30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2021年07月

いよいよワクチンか

帰宅したら、ワクチンの案内が届いていた。

周囲の知人を見ると、少しずつワクチンの話題も出ている。
東京の知人はすでに1回目のワクチンを打ったらしい。
接客業なので、「まあ、打たんとな」とのこと。
私の親も1回目を打ったそうだ。
近所の先輩(79歳)も打ったと言っていた。

ワクチン、どうでしたか?と聞くと、
腕が痛くてね、というのが、上記の方たちの共通の説明であった。

教員はちょっとだけ早めに打つのではないか、という話も出ていた。
職場の茶飲み話で、「われわれは夏休み中に打つことになるのでは」と。
しかし、実際はだれも打てていない。

保健の先生がやはり詳しかった。
「熱が出る人もいるので、ワクチンを打った翌日は休む予定にしてください。そのくらい用心していてもいいのでは」
とのこと。

まとめると以下。
・打つ腕は利き手の反対側に
・服装を考えておく(肩がズバッと出せるとよい)
・体温計を枕元に
・解熱剤(用意周到な人)
・水分(ポカリなど)
・食料(胃にやさしいもの、冷凍のおかずなど、手のかからないものを備蓄)
・打った翌日を休みにすること


養護の先生が知り合いの保健士さんに聞いたところによると、注射の後、熱が出てそのまま寝込む人もいるらしい。
準備は、念には念を入れて、ということね。

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夏休みのパパは、ぼくのもの

.
我が家のチビすけは、

夏休みの異変に気付いたらしい。

「どうやら、最近、この人は家にいる時間がながいみたいだ」



ご明察。

勤務研修のある日も、夕方にはサクッと

家に帰宅しています。

夏季休暇も、とりました。

家にいる時間、長いです。最近は!!



すると、チビすけくんは、

絵本を持って、わたしのところにやってくる。

ぜんぶ、馬場のぼるの絵本です。

次から次へと、読め、読め、と。



さらには、積木。

ブロック。

いっしょにやろう、と。



天気のいい日は、

いっしょに遊ぼう、と誘います。


川で、水遊び。
夏休みのパパは、ぼくのもの。
本当は、すべての子どもと父親が、一年中ずっと、そうあるべきなんでしょうけど、ね。


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【朗報】夏休みの宿題、やる気になる唯一の方法

今日、たまたま子どもが学校に来た。
今の勤務校には金管バンドの活動があり、体育館で練習をする。
夏の暑い時間に、蒸している体育館。巨大な扇風機があるので、それを回しながら練習をしている。
先生も大変だが、子どもも大変だ。
しかし、大会(録音参加)が近づいているので、みんな真剣な表情だ。

こっちは今日は午後に研修も控えているので、朝からあれこれと職員室で書類を作っていた。
すると、ちょうどお昼前に練習が終わって、子どもが
「先生いますかー」
と現れた。

児童会で使うプリントの予備が欲しい、というので印刷してやっている間に、なんとなく話をしていると、
「ぜんぜん宿題進んでない」
と言う。
まあ、まだ夏休みははじまったばかり。
「あ、そう」
と軽く受け流していると、その子は
「あー、たぶん今年も最後の3日くらいになって苦しむんだろうなあ」
と冗談っぽく言って笑った。
「エンジンがかかるのが遅いの」
と、自分で言っている。

「あ、そう。(金管バンドの)練習がない日の午前中とか、なにをしてるの?」
と私が尋ねると、
「えー、もうさっそくゲームするかー、それか、だらだらしてるー」
「朝からゲーム?」
「ああ、あと、オリンピック見てるよ」


わたしもそうだったから、何も言えない。
宿題のとりかかりは遅い方だった。
大学の心理学の講義で、「締め切り効果」という言葉を習ったとき、そんなものは小学生の頃から、とっくのとうに気づいてたな、と思ったくらいだ。締め切りの直前に、魔法のように集中力がUPし、ブーストがかかる。信じられないスピードで、作業が片付いていくのである。

