30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2020年12月

子どもはなぜ「愛」に気づかないのか

子どもは宝だということに、なぜ自分自身では気づくことがないのだろうか。

クリスマスに、ばあばからプレゼントが届いた。
200km離れた町に住むばあば。
めったに会えないから、クリスマスにはプレゼントを贈ってくれる。
ばあばは、「孫は宝だから、孫には」ということで、いろいろと心配もしてくれるし、なんやかんやとお見舞いやらプレゼントやらを計画し、送ってくれる。

ところがなぜか、孫であるわたしの息子は、自分が宝である、ということに気づいていないようなところがある。これはいったい、なぜであろう。
孫であるわたしの息子は、

「まあ、なんだかいろいろと、ぼくのために買ってくれたりしてくれるが」

基本的に、遠くに離れて暮らしている人、という認識なのだろう。
ふだんは意識にのぼらないけど、という、いささか薄めの、頼りないイメージらしい。
自転車を買うだとか、お金が要る、という場合には
「ばあちゃんにちょっと電話してみよう」
となるが、それ以外には、特に、という雰囲気。
これでは、ばあばが、報われないではないか!

考えてみれば、わたし自身も父母の父母、祖父母からすると孫であったわけで、
孫であったためにあれこれと心配をかけたり、寵愛を受けたりしたのであろうが、
あまり自分が
「宝であった」
という自覚は、薄かった。反省しなければならない。
しかし、いったい、なぜであろうか。

いや、孫だけが宝なのではない。子どももそうだ。
わたしももう50歳になり、自分の子どももある程度大きくなったために、
「わが子は宝じゃのう」
と思うことは、確かな実感を伴って理解できる。
背が伸びた、とか、自転車に乗れるようになった、とか、思い返せばそのたびに、親としての喜びを感じて生きてきた。
赤ん坊はくてくて寝ているだけのようだが、そのうちに立ち始め、歩きはじめて、あれこれ一人前にできるようになってくる。小さなことでも変化があれば、そのつど、「子どもというのは、宝じゃなあ」と身にしみたものだ。

ところが、宝だと思われている側の、その当人は、自覚が薄いのであります。
なぜかだろうか。

思うに、自己評価が低いからではないだろうか。
子どもなりに、自分は十分だとは思っていないからではないか。
はやく一人前にならなきゃ、と思っているからではないだろうか。
自分自身が、自分自身を宝だと認識することが難しいのは、
「一人前になったらはじめて価値がでてくるのであって、それまではまだ半端モノである」
という考え方が根深いからではないだろうか。

これは個々人によって、子どもによって、感じ方は異なるのが当然だが、それでも今の社会の雰囲気にかなり影響されている部分も大きいだろう。
つまり、日本文化の特徴なのでは?自己評価が低くなりがちなのは・・・。

成人すると一人前になって、はじめて世の中に価値が認められるが、そうでなければまだ価値は無い、という考え方が、日本の歴史には近代以後も、まだ根深く残ってしまっているからかもしれない。

ところが実際には、生まれたばかりでも価値があり、その価値は実は老人となんの差もない。
それどころか、むしろ一生懸命に悪事を働く盛年の男性よりも、なにも周囲をまきこまず、圧政を強いない赤ん坊や一線を退いた老人の方が、社会的にはより多くの人にとって良いわけで。

1)周囲をたくさん幸せにする働き者

2)周囲をほんの少し幸せにする者

3)なにもしないでにこにこしている者

4)周囲に迷惑をかけるがとくにその迷惑の働きの度合いが少ないもの

5)周囲に迷惑をかけるがとくにその迷惑の度合いが多い働きもの

6)極悪の政治家で強圧的に多くの家族に迷惑をかける者

上記のようにランク付けするとしたら、ヒトラーのように戦争を引き起こしたり、虐殺を行うのが最悪のランクであり、それをしないだけでも多くの人はマシである。何も働かないかのように見える生まれたての赤ん坊の方がはるかに人類として周囲の幸せに貢献している。

上のランク表の1と2ではなくとも、少なくとも3であるだけでも、上位である。
これからすると、子どもたちは、もっと、自分が宝だ、という自覚を持ってよいと思われる。
小学生は全員、レベル3よりマシでしょうね。
大人になると、さらに劣化して、レベル4、あるいは悪人レベルの5、というのが出てくる。
私利私欲で周囲の人々を巻き込み、それを当然と思い込んでいるパワハラ体質の強欲で傲慢な大人がさらにその下の【レベル6】だ。こう考えると、何割かの大人よりも、だんぜん子どもの方が世のためになってる。

子ども自身は、これをどうとらえるだろうか。興味がわく。

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人はなぜ平らな道でも転ぶのか

年末の最後の終業式の日。
そのとき、わがクラスでは事件が起きていて、
その対応でたいへんな日でありました。
事件とは何かというと、Sくんがころんだことです。


Sくんがころんだのは、なにもない、床だけの、階段の手前の広い場所。
たいらで、つるっとしたところ。

自分でも
「なんでころんだのか、わかんない」

ところが膝頭をしたたかに打ちまして、
床にがくっと崩れ落ちた衝撃で、
ひざのお皿がとにかく痛いとのことで、
すぐに病院に運びました。

子どもたちは担任が突然いなくなることにも慣れてますから、
「あとは教室大掃除して、身の回り片付けて、時間になったらさようならして!」
とわたしが居なくなっても
「はーい」
という感じで、淡々とすごして時間になったら帰宅したようです。

