やなせたかしさんといえば、アンパンマンの作者であり、「手のひらを太陽に」の作詞家としても有名だ。子どもたちにきくと、手塚治虫よりも「やなせたかし」の方が知名度が高い。
「おれ、今でも部屋にでっかいアンパンマンがあるよ」
身体の大きな、背の高い男子が言うと、教室中に笑いが起きた。
「頭にほこりがつもってるけど、本棚からずっとこっち見てる」
本人も笑いながら語っていた。
そのやなせたかしさんの伝記で中心になっているのは戦争のことで、戦争で弟を亡くしたたかしさんは「正義とはなんだろうか」と考え続ける。自分なりの答えを出そうとしてずっと自問して生きている。
たかしさんはあるとき、道で仲良くおにぎりを分け合っている兄と妹を見る。
「おなかが減った妹といっしょに、おにぎりを仲良くわけあって食べている兄を見て、これだ、と思った」
本当の正義とは、おなかがすいている人に、食べ物を分けてあげることだ。やなせたかしさんは、そこからあんぱんまんの着想を得た。
授業の中では、子どもたちと伝記を読んで、それぞれがそこから自分で考えたこと、生きるヒントをもらったことを文章に書いてみた。すると驚いたことに、こんなふうに書く子がいた。
「やなせさんは戦争で人を殺したと思います」
それがまた、クラスでいちばんよく本を読んでいるような、秀才の女の子だったから、わたしは驚いた。彼女が書いたのであれば、この文面は、よほどよく考えたうえでのものなのだろう。
どういうことか、さらに読み進めて、なるほど、とうなった。
彼女は、教科書の文中の、ある部分が気になったらしい。
それは、戦争について、やなせさんが触れた箇所。
そこには、
「戦争は人を殺すもの」とある。
彼女は、
「あれ?」
と思う。
ふつう、戦争について書く場合、よくあるパターンは、こうじゃないか、と。
「戦争は人がたくさん殺される」
ここがどうしても気になって、考えたようである。
どうしてやなせさんが、殺される、ではなくて、殺す、と書いたか。
さて?どう思われますでしょうか?
あんぱんまんは、顔を食べさせるのが仕事だ。
おなかのへった人に顔を食べさせると、あんぱんまんはもう顔がほとんどなくなってしまい、首から下だけの身体でもって、空を飛んで帰る。
絵本が出版された直後には、苦情がたくさん届いたらしい。
こんなのは偽善でしか無い、と。
ところが、作者のやなせさんは、ひるまなかった。
なぜか。やなせさんが、この主人公に込めた、一途な願いがあったからだ。
たとえば、いじめられている子がいるとする。
その子を救おうと思う。
しかし、そのいじめられた子をかばったことで、逆に今度は自分が標的にされ、攻撃を受けるかもしれない。それでもその攻撃を恐れてはいけない、ひるんではいけない、というのだ。

なぜ、やなせたかしさんが、あからさまな「自己犠牲」の価値を言うのか。
それは、「いじめられることなんて、たいしたことがない」と心の底から言い切れるからだ。
だれかをかばって本当にだれかを助けようとし、それで誰かが助かるのなら、たとえ自分が、そのとばっちりを受けていじめられてもぜんぜん平気だ。
多くの子は、このことから、
「やなせさんはえらいなあ」
と書く。
立派な人だから、こういうことが書けるのだろう。
ぼくには、わたしには、とてもそんなことはできない、と。
しかし、前述の彼女は、違った。
「やなせさんは人を殺したと思います。戦争で。命令されて」
と書いた。
もうお分かりでしょう。
自分が痛い目に遭うことなんて、人の命を奪うことに比べたら、へっちゃらだ、というのです。
自分が人を殺した。そのことの痛みは、自分がいじめられるなどということよりも、何倍も大きい。
比較にならないくらいの苦しみなんだ。
だれかを救おうと思い、人を殺した。
当時の日本の青年は、みんなこうだったのではないか。
大東亜、アジア共栄圏の繁栄のため。
アジアの友好のため。
悪い欧米諸国をやっつけ、アジアに大きな独立と平和を勝ち取るため。
八紘一宇、本当の世界をここに実現するため。
そのために、やなせさんは、人を殺したのだ、とその子は書いた。
そして実際に、やなせさんは、人を殺したことが、どれだけ深い傷と闇をもたらすか、ということに苦しんだ。「殺すよりも殺された方が、何倍もマシだったと考えた」
彼女は戦後、やなせさんが苦しみぬいた、加害者としての自責の念をあばいた。
そして、あんぱんまんが自己犠牲に立ち、ぜったいに敵を倒さない、ぜったいに命を奪わない、といういかにもクリーンな主人公になった背景に気づいた。
やなせさんの苦しみを知らない人が、かんたんに言うかもしれない。
「あんぱんまんなんて、うすっぺらいヒーローで、あんなきれいごとばかりで成り立つわけがない。この世はきれいごとばかりじゃないんだぜ」
しかし、やなせさんは地獄を見た。地獄を知ったからこそ、あんぱんまんを生み出した。
うすっぺらい、きれいごと、とみるのは、地獄を知らないから、無知だからこその見方だろう。
人の命をうばった者の、そのつらさ、地獄を知ったものが、ようやく呻吟と苦しみの果てに、腹の底から絞り出すように生み出したのが、あんぱんまんなのだ。
・・・とまあ、そんなことを小学生が自分で気づいて、「感想文」に書くなんて、すごいと思いますね。
教科書の文中には「戦争は人を殺すもの」という文があるけど、「戦争は人に殺されるもの」という文は、この伝記には載っていない。彼女はそこに気づいた。そして、やなせさんがなぜ、人を殺すのが戦争と書いたのかを考え、戦争は殺されるから恐ろしいとは書かなかった理由に思い当たった、これがヒントだった、と、教えてくれました。
『アンパンマン』が世に出た当初、「自分の顔をちぎって与えるなんて、偽善的だ」「自己犠牲は美徳ではない」といった批判がありました。これに対し、やなせたかしは動じることはありませんでした。
偽善とは「見せかけの善」であり、他者からよく見られたいという下心がある行為です。しかし、彼は、戦争で実際に人を殺すという「究極の悪」を体験したことで、「人を殺さない善」であれば、それがたとえ偽善であっても、尊い行為であると考えるようになりました。
戦争の地獄に比べれば、アンパンマンの偽善的な行動など、取るに足らない善行であると考えました。彼の著作には、「偽善だろうがなんだろうが、人を殺すことに比べたら遥かにまとも」という考えが繰り返し述べられています。つまり、「地獄」を知っているからこそ、「善」であればどんな形であれ尊いという、彼の確固たる信念がそこにありました。
これらの考えは、やなせたかしの作品である『あんぱんまん・いのちの星シリーズ』や『アンパンマンとぼく』、『アンパンマンの遺書』、『人生なんて夢だけど』などで詳細に語られています。彼の思想は、単なるキャラクターの誕生秘話ではなく、戦争を経験した一人の人間が、人生をかけて見出した「生きる」ことの哲学なのです。