さて、それはそれで良いも悪いもない気がするが、いささか博打のような感じもする。
そこで、大人になって仕事をするようになり、さすがに「締め切り効果でブースト」ばかりを目論んでもいられなくなった。
仕事をするようになって思ったのは、
「仕事って締め切りもなにも、ひたすら続いているし、エンドレスなんだな」
ということ。
たしかに、一区切り、というのはある。要するに、目の前に「今日の仕事」とか「今月の仕事」というのがある。わかりやすく言えば。
しかし、その実態は、実は仕事というのは、エンドレスに続いているのである。生きている限り。

イメージとしては、牛舎の前のそうじが該当する。
いくらほうきで掃いても、敷料(しきりょう=畜舎 の床に敷いて、家畜を保護したり、糞尿を吸収させるためのもの)は常に、牛舎の床から通路にはみ出てくる。風にふかれたら、そこら中におが粉は舞っているのである。竹ぼうきで掃いても掃いても、あとからあとから風が吹くために、この仕事はエンドレスである。

この仕事に、締め切り効果、なーんてものは、ないのだ。

わたしは子どもの頃から、「締め切り効果」を最終兵器にして、日常をやりくりしてきたために、牛舎の前をきれいに掃除する、などというような仕事を目の前にすると、なんとも苦痛であった。だれにも頼まれないし、やってもやらなくてもよく、世界の誰からも「締め切り日」を要求されなかったからである。

要するに、「締め切り効果」というのは、それをしないとやばい、という心理的なものがないと、うまく働かないのであります。そして、世の中というのはそういうことばかりではなく、どちらかというと「締め切り」などがない仕事の方が、多いのです。自分でそれらを決めない限り。

夏休みの宿題に悩むその子は、自分で締め切り日を設定する、ということはしないのだろうか。
わたしはそのことを思ったために、こう提案してみた。

「宿題をやる気にならないのは、8月の終わりが締め切りだと思っているからでしょう。7月の終わりが締め切りだ、というふうに、自分で決めたらどう?」

我ながら良い提案だと思ったのだが、これはすぐに却下された。

「えー?だって夏休みなんだもん、そんなふうに思い込むのなんて、無理!」
そして、
「それに、第一、まだ宿題がランドセルに入ったままだもん!」

失敗である。
締め切りの前倒し作戦は、失敗に終わった。

では、どうするか。

🔴やらないと、と思うことがあるときの対処法
さて、わたしがこの世でしばらくの間(あいだ)生きてきて、なにかやらなくてはならないことがあり、しかしなかなかとりかかる気持ちが湧いてこないときの、たった一つの方法は、実はこの世の多くの人が実は実践しているだろうが、以下の方法であります。
ちょっとだけ「準備」をやってみる
この方法は、本来やるべきことの「準備」しかしないのですが、ちょっとだけ、それも準備しかやらない自分を責めない、というのがポイント。

脳裏にすぐに、母親の声で
「そんなすぐにやめてしまうなんてダメ!」
とか
「やったうちに入らないよ!」
とか
「最後までやらないのは、本気だしてない証拠!」
とか、再生される人はかなり洗脳されていますが、早急に親離れしていただき、
「ちょっとだけ準備が進んだな」
と満足することが秘訣です。この場合は。

たとえば宿題がまだランドセルにつっこんだままになっている場合は、とりあえず、そこから取り出して、机の上に置いてみる。
それが「準備」ということです。
それだけでもよい。

次の日、目の前に現れた宿題をみて、ここからここまでやるんだな、とか、パラパラとめくってみる。それだけでもいい。それも「準備」だ。

その次は、筆箱を取り出して、えんぴつをけずってみる。また、夏休み帳の最初のページを開いておく、あるいは、机の周囲を片付けて、きれいにしておく。それだけ。

つまり、ちょっとだけ準備をやって、ちょっと間を置く。
この『間』を置くのがポイントで、そのときに、
「ああ、これってやっておきたいよなあ。早めになあ」
という気持ちが、少しずつ醸成されていく。
この『気持ちの発酵』というのが大事。酵母菌が発酵していないのに、パンをふくらませるのは無理でしょう。いきなり小麦粉をふくらませるのは、物理的に不可能なのです。

だから、「気持ちを発酵させる」

その発酵をうながすのが、「ほんの、ちょいとした準備」なのです。
ランドセルを開けるだけでいい。
そこから夏休み帳をとりだすだけでいい。
えんぴつを削るだけでいい。

