言化)➡自分なりの個別最適化計画➡他者との共同的な課題を含む活動➡ふりかえり➡・・・くりかえし

これを漢字学習に当てはめてみたらどうなるか、という思考実験をした。

そして、最初に漢字学習について思うことを言語化してもらった。
(これはみんなおりこうさんのふりをしていて、がんばります、というようなことが多かった)

つぎに、個別最適化計画を立ててもらった。
どのくらい、1学期の漢字を書けるようになりたいか。
どのような学習を自分で行っていくのか。

すると、それなりに自分で計画をしていく。さすが6年生と思いましたよ。

ただ、その後の実践が、やはり個別であります。
するとね、やはり、ごほうびがないと、できない子が多い。
たった今、漢字の学習をすると、楽しいだとか、ごほうびがないと、なかなか。

それで、これを個別でなく、共同でさせることにした。
お互いに、漢字スキルの1ページ目、2ページ目、というふうに宣言をさせ、宣言をお互いに聞き、それを家で実際に進めてくるとか。

あるいは、1ページのうちから、2つ問題を選んで出し、目の前で指で机の上などに書いてもらうとか。書き順があってるか、正しいか、熟語を2つ言えるか、など、クイズのようにして出してもらう。

うちのクラスは、これが楽しかったみたい。
で、友達だれでもいいから、2問出してすらすら書けたら、次のページに進んでよい、というふうにしたの。

そしたら仲の良い子にずるして教えてもらってパスして、どんどん進める子もいるのね。

しかし、途中で厳しい点検テストをすると、そういう子は本当は覚えていないから、書けないわけ。

そのときに、静かにふりかえる時間をとりまして。

まずはノートに、自分が今、漢字学習について思うことを正直に書く。
これは、しっかりと言語化できる子は、本当にこころの内情を、リアルに言語にできる。
そうすると自然に、自然にですよ、本当にクリアに、

つぎはこうして学ぼうと思う

という展望が、かけるんですよ。これは不思議ね。

ただ、このときに先生に対してかっこつける子は、「次はがんばる」程度で、適当な作業をつづけちゃう。
こういうタイプは、なんだろうか、漢字学習はぜったいに楽しくない、という思い込みで生きているような感じがする。他の子がやってみたら面白かったし、覚えられて書けた、うれしかった、と書いているのとは、対照的でした。

ここでわたしが大事にしたのは、

今回の学習の、なにが良かったのか、を明らかにすることでした。

幸福はいずこにありやと見つけ出し、というところでしょうかネ。

すると、休み時間にクイズのようにして友達と遊んだことや、家でもお姉ちゃんにやってもらったとか、たくさん自分のやり方を、こうやった、ああやった、と言うのです。
苦手な字がなかなか覚えられない。でも何度も書くと疲れるからでっかい字をポスターのようにして壁に貼ったら、すぐ覚えられたとか。
あとは、同じプリントを10枚くらい印刷して、それをテストを10回やったら完璧になったとか、すごい学習法が出てきました。

これ、自分で考えているところがいいでしょう。それも友達の意見を参考にしながら、自分でも考えて開発しているところがいい。

そして、先生、ぼくもやるから、〇〇くんと同じページを10枚プリントしてください、という子が出たり、ふたりで「あしたまでに覚えよう」とか言い合ったりとか。

これは単純に、おもしろいですよ。友達とタッグを組むのは、楽しい。

で、あとはときおり、「どう?」と聞いて、頃合いを見て「点検テストするよ」という感じ。

わたしが注力したのは、自分が活動の後に思うことを、しっかりと言語化できるように声をかけた、というところです。書いたノートを集めて、読んで、中身についてちょっと声をかけてくわしく聞いてみたり、「ああ、今言った、そのことをノートにも書いておくといいよ」とか。

