30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2021年11月

修学旅行ですれ違う高校生との距離感に悩む

先日、修学旅行に行った。
東京に行けなかったので、愛知県内だ。
ちょこっと足を延ばして犬山城とか、岐阜の長良川とか、静岡の浜名湖、なんていう案も出た。
コロナがいちばん猛威を振るっていた夏の間に決めなくてはならなかったため、おとなしく県内旅行になった。

ところで、修学旅行で訪れた、とある観光地での出来事。
わたしたち小学生が、お行儀よく2列にならんで、参道を歩いていたと想像してください。

そこにですな、男女の高校生が大勢、たむろしていたのですよ。
わたしは20代の頃にしみついたものがあって、高校生くらいの子たちをみると、いっしょに肩でも組んで車座になり、陽気にギターで歌いたくなる病気を持っている。もちろん、50代の教員ですからそんなことしませんよ。もうすでに常識をわきまえる年ごろになったので。(ああ、ずいぶん遅いですが)

さて、その高校生たちが、なんとも活気がない。
しずかーにしているのです。
小さな声で、ひそひそしている。
おそらく、「他にも一般の人たちがいるんだから、大きな会話はしないこと!」なんて
注意を受けているのでしょうナ。

また、もちろん、いい若いモンなんですから、こんな古びた神社仏閣なんぞに来たくなかったのだろうというのも想像できる。つまらないよ、こんな古い場所・・・。
しかし、景色はよいし、空は晴れているし、友達どうしなのだし、仁王像は見上げれば感心するくらいにこちらをむいて「あ、うん」なんて言ってるわけだから、もっと楽しそうになるはずだ、とわたしは勝手に思いながら、その子たちを見ていました。偏見ですがね。

するとですね。
私たちの行列が通りすがって、その子たちの前を通った時、なんだかすごくこっちを見るのがわかったのですね。こっちはがやがややっています。そんなにうるさくはないけど、「おお仁王像すげえ」とか「先生、のど乾いたー」とか「先生、おさいせんあるの?」とか。
高校生はお行儀良く、わりと物静かにしていました。
で、私たちが通り過ぎるのを待ちながら、こっちを面白そうに見ているわけね。

わたしはそのときになにか、こう、すごく高校生に話したくなった。

だって、ふだんは小学校の教室の中に、まあいい方が悪いけど、
「閉じこもって勉強してる」
わけですよ、こっちは。

それを、生きた勉強ができるっていうんで、バスに乗って外へ出てきた。
いわばシャバに出たわけだ。
教室以外のところでこそ、学べることも多いだろうし、本当はそっちの方が多いんだろうと思うね。人生経験を積んでくると、そういうことも実感されてくる。
だから、こういうところへ来た小学生と、高校生とが、こんなふうに時間を同じくして過ごすんだったら、お互いに交流したらいいのに、と

教師の直感でぴんときた

状態になりました。
わたしの頭の中にはさまざまな発問が湧いてきて、授業のシナリオがぐるぐる頭の回転とその遠心力によって、ふわふわ浮かんできた。

たとえば、小学生と高校生と2人ずつグループになって、お互いに神社仏閣についての感想を言い合うとか、この寺についての印象、知識を一つずつ教えあうとか、もっともインスタ映えする場所と角度を見つけ、お互いに意見を交わしながら紅葉の写真を撮るとか、一緒にこの寺の『ゆるキャラ』を考案してみるとか。

小学生は高校生の知識の量と、気の利いたアイデアに驚くだろうし、
高校生も小学生にわかりやすいように自分のアイデアについて説明をしなければならないから苦労しそうだけど、それを乗り越えたところに、大きな満足もありそうに思う。
ただ時間をつぶしている、というような状態とはちがって、「学びの場」になろうと思う。

そういうことをすれちがっている20秒くらいの間に、脳内のシナプスがパパパパとスパークしました。

でも、勇気がないし、時間もないし、という言い訳を心の中でしてました。
で、最後に、向こうの担任とおぼしき同世代の男の方とすれちがって、そのまま小学生の列の先頭に立って、ご本尊のお近くへ行き参拝しました。「ああちくしょう、いいアイデアなんだけどなあ」と思いながら。