そして、「ぼーっ」とする。

「これ、やらなきゃなあ。今やれば楽だよなあ。やっておきたいよなあ」と、ぼーっと静かに考えながら、自分の気持ちが素直になっていくのを見守るのです。そのくらいの落ち着いた、ピュアな心持ちです。決して、追い込むのではなく・・・。

ふと、「よーし、やってみるか」となる瞬間を待つのです。

やらないと死ぬ、とか、やらないと〇〇さんにどう思われるか、とか、余計なことは考えない。それは実力を削ぐ思考で、大リーグの大谷選手のようにはなれません。大谷選手は「打たなければ恥だ、ヒィ」とか「ホームランを打たないと死ぬ(過呼吸)」とか思っていないでしょうね。

気持ちがうまく発酵し、パンを焼く前のいい生地のようにふくらんでくると、自然とパワーが生まれてきます。そして、純粋にやりたくなる。やれるぞ、という自信も同時に、どこからかやってきます。これは断言してもいい。大丈夫、ふと、「やってみよっかな」という気持ちになる瞬間がやってきますから。

そこで、私はぜひ、世の中の小学生のみなさんに、お伝えしたい。

まず、ランドセルから出しなさい!(←キレ気味)
夏やすみ帳を!!(←絶叫)

話はそこからだ!!(←白目)


R

「~したい」「~してほしい」が言えるように

小学校の教師をわりと長く務めてきた経験から、今の子どもたちを見ていて思うことを書く。
それは、ちゃんとした喧嘩ができない、ということ。
陰湿で、かげであれこれ、と言う。
背中に回ってこっそりと舌を出す、という感じだ。
決して正面に立たない。

どうして正面切って堂々とできないかというと、自分に自信がないからで、それは自分で自分の行動を選択する、ということをしてこなかったからだ。
では、なぜ自分で自分の行動を選択決定しないのかというと、これも簡単で、これまで強権的に支配されてきた時間が長かった、ということだろう。

要するに、家でも学校でも、強権的な態度の大人に支配され、言うことを聞けばよい、という感じで育ったのではないかと思う。

わたしなどは、すぐに疑問符が出てくるから、
「それでいいの?なぜ疑問をもたないの?反抗しないの?」
なーんて、いろいろと思ってしまう。「支配されている」と感じ取る子もいるはずで、親にも教師にも反抗するのでは、と思うが、それをしない。もしかすると、反抗すると損だ、という「計算高さ」をもっているのかもしれない??

また、親や教師も、強権的に支配をしながら、実際には飴も差し出す。
上手に言葉を選んで、タイミングを選んで、飴(あめ)をうまく使う。
そういうことができる大人が増えてきた。

そこで、反抗せずともおとなしく(よそおって)、言うことを聞く習性になってきている。
たしかに甘い飴を十分にもらえることがわかっているのであれば、まあいいか、と自分をごまかしていさえすれば、それでやりすごすこともできるのだろう。しかし、本質的には満足していないから、顔の表情は暗い。さっぱりして明るい、という表情にはならず、どこか他をねたんだり、うらやんだり、マウントを取りたい、という自信のない表情になっている。

要するにこれは、強権的に支配されてきたからだ。
物心ついたときから、支配されてきてしまった。
だから、それ以外のふるまい方を知らないのである。

したがって、子どもどうしのトラブル、喧嘩になったとき、どうふるまうかも考えられない。
他の命令で生きてきているから、コントロールできないような状況にはまると、どうしても自分で考えるのではなく、周囲を見回すだけになってしまう。
ただめそめそ泣くか、逆上して攻撃するか、友人にしきりに悪口を訴えて広める、という具合だ。

過去、何度もこのブログには書いてきているが、
「結局、自分がどうしたいのか、どうしたかったのか、言えるかな?」
と問うと、そんなことを聞かれるなんて思ってもみななかった、という表情で驚いている子がいる。

これまでの人生で、

「どうしたいか」

を問われたことがなかったのか、とこちらも驚く。

それでも言えないことが多い。なぜなら、自分がこうしたい、というよりも、「相手にこうしてほしい」ということが先にあるから、どうしたいの?と聞かれると、言葉に詰まるのだ。