とにかく、自分が漢字学習について、どのようなポジションにいるのか、どのような計画でいるのか、どのような「思い」をもっているのか、言語化させること。

これがないと、やはり個別最適化とはいえないと思う。

個別最適化のスタートは、言語化です。

そして、友達のアイデアと自分のアイデアをぶつけること。かけあわせること。そして具体的に成長させること。決して、ひとりの思い込みで勉強は進めるな、と注意した。

これが、共同的な学び、です。

するとね。抜き打ちのテストで、90点以上がばんばん出た。
これ、以前から書きたかったけど、本当の結果が出てからと思って書かなかった。
でも3学期のまとめのテストがけっこう良かったから、書きました。

いちばんいいのは、「漢字は今年はすごく楽しく覚えられた」と振り返っていた子がほとんどだったことです。たしかに、「まだ苦手です」もいますけどね。

来年も、これやろうっと。

木もれ陽のシーサー

【教師とは】卒業前のシーズンになると考えざるを得ない

子どもに対してわれわれ教師は常々、
「成長せよ」
「成長がもっとも重要なことであり、ゴールである」
というような意識を持っている。
しかし、「発達しなくてはいけないか」となると、ちょっと言葉に詰まる。
そう言い切ってしまうと、どの子に対しても「あなたは、今のままではいけない」と言うことになるからだ。

とくに現在の学習状況になじめず、必要な支援を欲している子どもたちの前で、それはないでしょう。つまり、「発達しなさい」と彼ら彼女らに伝えるのも、どうなんだろう、と教師は考えこむことになる。

少なくとも、「発達段階(はったつだんかい)」という言葉は、すぐにも教育界からは消えていく、あるいは古典的なまちがった(そぐわない)使い方の言葉として認知されていくだろうと思います。
つまり、発達というのは、けっして「段階を踏むもの」ではないだろうからです。階段を上るイメージで「発達段階」ということを示しましたが、あれは実際ではない、ということでしょう。ほぼ中教審で発言するような大学教授たちは、すでにそういう認識です。

発達とはなにをさすのか。
そしてわれわれ教師は、発達について、なにを良し、とするのか。

ある課題をこなせるようになった、到達した。
たしかにそれは、うれしいことであるだろう。
しかし同時に、それで本当に良いのか、ということを教師は悩むのです。

階段を上るような「発達」をイメージしているのであれば、人は階段を永遠にのぼりつづけるのだから、という理由が成り立ちます。少なくとも、目の前の一つ、階段をのぼりなさい。はい、次ものぼりさない、といって、上るのは善だ、ということで指導しつづけていく。
教師と言うのはそういう仕事だろう、ということになる。これで17世紀以後、人間はずっとやってきたわけですね。

しかし、それで本当にその子が、これからも一人でずっと階段をのぼれるようになったのか、というと、どうもそういうことにはならないだろう、というのが21世紀の現代社会です。だって、大人だって先が見通せないのですから。大人だって、階段のその先になにがあり、上の方はどうなっているのか自信がない。のぼれのぼれ、と号令をかけ、ただひたすら「上にはいい世界があるだろう」と信じていてよかった時代は終わったのです。まるで雲かカスミがかかったようになっていて、上空が見えないのです。

一番の問題は、のぼることに疲れてしまい、号令をかけるのを大人がやめた瞬間、そこでもう上るのをやめる子がいることでしょう。学ぶ主体が疲れてのぼりたくないのを、無理に上らせているのだとしたら、その意味のなさは誰にだって理解できますね。

さて、発達って何なのか?
もう一度、ふり出しに戻ってきました。

前記事で、「中身はそうでもなく、一人きりの時はけっしてそうではないのにかかわらず、集団の場でコミュニケーションをとる場面においては、学年主任になっている」不思議さについて書きました。

わたしは、孤独に自分のことを振り返る時間においては、ほとんど「主任らしくない」自分自身を見ているのに対して、集団の場では、あたかも「主任である」かのようにふるまうのです。そして現に、私は学年主任として成立しているわけです。実際のコミュニティの構成員は、わたしを学年主任として認めるわけですね。

なぜ、そうなっていられるのか。
それは、学年主任としてふるまう「ステージ」のようなものを用意してもらったからです。
そのことで、私は多くの関係者に助けてもらうようになれた。そして、そこで主任として「ふるまう」ことができた。
そうしたら、あっという間に、成立したのです。

