30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2021年12月

「結局一日2食か3食か」問題

20代の10年間は、はっきりとまじめに一日2食。
朝ごはんを食べず、11時ごろに昼食を食べ、夕食を夜8時ごろ食べていた。

計算すると、一日のうち、夜間から昼までの15時間は空腹である。
当時はよく考えもせず、みんながやっているから、というのが最大の理由であった。

20代にそのような食生活を送っていたため、30代になってシャバで働くようになると、周囲に朝食をとっている人もちらほら見受けられ、

「あれ?食べた方がいいのかいな」

という不思議な気分。

このころ、いっしょにシャバに出た仲間のHくんと会うと、やはりお互いに悩んでいるのは朝食を食うかどうか、という問題で、

「いやあ、あのあと、実は山小屋で働いたんだけど、朝4時に起こされていきなりすぐに『いただきます!』と山盛りのごはん。10年間朝食を食ってない身体には、あれは堪(こた)えたわ」

と、めげた顔をした。
わたしはその話をした時には、まだ朝食を食っていなかったので、ときどきHくんのその話を思い出すたび、「やはり朝食は危険なんや」と再確認していた。


ところが。
ほんの数か月であったが富士通のコールセンターで働いていたとき、ひょんなことから朝食を食べるようになった。
武蔵小杉駅の小さなマクドナルドで、かならず朝マックを食う同僚がいたためである。
あるときふと誘われて、朝、あのやわらかなマフィンだとか目玉焼き?を食うと、感動して涙がこぼれそうになったことを覚えている。

「朝食、ひさしぶりや~」

同僚は不思議そうな顔をするばかりであった。

それから朝食の研究を始め、結局はしばらく、ごはんと味噌汁となにか、という簡単な朝食を食べるようになった。朝食を始めると、体もなんだかそうなっていくようである。それまでは気にしたことがなかったのに、起きるや否や、
「なにか食べたいナ」
と思うようになった。見事な変わりぶりである。同時に、なにかようやく人並みになれた気がした。

「すごいな俺。ちゃんと朝食を食ってるwww」


その後しばらくエンジニアの仕事をしていると、やはりなにか口に入れてからでないと、どうもなにかやる気が起きないというか、頭が回らない気がする。
それで、エンジニア時代も朝食を家で食べた。間に合わないときもあったが、そんな時は仕事をしながら、なにかほおばって食べたこともあった。

当時を思い出すとある光景が思い浮かぶ。

エンジニア時代に隣の席にいたのが、わたしより4,5歳は年下であろうYくんで、彼は独身貴族であったためか、必ず朝、職場にくるとすぐにサンドイッチをほおばるのであった。
そして、必ずといっていいほど、彼がサンドイッチをほおばった瞬間に、顧客から電話が入るのであった。そんな時は彼が呑み込み終わるまで、わたしがしばらく応答し、時間を稼いだこともあったナ・・・。


その後わたしはなぜか小学校教員になったのだが、さて、朝食はどうなったか。
今度は、食えなくなったのでありました。
なぜかというと、単純な理由で、朝早く起きねばならなくなったためです。
駅前の便利の良いマンションに住んでいたが、ぎりぎりまで寝てしまい、間に合わない。
だんだんと朝食を食わなくなってしまった。

しかし、これは思いがけない変化をもたらした。
おどろいたことに、体調が良いのである。
わたしは子どもには
「早寝早起き、朝ごはん!」
と教えながらも、自分自身は一日に2食しか食わない生活をつづけた。

やがてまた時代がうつり、田舎に引っ越した。
すると、今度はまた通勤に余裕がでて、朝食を食べるようになった。
加齢もあったのか、ちょっとずつ体重が増えてきた。
それは私にとっては危険なことで、ちょっと増えるだけで、腰痛が出る。ほんの2キロくらい増えただけでも、なにか腰回りにおもりが増えたようになって、腰痛がピリピリと始まるのである。

わたしはまた、朝食を食わなくなった。
すると、とたんにまた体重が減る。
結局のところ、どっちが健康にいいんだか、悪いんだか、さっぱり分からない。
今はともかく、食べないで暮らしている。
夜8時以後は食べないで、昼は12時40分まで食べない。
なんと、16時間は空腹である。

小学校の教員は生活リズムがこのうえなく安定しており、きまった時間に起きて決まった時間に寝るし、おそらく細かく見ていけば、5分もちがわず、毎日おなじ行動をとっている。
教室で子どもたちが見ている前で間食する勇気はないので、やはり16時間の空腹時間がある。したがって、15時間以上の空腹でスイッチが入ると言われている、「ケトン体活動」は保障されているのである。