「わたしは仲直りしたい」

ということさえ、言葉にすることができない。

そこで、「じゃあ、言い換えようか。まずは、〇〇ちゃんに、どうしてほしかったのか、というのは言えるかなあ?」と問う。

すると、これは言える。
しかし、言葉がおかしい。

たとえば、
「〇〇ちゃんが先に△△をしたのはずるい」
というふうに言う。

善悪で早く裁(さば)いてくれ、というのである。
しかし、裁くのが重要なのではなく、ここはお互いが理解するのが大事なので、裁いておしまい、というわけにはいかない。理解なき裁判というのはあり得ないからである。

言い直しをしてもらう。
「ずるいかどうかの前に、どうしてほしかったのか、本当は〇〇ちゃんにしてほしかったことを言ってもらえるかな」

すると、ようやく
「△△をする前に、こっちをみて気づいてほしかったし、先にやってよいかをわたしに聞いてほしかった

ということが言える。

すると、不思議なことに、ようやく安堵した表情になる。
つまり、支配下から抜けるのである。
だれかの支配下にいた自分が、支配下にいてただ恨むことしかできなかった私が、ようやく地上に出てきた感じになる。

ようやく、自由になれたのだ。自由というのは、わたしの意思をはっきりと他に示し、伝えることができるということ。そして、相手の意思をきちんと聞ける自分を用意するということ。

強権的な親や教師のもとで育つと、素の自分を出せないまま地下にもぐる。
そして、他を「ないしょで」「かくれて」批判し、すべてを他のせいにする思考が育つ。
「だって、〇〇しろって言われたんだもん」
「だって、〇〇はダメだって言われてないもん」
これは『支配下の思考』でありましょう。

自由の意味を理解していない子が多い教室では、子どもが、お互いの権利を認め合うのではなく、お互いに権利を主張し合うようになります。
そして、折り合いを付けるため、どんどんルールが増えます。
逆に、ルールで禁止されていないことならどんなことをするのも「自由」だろうという考えが広まります。どんどん悪循環になっていきます。

至るところで諍いが起こります。民主主義が機能しなくなり、いつしか社会は、強力な権力者の出現を求めるようになります。それが自分たちの自由の息の根を止めることも知らずに。

もし仮に、

「先生、学級会なんて時間の無駄です。ぼくたちに考えさせるのでなく、はやく〇〇くんを断罪し、叱ってください!」

なんていう子がいるようなら・・・
身震いがする。
このまま成長したらどうなるか。
おそらく、「独裁者の支配する強権的な社会を待望する大人」に育つだろうと思うネ。

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プロジェクトXとは真逆の現象

オリンピックにあまり興味関心のなかった私にも、テレビや新聞報道で情報が耳に入る。小山田さんや小林賢太郎さんのことは週刊誌やワイドショーに限らず、ずいぶん話題になっているようだ。

そもそも今回の五輪には、当初からいろんなケチがついていた。
振り返ると、こんな感じ。
■2015年7月:新国立競技場の計画「白紙に」
■2015年9月:エンブレムのデザインも白紙に
■2017年4月:新国立競技場の現場監督が自殺
■2019年1月:JOC会長の贈賄疑惑
■2019年4月:当時の五輪相が問題発言で辞任
■2021年2月:女性蔑視発言で森喜朗会長が辞任
■2021年3月:容姿を侮蔑する企画を提案、開閉会式の統括が辞任
■2021年3月:聖火リレーがスタート、辞退続出
加山雄三さん、斎藤工さん、黒木瞳さん、TOKIO、広末涼子さん、香川照之さん、藤井聡太さんらが辞退。
■7月19日:開会式の作曲担当、小山田圭吾さんが辞任
■7月20日:関連プログラムに出演予定の絵本作家が出演辞退
7月22日:開閉幕式の演出担当者、ユダヤ人虐殺をネタにしていたとして元お笑い芸人の小林賢太郎氏を解任

このあたりの経緯を伝える報道を、NHKで見ていたとき、ふと浮かんだのは、
「これ、心がどんどん離れていった、ということだな」
ということ。

そして、「プロジェクトXとは、まったく正反対の世界だ」と思った。

心がどんどん寄ってくる、集まってくる、知恵が知恵を呼び、奇跡を起こしていく、ということがある。とくに、みんながなんとしても成功させたい、という思いになると、それが伝播するのか、クラス中がそうなる、学校中がそうなる、ということがある。