わたしがやったことは、たった一つ。
ちょっと、頭一つ分、背伸びをしたことです。

(↑これが発達)

こう考えると、卒業を目前にした、このクラスの子どもたちにも同じことがいえましょう。
子どもにだって、最適なステージが用意されたら、「頭一つ分、ちょっと背伸び」するのです。
ごく自然に。
その自然さは、「階段上れ!」という世界とはまったく異なります。
自然、というのがもっとも人間の心理にとって、健全なのです。

こうしてみると、発達というのは、段階的にステップアップして到達した、というよりは、やってみたら「ほらできた」という感覚のことなのだろうと思う。私たちはこれまで、既存の「努力➡達成」という矢印ばかりをみてきたのではないか。

クラスの子どもも、一人ひとり全員がアクターとして、このクラスというステージ上(舞台上)で、頭一つ分背伸びをし、さまざまな役を演じたことで、「ほらできた」という感覚を得るのではないか。そして、コミュニティをつくる重要な一員として力をもった、全員に認められる、という意味付けは、舞台ストーリーの後半で、社会全体で見出すか、あるいはその過程で、あとから気がつくものではないだろうか。

発達に必要なのは階段(ステップ)ではなく、舞台(ステージ)だったとするならば、矢印というものはそこには存在しない。上手から下手へ、下手から上手へ、舞台なら自由自在にとびまわることができる。

これが幸福だったのだ、という幸福そのものを見出す作業を、クラスというコミュニティ全体がコミュニティの中に、見つけ出していく。それこそが学級が行うべき仕事なのでしょう。
コミュニティの活動のあとに、学習は生まれてくるのです。

3月の現在、わたしたちはどこへたどりついたのか、
わたしたちのコミュニティの中、幸福はどこにあったのか
わたしたちは、なにを果実として受け取ればいいのか


クラスの子どもたち全員といっしょに、その意味を見出すのが、6年生担任の仕事といえそうです。

ゴーギャン

記事が1900個になりました

2006年に書き始めた本BLOG。
前回の記事で、すべて合わせて、記事の数がちょうど、1900個になりました!

ちょうど1900!!

つい先ほど、そのことがわかりまして。
よく書いてきたなあ、とちょっと驚きました。
あと100、記事を書いたら2000ですね。
読んでくれている人がどんな方たちなのか、ちょっと想像してみたりして。
感謝の気持ちも湧いてきます。
2000まで書いたら、なにかケーキか何か買って、食おうかしら。

1900


みなさんからいただくメッセージやコメント。
すごく刺激になります。
あれこれと示唆をもらうこともあって、ふと書いてみたくなる、ということが大きかったからかなと思っています。

最初は明治図書とのEDUBLOGというサービスを利用していました。
その後、このライブドアブログに引越をさせていただきました。

累計で見ていただいた方の数が16万人。
アクセスカウンターは、ついさっき確認したら 36万224 となってました。

本当に感謝申し上げます。
急がず、慌てず、書き続けようと思います。

新間草海

【教師とは】似顔絵にしわが!

「新間先生の似顔絵を描いたんです」
放課後、3組のS先生が声をかけてくれた。
「背景の一部なんですけどね」
S先生、放課後の教室で、子どもたちが黒板に描いた絵をみせてくれた。
この絵の前で、ビデオ撮影をしたそうだ。

何色ものチョークを使い、せっせと描かれたさまざまなイラストや文字の中に、6年担任団・5人全員の似顔絵がある。その中にわたしの顔もあった。
「新間先生の顔、すっごい、ささーっと描きましたよ」
笑いながら、S先生がおっしゃった。

それをみると、どうにも気になる点が。
おでこと口の周りに、「しわ」があるんですよ。

え、こんなに老けたイメージなの?