ケトン体というのは、小さな飢餓状態を感ずると始まるホルモン活動の一種だそうだ。
長時間の空腹があると、ケトン体が活動を開始する。
そして、人体の危機に対応するための様々な活動をするのだが、その活動の中の一つが、活動の結果として「やせる」効果を生むらしい。これを一部の人は「ケトンダイエット」もしくは「ケトン体ダイエット」とよぶ。(炭水化物を制限する、という人もいて、ケトン体ダイエットの一つの方法らしい。しかし私は炭水化物はがんがん食べているため、純粋にはケトン体ダイエットではない)

ケトン体を故意に活動させることには、賛否両論がある。
調べてみると、医学の世界ではケトン体ダイエットを推奨する学者もいるし、逆にケトン体ダイエットを危険視する学者もいるそうである。ただ、先に書いたように、わたしの実践方法はただ単に『空腹の時間帯がやけに長い』というだけのことである。したがって、おそらく私のは「ケトン体ダイエット」ではない。

朝食をぬいているだけ。
ただ、空腹を長時間にしているだけ。
ただの手抜き、なまくら、である。ナマケモノがやるダイエットなのだ。すなわち、#なまくらダイエットである。

朝食を抜いて、超ショック!
超ショックダイエット!

と呼ぶのが正しいであろう。

ともかく、お昼の給食は毎日子どもたちがごはんもおかずも大盛りにしてもってくるし、夕食も腹が空くので、いつも、嫁様が「よう食べるねえ」というほど、この上なくたくさん食べる。
これだけ食べてるのだから、ダイエットじゃないよな、と自分をなだめている。

木もれ陽の朝食

【道徳】人間関係を考える授業~事実と感想その1~

机の上にりんごを置く。
おいしいと思う人?(多数挙手)
『このりんごそのものの味と、今自分が感じている味とが同じだと思う人?』

これは挙手が数人で、何人かが妙な顔をし、一人が言った。
「よくわからないから、先生、もう一回言ってください」

そこで私はゆっくりと言う。
『このりんごそのものの味と、今自分が感じている味とが同じだと思う人?』

さきほどと同じ子たちが挙手。今度は勢いよく。
妙な顔をしている子はますます妙な顔をして、近くの子にひそひそ。

「よく分からない」の質問をした子は、「それは同じでしょう」とつぶやきつつ、挙手をした。

人数を数えると、10人。
残りの25人は、手を挙げない。
なにか、考え込んでいる子も多いようだ。
わたしはついで、

『では、味はちがう、と思う人?』

と尋ねた。

これに、頭の回転の速い子が喰いついた。

「ちがうと思う」

すぐになぜ?と問うと、彼はこう言った。

「だって、まずい、と思う人もいるかもしれないから」

なるほど、という空気がすぐに流れ、「じゃあちがうじゃん」なんて小さな声も聞かれた。

もう一度、同じことを問うと、すぐにクラスのほとんどが

「ちがいます」

と答えた。

しかし、最初から妙な顔をしてこちらを見ている子が数人おり、わたしはそれが気になっている。
いつも国語などで、するどい視点から意見を出す、吉川英治が愛読書のNさんも、手を挙げない。
Nさんが手を挙げないことに気づいた子が、そっと手をひっこめるのも見えた。
Nさんがこれまで間違えたことなど、一度もない。それを知っているのだ。

そこで、「まだ手を挙げていない子もいるよ」と聞いてみると、Nさんが意見を言ってくれた。

「だって、わたしがおいしい、と感じている味と、他の人が感じている味はちがうけど、もしかしたらりんごそのものが本来持っている味を、どちらかが感じ取っているのかもしれない。だけど、それを証明する手立てがない。だから、この場合は、ちがう、と言い切るのではなく、わからない、というのが正しいのだと思う」

という。

かしこい子である。

次に、黒板に図を描き、

そのものの味


りんごの持っている味を、☆じるしで表すよ。
それと、
人間の脳の中に感じ取られた味も、☆じるしだとすると、この星どうしは、まったく同じだろうか?

と問うと、すぐにうなずいて「ちがうよ」という子と、まだ分からない、という子に分かれた。

双方があれこれと意見を言い合ったが、これは不思議な授業で、みんな押し黙って沈黙しながら、グーッと考えている。勇気を出して言う子もいたが、全体としては

沈黙の重い雰囲気・・・いやちがうな、この表現は。
「沈黙」
というよりも、
「眉間にしわを寄せる雰囲気」
が教室中に充満する、というのか・・・


チャイムが鳴ると、ふーーーーっと、大きなため息が漏れた。

わたしも、同じように、ふーー、と言った。
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