高校の文化祭がそうだった。

いろんな困ることが起きても、その都度、どこからか「なんとかしよう、のりこえよう」という知恵が集まってくる。人も寄ってくる。
なぜ人が集まってくるかというと、みんな、そこにかかわりたい、という気持ちがあるからだ。
だから、自分の用事が済んでも、なんとなく体育館の方に集まってきて、演劇のメンバーに声をかけてから帰宅するとか、部室の横で、巨大な「はりぼて」に糊(のり)を塗っている子に「がんばれよー」と声をかけ、様子をうかがってから帰宅するとか、していた。

そうすると、なんか困ったことがあっても、知恵が寄るんですね。
〇〇がないんだけど・・・というと、知っている子がいないか、とクラスに報告してくれる子がいて、するとふだんは面識ないけれど、たしか3組のTくんが持っていたと思う、とか情報が集まってきて、Tくんが必死になって翌早朝に届けてくれたり・・・簡単に言えば、そういうようなこと。

こういうモードになると、不思議とさまざまなことが、どんどんと雲が晴れるようにして起きてくる。みんながみんな、まっしぐらになっているから、他の人の動きがよく見えるし、感謝の念も湧く。「ああ、あのメンバーが、ここ、掃除してくれてたんだ!」もう、感謝しかない。


小学校でもそうですね、なにかの発表を成功させよう、と本気が伝わり始めると、みんなの嗅覚やら目つきやらがするどくなって、

「ねえ!〇〇ということにしようよ!」

というアイデアもたくさん出てくるようになる。
これまでの日本は、そういうことが多かったのではないかと思うね。
プロジェクトXなんて、古い番組だけど、あれを見ていたら、そういう仲間の知恵が不思議と集まって、なんとかして苦境を脱する、という奇跡が起きる。そういう奇跡が、各分野・各地域でたくさん起きてた、ということがわかる。

ところが今回の五輪は、心が寄らなかったみたい。できたらかかわりたくない、という気持ちがあるから、トヨタの会長さんまでが開会式に出席しなかった。
心が寄らなくなったイベントは、苦しい。
心が集まらなくなった目標は、だれもその達成を、のぞまなくなる・・・。

人は、自分の心に、嘘はつけない。
本当はやりたくないけど、忖度して顔だけ笑って、なーんて。
そんなウソ、いつわり、まんちゃくが、続くわけない。

問題は、最初はみんな、やる気に満ちていた、ということ。
だってみんな拍手してたもの。テレビでも、芸能人が本当に晴れやかな笑顔で、五輪の開催を喜んでいた。それが、いつの間にか、「かかわりたくねえな」になっちゃった。

そのターニングポイントはどこか。
リーダーが消えたところかな、と個人的には思う。
リーダーというのは、みんなの心が寄るところ、中心にいてくれる人。
みんながやがて集まるはずのところ、その中心にいてくれる人。
部屋の中心、囲炉裏のあるようなところに、どっか、と腰を下ろしてるイメージ。
それが、だれもいない、と感じたら、だれも寄り付かなくなる。

だから担任は、いつも教室で、その囲炉裏の火を絶えないように、消えないように、どっしりとかまえて、薪をくべて、うちわであおいで、じっとふんばって見つめていないといけない。それが学級担任のいちばんの姿。心に夢を期して、火をじっと見ているのが、仕事なのだ。

石原都知事もいなくなり、猪瀬都知事も・・・
みーんないなくなろうとしていて、だれも囲炉裏の火をみてる人がいないんだもの。
これじゃあ、プロジェクトがプロジェクトにはならんわね。
「United By Emotion」 が大会のモットーでしたが・・・

やっぱ、こころが整わないと、形をととのえようとしたってダメですよね。

薪をくべる

スポーツをやめることについての一考察

小学校教師というのは、授業を行うのはもちろんですが、日本の場合は、どちらかというとそれがメインなのではありません。
授業は業務のうちの3割程度かな・・・実感としては・・・
メインの業務は、お子さん方のメンタルのお世話でしょうか。