たしかに現6年生担任団の中では、主任だし年長者だ。
学年全体の集会では、わたしが最後に締める。
新間先生は、いちばんの「年配」である、ということなんだろう。
しかし!この「リアルなしわ」には、ちょっと驚いた。

と同時に、このことを喜んでいるというか、うれしく思っている自分に驚いた!!
似顔絵

これはネ。
自分に自信がなかったんですよ。こんな詐欺師のような教師が、卒業生の学年主任をやってるなんてね。だってワタシ、10代はウシの飼育からスタートしたし、20代は農業、30代はエンジニア、40代でようやく担任もったくらいで、校長先生にもため口きいちゃうような、中途半端なやつなんですよ?(このブログを長く読んでいただいている方は、過去記事からおわかりでしょう)

それが、昨年は卒業学年の学年主任になりました。
まあわたし以外の先生に「若い世代」が増えてきた、ということだけなんですが、わたしは当初、ずいぶん心の中で「おれには本当は荷が重いんだけどなあ」と正直、感じておりました。

それが、学年集会でえらそうにしゃべったり、若い先生たちの授業の相談にのったり、あれこれしているうちに(それはほぼ、演じているレベル)、なんだかんだとそれなりに、つとめてきた、ということを子どもが認めてくれたような気がしたんですわ。

この、黒板の新間の似顔絵に描きこまれた、数々の「しわ」によってネ。

で、その顔が、まあ見方によっては、おじいちゃんみたいで、子どもたちをニコニコ見守っているような雰囲気で描いてくれていて、わたしは正直、うれしく思った。そういう存在に、なりたかったから。

むしろ、子どもたちがそれを「しわ入り」で描いてくれたことによって、

そうそう、おれはこれになりたかったんだよ

という気分が、まっさきにあったわけ。

そして、少なくともこの2年間、自分の正真正銘の中身はけっしてそうはなっていないのだけれども、あたかも「子どもたちをあたたかく年配者の立場から見守る存在」であるかのように、ふるまってきた。アクターとして演じてきた。私としては、「教師として、子どもたちの前では、頭一つ分だけでも背伸びしてきた」ような感じがある。

すると、子どもたちにとっては、わたしは実際に「そうであった」という結果になった。
しわ入りの似顔絵を、笑った顔で描いてくれたことがその証拠だ、という気がしたわけですね。

自分は一人で車を運転しながら学校から帰宅する際に、ああ、あれもできなかった、これも目標のレベルまではいかなかった、と反省することばかりです。(多くの人はそうではないかと思う)
孤独レベルになると、人間は反省が増すのです。
大人も子どもも、多くの人が陥る「孤独がゆえの過小評価」ということでありましょう。

たしかに、孤独状態では「できない自分」を想起することが多い。しかしその一方、集団のレベルにおいては、子どもたちの前で頭一つ分の背伸びをたえずしてきたことで、「やれてきたこと」がそれなりにあった、ということでしょう。

こう考えると、わたしを教師にしてくれた、あるいは成長させてくれている(?)のは、ほかならぬ子どもということになるでしょうね。

よく若い先生で、子どもの前にたつのがこわくなる、ということを言う。
これはわかる。どの先生も同じ。そして通ってきた道。
しかし同時に、悩むことはないともいえる。
なぜなら、子どもの前で「背伸び」をすること以外に、教師に至る道はないからだ。
トレーニングを積んで、よく正解を学んでから教師になろうとしても、それはできない。
というよりもむしろ、子どもの前で、黒板の前で、子どもに助けてもらいながら、ヒントをたくさんもらいながら「教師としてふるまう」こと。そのことですでに、社会コミュニティ的には完成しているのでありましょう。先に『問うて・問題解決して・理解し・全て獲得してから行為しよう』とするからふるまえなくなっているのだ。

若い先生たちは、用心しすぎないように、と助言したい。
パソコンと同じですよ。よく分からないWORDだってPOWERPOINTだってEXCELだって、全部わかったうえで触らないでしょう。協力者の援護も受けつつ、まるで知っているかのようにふるまっていたら、同時に「あれ、自分もできた!」と発見した。その連続だったのですからナ。

【6年・社会】国際連合の働き~パワポDL可能~

今回のファイルです。
右クリック⇒【名前を付けてリンクの保存】 でダウンロードできます。

この切手、なにを示しているのだろう?