わたしはいろいろとこれまで多数の予言をしており、このブログでも公表しているのですが、
これでちょっとひらめきました。
おそらく、5年後、10年後の修学旅行って、たぶん小学校単体とか、高校単体とかではやってないと思います。

小学校はできるだけ他の学校と交流する、他の団体と交流する、
できるだけ異年齢と交流する、なんてのがスタンダードになっていく気がする。(予言)

また、同じ中身を市内のどの学校でも、ほぼその通りになぞる、という修学旅行は、もう無くなっていくのではないか。
隣の小学校はこうしたから、うちもこうする、というのが消滅していくのだろうと思います。

もっと発展すると、去年こうしたから今年も同様に、というのも無くなっていくだろう。

それからもっと進むと、隣のクラスがこうしたからこっちも同じようにこうする、というのも無くなるだろう。

さらに一歩進めると、クラスのこの子が課題にするものと、あの子が課題にするものと、ちがってくるかもしれない。

そうなると、いよいよ文科省が提唱する『個別最適化』が本格的にスタートするんだろうと思う。

niou

【身体を世話する話】大腸内視鏡検査のてんまつ記

年に一度、人間ドッグに入って検診を受けている。
50になって、なんやかんやと注意事項が出てきた。
今回は便潜血というものに赤信号が出て、さらなる検査を受けることになった。

先日その検査に行ってきた。
まず2日前から食事の内容に気を配らなければならない。
わたしは修学旅行の引率中であったために、旅先の旅館の朝ごはんはほとんど食えなかった。
なにしろ、野菜は食ってはいけないのである。

わたしは朝食会場のテーブルで、あらかじめポケットに入れておいた、病院発行の「食べてよいもの」一覧を取り出し、お皿の上のおかずを見ながら、食べてよいものを選りだした。
結局、ポテトサラダのじゃがいもの部分と、白いごはんと、お味噌汁の「汁」だけ。

昼食も、ほぼ食えず。
なぜか「肉」は食べてよいリストに載っている。
これは消化が早く、繊維もないので、大腸に「カス」として残りにくいからだそうだ。
わたしはお昼の弁当のうち、「からあげ」を食べた。
ごはんは炊き込みご飯だったために、ほぼ食えず。

ところが、旅行中だったためにアドレナリンがいつも以上に放出されており、空腹を感じない。
また、前夜はほとんど寝ていないから、テンションが異常である。
ずっと引率で子どもたちの面倒を見てるわけだし、仕事中だから、疲れを感じない。そのまま夜まで突っ走った。

夜になって帰宅し、やはり少量の肉を食い、もうごはん(炭水化物)は摂らずに、寝た。
そのころから空腹を少しずつ感じ始めたが、食べることはできない。がまんが大事だ。
夜の8時に飲むべき薬があった。粉を水に溶かし、ゆっくりと飲んだ。この薬は「ゆっくり時間をかけて」と指示されていたので、10分ほどかけて、一口ずつ、口に運んだ。

夜中に便意⇒下痢。
どうやら下剤だったようだ。
腸の内容物を、すべて出し切らないといけない。

幸いだったのは、前夜がほぼ徹夜であったためか、比較的スムーズに深い眠りにつけた。
こういう状況でないならば、おなかの調子を気にして眠れなかったかもしれない。

朝は、何も食べてはいけないという指示である。
その代わり、薬を飲む仕事が待っている。
食卓につくと、嫁様がのんきなブレイクファーストとしゃれこもうとしていた。
スコーンのようなものと野菜のスープを美味そうに食おうとしていたため、思わず手が出そうになる。すんでのところで、大腸にスコーンと食物繊維を送り込むところだった。ぎりぎりセーフ。