といっても特に何かをするのが必要なわけではなく、ただひたすら、

〇共にすごし
〇共に給食を食べて
〇共に掃除をして
〇共に生活上のいろんなことを話し合って
〇共に感想を出し合って
〇共にじゃ次はこうしようとか言い合って
・・・

という繰り返しをするのですが、
それがまあ、いちばん人間が成長する元になります。
特段、なにかが必要なわけではなく、人間は元々、日々成長し、良くなっていく存在なのかなと思います。

そこで、教師も毎日あれこれと子どもの姿から学びますし、あれこれ考えます。
わたしは

「自分なんかよりもよほど偉いな、この子は」

と思う子によく出会う。
私が自分の子どもの頃を思い返すと、この子は少なくとも自分よりはマシ、と思うことが多い。
だからなんとなく、甘い、と言われてしまうのでしょうかネ。
わたしは高卒で大学も中退だし20代もろくに稼がず、職業も転々としてまっとうな人生を歩んできたとは言い難い。だから、この子は自分よりもおそらく偉いし、立派な人生をおくるだろう、という気がしてならない。どの子に対してもそう思う。

だからかもしれないが、子どもたちが悩みを打ち明けてくると、

「たいしたことないですナァ・・・」

としか思えない。
これは教師としてはマズい。親身になって受け止めてあげなくてはいけないと思う。当人は真剣なのだから。

6年生になり、長く続けた新体操を辞める、と相談にきた子がいる。
実際は、お母さんが相談をもって学校に来られた。その後、当人もまじえて話し合った。

何よりも、お母さんが

「小1から続けてきて、県大会で二十位までに入った。本人も楽しく続けてきたのに、やめるのはもったいないと思いまして」

と悩んでおられた。

しかし、当人は中学に新体操の部活がなく、中学ではクラスの友達と一緒に部活に入りたいのだ、という。
どの部活に入るかは具体的に決めているわけではない。ただ、友達といっしょに部活をしてみたい。新体操を続けると、ほとんど毎日のように県の体育館やスクールに通って練習をしなければならないため、部活には入ることができない。

当人は
「できたら両方やりたいし、新体操もきらいなわけではないから、続けたい気持ちもあるが、これだけになってしまうことについての不安がある」
とのこと。

「これだけになってしまう」というのが、子どもの言い分。
母親はそれに対して、「それでいい」と思っている。人間、何かに打ち込むのは幸福なことだが、いくつもできないのだから。新体操がたのしくやれたらそれでいいのでは、と考えているようだ。

私は、近くのお寺の和尚さんに相談してもらいたい、と正直思う。
だって、この相談、小学校の教師にすることか?
人生の悩み相談は、お寺の和尚さんに相談するのがこの国のルールだったはず・・・(ちがうか)

私は小学校の教師であり、授業の相談や学習のこと、クラスの人間関係などのことは相談に乗るが、あなたの私的な活動については正直、どうでも・・・あ、いや、すみません。お話は聞かせていただきます・・・。

みなさんはどう思われるでしょうか?
わたしは自分が仕事が長続きせず、転職を繰り返すほどのだらしない人間であったので、

「辞めたい?いいんじゃないの」

とすぐに言ってしまいそうである。
わたしは長続きがしない、そのために損をしてきた、ということにかけては他の人にひけをとらないくらい自信がある。

お母さんは「もったいない」と何度も言う。

ところがその結果はどうなるかはだれにもわからない。
わからないからお母さんも当人も、どうなんだろう、と真剣に悩む。

わたしは、20代の最初になぜか子牛に早朝ミルクを与える仕事をしていたが、あれを続けていたら今、おそらくいっぱしの酪農家になれていただろうと思う。あるいは肉牛の専門家として今頃はステーキを食べ比べることができる人材になっていただろう。当時は雄牛の去勢もしたが、去勢のプロにもなっていたかもしれない。

しかし、辞めた自分のことを「ざんねんなやつ」とは思わない。
むしろ、あれこれと遍歴し、漂泊し、一貫性のなかった自分自身のことが好きだ。

わたしは結局、なにもアドバイスができないまま、うーん、と腕組みして
「むずかしいところですよねえ・・・」と言葉少なに何度かつぶやくだけでした。
お母さんはマシンガントークを娘と繰り広げて、疲れ果てて帰宅されましたが、娘はおそらく、もう心の中では「辞める」と決めているのでしょう。
ところがお母さんがそのことに納得していないので、その子は仕方なく親を私のところに連れてきた、ということが真相でしょうね。