ユニセフの切手


ユニセフと書いてある。
子どもと母親だと思う。
なにか英語の書いた荷物を持ってる。
喜んでいる?
なにかもらってうれしい。


そうだね。
これはユニセフという国連の組織について描かれた切手だ。
ユニセフは、戦争などで食糧の貧しくなった国の人々や子どもたちを救うためにさまざまな支援を行っている。

さて、1996年に、「ユニセフ50周年」という切手が発行された。
ということは、ユニセフがスタートしたのは?

1946年!

そうだ。あれ、1946年というとどんな年なのだっけ?

戦争が終わったすぐ。

世界を巻き込んだ世界大戦が終了した。日本も太平洋戦争での終戦を1945年に迎えている。
その直後、世界中はどんな様子だっただろう。

このとき、日本は貧しく、食べるものがなくて日本の国民のほとんどが飢えているような状況だった。ユニセフは、日本を支援しただろうか?

支援したと思う人? 多数
思わない人? 数人

ユニセフは日本を支援した。
具体的にはアメリカから脱脂粉乳や小麦粉、トウモロコシの粉などが送られ、そのおかげで都会の子どもたちは学校で食事することができた。(ユニセフ給食と呼ばれた)
1949

学校給食はこの時、パンと牛乳、というセットを初めてスタートさせたんだ。この影響が今まで続いている。

さて、あらためてこれまでの学習を振り返りたい。
先ほど、ユニセフが日本を支援したのは 1946年ごろ、ユニセフがはじまってすぐ、ということだったね。(はい)

しかし、以前の学習では、日本が国連に加盟したのは・・・いつだったかな?

あれ。もっと遅いはず?
GHQの占領で、憲法ができて、サンフランシスコ平和条約を結んでからだから・・・


そうだね。サンフランシスコ平和条約の締結が1951年9月。
そして加盟を許されたのが1956年だ。

つまり、ユニセフは、国連にまだ加盟も許されていない時期に、すでに日本に対してたくさんの援助をしてきたことになる。

さて、国連の組織にはまだまだたくさんのチームがあり、それぞれたくさんの仕事を進めている。
他にはどんな組織があり、はたらきがあるんだろうか。

国際連合加盟切手


この切手から気づくことは?

マーク。
国連の旗。


そうだね。国連の旗だ。北極が真ん中で、どの国が中心になる、ということにはなっていない。
その地図のまわりに、平和をあらわすオリーブの木がデザインされている。つまり、国連がめざすのは、「世界の平等と平和」ということ。

このために、さまざまな働きをするけれど、たとえば最近ずっと続いている「コロナウイルス」についてはどうだろうか。

国と国をまたいで、大きな世界的な問題になっている。
これについて、国連はどう対応していくか。
聞いたことがあるかな? WHO。世界保健機構だ。

では、世界遺産を決めているのは?
そう。ユネスコ、という。

世界の多くの国を巻き込んでいるような課題というとどんなのがあるかな?

ウクライナとロシアの戦争!

そうだね。まさについ最近のニュースだ。
ウクライナの街が爆撃を受けたり、攻撃されている。
すると、そこでは住めないから、国から逃げ出す人もいる。無理もないよね。
国連はそういうとき、人の命を救うのが使命なのだから、特別にこの人たちを「難民」と呼んで、国の境をこえて、助けるようにする。それが国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR)だ。

ウクライナから隣のポーランドという国をめざして逃げていく人たちが大勢いる。
国境を超えるのにはふつうはいくつも手続きが要るんだけど、国連が間にはいって、この人たちの安全を確保するために、さまざまに活動し、支援している。

UNHCRは人道的見地から、紛争や迫害によって故郷を追われた世界の難民の保護、難民問題の解決へ向けた国際的な活動を先導、調整する任務を負っている。

nanmin_family_sad


これからの時代、みんなが国連に「こんな活動をしてほしい」ということはあるだろうか。
ノートにたくさん書いてみよう。

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