嫁様がにやにや見つめる中を、変な薬をじっくりと飲まねばならない。
2リットルを2時間かけて飲むように、という指示である。
食卓に置いてあったメモ用紙に計算したら、わたしはどうやら12分で200ccを飲むことが必要らしい。さらに詳しく計算すると、1分で16.6cc飲むことになる。

ところがいざそれをはじめると、コップに注いだその薬を口に運び、ぐびぐびと吸い込み、ごくりと嚥下するまでに、45秒くらいかかるのである。わたしは嫁様のスマホで1分ごとのメトロノームを設定し、太鼓の音がどどん、と鳴る音とともにごくり、と飲むのを繰り返した。
嫁様はその様子をみて、笑い転げている。

「何計算しているのかと思ったら、そんなことなの」

どどん、とスマホが鳴るたび、わたしが気難しい表情でまずい薬を飲む。
飲むたびに悲しそうになるのをみて、おかしくて仕方がないらしい。

「それって、そんなにまずいの」
「うん、まずい」

味は妙てけれんな、ポカリスエットのよう。
正直、ポカリよりも濃く、強烈であり、続けて飲もうという気にはならない。サウナに3時間ほど入って出てきたときでさえ、3口でけっこう、と言う味であろう。

で、おそろしいのはその後。どんどんと便意が襲ってきた。
最後の方は、トイレから出てきてすぐ戻りたくなった。
リビングの椅子に腰を掛けるや否や、またすぐにトイレに駆け込むという始末である。

行くごとに、便座にしゃがむごとに、大便が変化した。
どんどんと水っぽくなり、ほとんど小便のような水に変わった。
最後には肛門からシャアーッと尿が出てくるような錯覚になった。おまけに色もなく、わたしは口から水を入れて、そのまま直後に水を出す、というあたかも口から肛門までが一直線につながった、人間ポンプのような雰囲気になったのである。

医者からもらった取扱説明書を読むと、どうやらその時点が目標地点だったらしく、薬の袋がキャラクターになったようなイラストの怪人が、マンガの吹き出しで、

「便がこうなったらゴールだよ!」

と言っている。こいつを信じることにした。

満を持して、わたしは予約時間に日赤の受付に立った。
総合受付、という看板を見ながら仁王立ち。気分は完全に、「道場破り」という感じ。

最初にすることは、肛門の部分だけが開いたパンツにはきかえる、という行為である。
恥をしのんで、わたしはその「肛門が開いたパンツ」をはいた。
更衣室はせまく、極小縦長のロッカーに着替えを詰め、パンツをはくともう「敗北感」が襲ってくる。わたしは病人だ、という気分が腹の底から充満してきた。

うつろな目で更衣室を出ると、70過ぎの先輩が尻を妙な風に押さえてあらわれ、私と入れ替わった。どうやらこの老人の次に、検査を受けるらしい。

さて、手術室に入ると、武装した医者が待ってました、とばかりにわたしをベッドに寝かした。
最初は左を下にして、横寝の姿勢。
肛門に、ボールペン位の太さのなにかを押し当てられた気がした。
わたしは頭の中で、「あ、これはボールペン位の太さかな。でも、もしボールペンだとしたら、きっと4色ボールペンくらいの太さだろう。1色ってことはないな。もっと太いもの」と思った。

しかし、そんなのんきなことを考えている暇はそれ以降一度も与えられなかった。
どんどんとその4色ボールペンが体内に侵入し、おなかの中をたしかに何かが動いていく感触がしたからである。モニターを見ていると、巨大なピンク色の鍾乳洞を、探検隊が進んでいくカメラのようだ。

それまで無言だった先生が

「ちょっと痛いかも」

と言うと、ようやくこの男性の先生の年代がわかった気がした。
その低く、落ち着いた声のトーンを聞く限り、大丈夫だ。同年代である。
同年代ならなんてことはない。ちっとも恥ずかしさも感じない。だって同年代だもの。
昭和40年代生まれの男なら、「手のひらに太陽を」だって歌えるであろう。ゴレンジャーも現役で見ていたかもしれないし、仮面ライダーだって1号か2号、もしかしたらV3・・・











いでっでででで!!!