子どもは、「スポーツを辞める自分を自身では否定もなにもしない」のに、親が否定している。
子どもはスッキリしていて、強いですよ。力強く自分の足で立っているのが子どもで、ふらふらと不安でしっかり立てていないのが親、というのはよくある構図でしょう。

今回のオリンピックでも、競技の直後に引退を宣言する選手が、たぶん少しくらい、いそうです。
で、その人はすごくすっきりしていて、そんな決定を下した自分に誇りをもっているんだけど、
周囲の別の人が「もったいない」と言う、というのは、いかにもありそうな話ですナ。

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多様化進む子どもの「習いごと」と「趣味」

野球少年が多かった時代は、みんな野球をやっていた。
プラスチック製のバットをみんな持っていて、公園に集まるとみんな野球だった。
ボールはやわらかいテニスの「赤M」で、軟式野球のボールは使われなかった。軟式の球は固いから、ホームランが出ると近所の家のガラスが本当に割れてしまうからである。赤Mならたとえ窓ガラスにあたっても大丈夫だし、体に当たっても痛くないし、ボールがゆがむから、ヘンテコなカーブも投げられた。

だいたい、団地の真ん中の一つしかない公園で、みんなで遊んでいるから、みんなでブームにのり、みんなでブームから離れたのである。

ローラースケートもやったなあ。
ただし、2年くらいしかブームが続かなかった。
みんな買っちゃったから仕方なくやっていただけで、2年目はそんなに盛り上がらなかった。結局、いわゆるブームだったのでありましょう。

という具合に、昭和の子どもたちは、わりとみんな少ない選択肢の中で、あれこれと動いていた気がする。

『アタックナンバー1』のころはバレーボールをやり、『エースをねらえ』の頃にテニスをやる。
我々は、テレビともちゃんと歩調を合わせていた。
「今、時代はコレだな」
と、みんなでそう思っていた。

スポーツそのものが時代に合っていたのだろう。スポーツが神性を帯び、スポーツが社会の中で果たす役割がとても大きかった気がする。

近所の仲間のうち、どうしても野球が苦手なのに、野球部に入っている子がいた。
なんてったって、彼の振るバットに、ボールが当たったためしがない。
また、なぜかフライはいつも彼の頭上を越えていく。
しかし、わたしは彼を馬鹿にはしなかった。
なぜなら彼は、それでも堂々と「野球」の道に進んだからである。
わたしはキャプテン翼が流行し始めた最初の頃で、自分では自分のことを、王道を離れてサッカーに流れてしまった軟派だととらえていた。したがって、野球という硬派な正統的スポーツをしっかりやろうとする彼のことを、ひそかに尊敬していた。

当時の少年にとって、たとえ苦手だとしても、その世界に入りたいと思えるくらい、野球は正統派であり、まぎれもなく【人の生きる道】でありました。

ところが、それが徐々に雰囲気が変わってきたのが、やはりバブルなんでしょう。精魂傾けて精進し、目的を達する、というのが茶化される感じが出てきた。軽薄な時代とよばれたバブルの頃で、ウッチャンナンチャンがいわゆるスポーツ根性もの、スポ根をネタにしてお笑いに変え、コントにして受ける時代がきた。

それまでは王貞治さんを見て笑う人なんていなかったのに、「懸命に精進する人を見て笑う」という文化が出てきた。

今、小学校の教師をしていて思うのは、そういう「精進する人をみて笑う」というのは、今はなくなりました。そう断言してもいい。スポーツ根性物をネタにするような、ウッチャンナンチャンのコントを見ても、今の小学生は笑わないでしょう。笑うのは、当時のことを知っている大人だけだと思います。我々は、古いコントを今見ても、やはり笑えるでしょう。

なんで今の子たちは笑わないのか。
実は、野球は野球、サッカーはサッカー、鉄オタは鉄オタ、古典落語は古典落語、それぞれ人生は一度しかないのだから、やりたいことをやればいいのだという気持ちを、今の子たちはハッキリと持っているのだと思います。
で、大前提として、他の人のそれをぜったいにバカにしない。

