〇空飛ぶ車
〇量子コンピュータ
〇3万2000の遺伝的疾患
〇寿命脱出速度の加速
〇培養肉
〇量子ドット
〇脳が直接インターネットに繋がる
〇メタ知能
〇学歴の意味はなくなる
〇水がもっとも希少な資源となる
漫画<アキラ>の中で、大友克洋氏はオリンピックの中止を予言した。
予言というものの中には、たまには当たるものが、混じっているようだ。
上記の予測は、予言というよりはもうすでに実際に進みつつある現状だ。
したがって、ほぼ100%、世の中はこんなふうに進んでいくらしい。
水の問題は深刻で、水源を確保した企業は最高に儲かるが、水源を確保できなかった自治体は生命のカギをにぎられ、弱体化するとのこと。(日本の山のふもと、水源になる土地は、これから世界中の多国籍企業が買い占めていくだろう)
固定電話の権利というものが、ずいぶん昔は売られていたものだが、今はそれを買う人はほとんどいない。「固定電話には価値があるだろう」と信じる人が多い場合は、それが売買され、利用する人も出る。学歴も同様。固定電話と同様に、「うーん、要らないかな。なくても平気かも」という人が徐々に増えていくだろう。そうなればなるほど、学歴を信じてもらえる世界はほとんどなくなり、信用する人もいなくなる。企業も学歴を信じるのではなく、実際のその人物のアビリティを見極めるようになる。
さて、現時点で小学生の子どもたちは、なにをどうすればいいのか。
わたしは、子どもたちが「未来予測」をすればいいと思う。
未来がこうなる、という予測をするには、そうなる証拠を集めなければならない。
また、それが単なる雑な情報なのでなく、論理的に推理できるための有力なデータでなければならない。ごみのような情報か、有力なデータか、見極めるのがむずかしいのである。しかし、そこを小学生なりに真剣に考えていくのが楽しいのではないだろうか。
国語算数理科社会も、もちろん大事だ。
音楽体育道徳家庭科も、むろんだ。
しかし、「未来予測」ほど、楽しい学びは、他に見当たらないくらいではないかと思う。
人間は、未来を考えるのが、基本的には楽しいのではないかと思う。特に子ども時代は。
(わたしはもう若くなく、日曜日にちょっと畑を耕した程度ですでに腰が痛い。人生も折り返し地点を過ぎたようだと、未来はあまりどうでもよくなってくる気がする。しかし、死ぬまでになにができるかを考えるのは、基本的には楽しいことにちがいない)