激痛が走ったのは、どうやら大腸のカーブ、4つ角のところにカメラが到達したためらしい。
90度ちかく曲がるので、どうしても大腸の壁面をこするのだそうだ。

しかしそれを過ぎるとそうでもない。ふーっと大きなため息をつく。

いでっでででで!!!

2回目のカーブである。
今度は脳裏に急に、とある新聞記事が浮かんだ。脳と言うのはときおり、妙な記憶やデータを表出させる。わたしが思い浮かべた一面の記事には、「レーガン大統領ポリープ手術」という見出しがでかでかと書かれていた。たしかにレーガンは現役時代に一度、大腸のポリープを摘出している。

イダッ、イダイ、イデデデッッッッ!!!

3回目のカーブ。さっきよりも痛い。

そうすると医者が

「一番奥まで到達しました。あとは抜いて戻るだけなんで、痛くないですよ」

と、ちょっとこっちを心配するかのように言ってくれた。

医者はそれから一切無言になり、慎重にカメラで撮影しながらカメラを抜いていった。
わたしはテレビ画面を見ながら、写真の枚数が2枚、3枚、と増えていくのを見つめた。
パシャ、パシャ、という音はしないのだが、わたしはその数字が増えるたびに心の中で
「パシャッ」という効果音を唱えた。

合計24枚撮影した。

そして最後の方で

「これ、あらまさん、わかりますかね。腫瘍です。大きさは3mm。取りますか?」

と言った。

「はあ」

と言うと、立て続けに

「今日とる必要もないですが、大きさも3mmでたぶん良性ですので。しかし、この後変異していく可能性もあるにはあるので、まあとっちゃった方が。今度また別の日に来ると、結局また、このチューブを入れなきゃいけないんで」

と説明した。

最後のセリフの「また入れなきゃいけない」という部分が言い方は、たしかに本当に面倒くさそうで、くわしく書くと

「結局、まーた、入れなきゃあ、いけませんからねえ」

というような感じ。
せっかく軽トラからおろした堆肥が、場所が悪かったのでもう一度また、軽トラの荷台に乗せなきゃいけない、というようなものの言い方だったので、わたしは速攻で

「じゃついでにとってください」

と言うと、もうそれを言い終わるか言い終わらないうちに医者は右手の道具をはりきって操作し、

「じゃ、とりますね^ー♪」

と、ものすごくテンションを高くしてゲームを始めた。
実際、この人は、スーパーマリオやその他のゲームの達人だろうと思う。手に持ったゲームスティックを芸術のように扱うのだろうと思う。でなきゃ、たった3mmの腫瘍をきれいに縄でしばりつけ、おさえつけて「しばり首」のようにし、その後の皮膚を接合するためにせんたくばさみのような器具でチョンチョンと挟む、なんてことができるわけがない。

わたしはテレビ画面で見ていたから、もっと大きな、10円玉くらいの大きさの腫瘍かと思ったら、たった3mmだそうである。せんたくばさみもそれより小さいくらいで、2mmくらいのものでありましょう。

すべてが終わってわたしは素直に「ありがとうございました」と述べた。
実際、彼の活躍はすごくて、わたしは目の前に、その「縛り首にして取り除いた腫瘍」をみせてもらったが、大腸カメラにうつっていたそのままで、きれいに摘出されていたからであります。

帰宅してなにかうまいものをくってやろう、と考えたが、なぜか食欲がわかず、修学旅行から続いた疲労が急に全身を襲ってきたために、わたしはそれから12時間、眠り続けました。

後日結果が出るのだが、悪性だった場合は半年後。
良性だった場合は2年~3年に一度、同じように内視鏡検査を受けるべきだ、とのこと。

50過ぎると、あちこちにいろんなものができてくるらしい。
みなさまもお体だけは気を付けて。では。

(久しぶりの記事が、こんなに学校教育とは無関係の記事になってしまいました)

PA260422 (2)
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