昭和の時代に、古今亭志ん生を聴いている中学生は馬鹿にされましたナ。
「なんだい、落語なんて古臭いものに興味なんて持っちゃってサ」
と、後ろ指をさされたものです。

高校に入って落語をやる、と言っただけでネタ扱い。
完全に変人の枠に分類され、小馬鹿にされました。
今のこどもたちに、そういう変な価値観はありません。存在しない。

それはなぜかというと、「知らないんだから、馬鹿にすることができない」という、至極まっとうな考えによるのだと思います。だって、それがどんなものか、よくわからないんだもの。

昭和の時代は、野球かサッカーか、というので「どっちがつおいか」「どっちが王道か」みたいな意地の張り合いがあったのでしょうね。今考えると。
世間的にどちらが価値が高いか、というのとリンクしていたような気がします。
そんなもの決められないのに。

名古屋と東京と大阪と比べてどれがいいか、みたいなテレビ番組がやっていたのを覚えています。そういう価値観があったんです。比較してくらべよう、という雰囲気があったんですよね。で、名古屋はタモリさんに徹底的に馬鹿にされていました。くやしかったです。

今、小学生にそのような価値観はない。
「だって、比べようがないでしょう。なにをもって比べたといえるの?」
なーんて、小学生につっこまれそうです。

クラスに乗馬をやっている子がいますが、どう思いますか?
わたしは最初、すげえめずらしい、と思って大いに反応しちゃいました。

「えー!!乗馬やってるの!めずらしいねえ!かっこいい!!」

わたしが珍しがってもあまり反応がありません。

「はあ」

と静かに言うだけ。
そんなに騒ぐことか?といった表情でこちらを見つめています。

つまり、「人は一人ひとり、ちがうことをして当然だから、乗馬だから、ということに価値があるわけではない」という風なんですよ。伝わるかなこの感じ。

乗馬をやっている小学生は少ないかもしれないが、同じように希少な昆虫の研究をしていたり、近所の化学クラブで実験ばかりしている子もいるし、新しいコンテンポラリーダンスに挑戦している子もいるし、母の影響で毎日ミシンで新しい衣装を作っている子もいる。父の影響で燻製づくりにはまる小学生もいる。

特別だから価値がある、というのでもない。
同時に、王道だから価値がある、というのでもない。
そんな雰囲気になってきた。


逆に言うと・・・

スポーツの人気が、相対的に下がってきている。
スポーツ以外の道が、たくさんあることに気づき始めたというべきか。

考えてみれば当たり前で、苦手な子も「野球」を選んだ昭和の時代とはちがうのだ。
スポーツに向かない子もいるし、集団競技はいやだ、という子もいる。力いっぱいに何かをする、というのが性に合わない子もいるし、だれかと競争する、という文化そのものを受け付けない子もいる。協力するのならやるが、勝ち負けをつけることは下卑た精神だからやらない、という子もいる。

「勝ったとか負けたとかいうのがすでにいやなんです」

という子がいて、体育の時は実に嫌(いや)そうにしていた子もいる。

なんだか時代が変わってきたなあ、と、古い私はそう思ってしまう。
たしかに、「勝った負けた」は世の常だ。
人が勝ち負けにこだわるのは、今の社会の当たり前のような行動である。
しかし、それ以外の価値観もある、ということなのだろう。
勝ったからよい、負けたからよくない、という価値観そのものも、多様化しているのかもしれない。

さて、五輪開幕が近づいてきた。明日ですか?開幕は??
始まってみれば盛り上がるでしょう。基本的にみんなスポーツは好きですから。え?好きじゃない人だっている?

たぶん、本当に心底、五輪に興味のない人もいるでしょうね。
今の子たちはクラスで一切五輪の話題を出しません。
たぶん10年後とかになると、スポーツそのものが少しずつこれまでのように過大評価された地位にはいないかもしれません。少なくとも、「当然のようにみんなが熱中するもの」という地位からは、すこしずれていくのではないかと思います。

野球部が無くなった、という高校が近所にあります。
高校野球、という言葉すら、だんだんとメジャーな地位から降りていっているのですね。
昭和の時代、蔦監督が率いた池田高校の野球を見て快哉を叫んだ私からすると、とても信じられないような、くやしいような話ですが。

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