わたしは何度もいぶかって、Sくんに確認したのですよ。
それは何かというと、

「なにかにつまづいたのでは? あるいは薄いシートのようなものの上に靴が乗って、すべったのでは? 床になにか落ちていたか?」

ということ。

ところが何度確認しても、そうではない。
何もないところで、Sくんはただ、簡単に言えば、自分から、勝手に転んだのです。
わたしは、最初、ひとは「なにもない、つるっとした、平面の床では、人というのはなかなか転ばない」と思い込んでいた。決めつけていた。
だが、実際には、ひとは「なにもない平らな面でもころぶ」のであります。

人間は、簡単にいうと、以下の2種類に分けられることを、今回理解しました。
ひとつは、「なにかにつまづいて転ぶ」タイプ。
こちらは、ふだん、地面をよく見ていません。
だから、石が顔を出しているとか、木の根っこがところどころにある場合に転びます。

もう一つは、「でこぼこしたところの方がしっかり歩ける」タイプ。
こちらは平らな方が歩きにくい、と感じています。
はっきりと、右、左、と重心を決めて、体重をそちらに交互に傾けることが好き。
山道などで、ちょっとした段差や階段など、左右に体重を移し替えて、ぐっと体の片側に交互に重心を置きながら歩くのが得意です。
だから、階段とか段差のあるところ、あるいは山道の方が転ばない。
でも、なんにもない、平らで、なめらかで、つるっとしたところだと、
「今、どちらに体重をかけていいんだか、わからなくなる」。
そこで、転ぶのです。

人間は得意不得意がありまして。
平らなところを転ばないで走る、という試験だと勝てる子も、
山道はどうか、と試験項目が変われば、まったく勝てません。
逆に、山道では大得意という子も、きれいな競技場のトラックだとうまく走れないのです。

今度駅伝がありますが。
あれはいいですね。チームですから。
山道が得意な子は、山道で。
市街地が得意な子は、市街地を走ればいいのです。

でも、個人対個人になると、やっかいです。
だから、人間は、得意な競技で勝てばいいわけね。
逆に言うと、不得意な競技で負けても、それはそれで、ぜんぜん大丈夫なわけだ。

わたしは、高校入試に「落語」があったらクラスで1位をとる自信があったねえ。
「音楽」に、ホーミーがないのも、惜しい。あるいは口笛、という単元があれば。
評価基準が変われば、世の中のありとあらゆる評価は、がらりと変わるでしょうナ。
大学入試に、落語があれば、と願うひとは、わたしだけでは無いでしょう。

人はなぜ平らな道でも転ぶのか。
なぜかというと、人間にはタイプがあり、それぞれに得意不得意があるから、ということになりますね。
どうでしょうか?

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自分のミスをあっという間に許しちゃう子

子どもを叱るとき、子どもが下を向いてうなだれていると満足する教師は居ない。
日本中の教師、全員が全員とも、そうではない、と言い切りたい。

わたしは人生のかなり途中くらいから、
それも大きな仕事をやめて、ぜんぶ身に着いたものや肩書や、
持っていたいろんな多くの物を整理したころに教師になった。

だから、わりとなんでも許しちゃうところが根底にある。

これは教員としては弱点であり、きちんと叱るときに
まったくテンションが低くて、子どもから舐められている。

いっしょに叱っている他の先生が、
「あらま先生も叱ってほしい」
と思っているのではないかと思う。

わたしは叱っているつもりなんだけど、ぜんぜんテンションが違うし、
声のボリュームも迫力もなく、ただ
「うーん。どうだったんだろうねえ」
と子どもの前でつぶやいている感じだから、他の先生からみると

歯がゆくて仕方がないらしい。

ところがたいていの先生が私よりも年下で、
わたしが主任だったりするもので、
直接わたしになにか言ってくる先生はいません。

だから上記のことも、「そう思われてそうだなあ」という、ただの想像です。

なんでこんなに叱ることが苦手なんだろうかとつらつら思うに、
要するに、

わざとやってたわけじゃないもの

という気持ちが、考え方の奥の方に、かなりしっかり強くあるのだと気づいた。

わざとやっているのではないか、という可能性も、もちろんある。
だけど、それは子どもがそう言ったって分からないし、
そう言わなくたって、真実はわたしには分かりようがない。

だから、すぐに許しちゃう。

というか、もっとよく見てみると、

わたしはかなり、自分に甘い。

そこがもっとも奥深くの原因かもしれないことに、今さきほど気づいたところ。

いろいろミスがあっても、おそらく0.00001秒ですぐに自分を許してしまう。
というか、許す以前に、まったく自分を責めないところがある。
これはすべて、10代後半から20代のころに身についてしまった、脳みその癖でありましょう。

非の打ちようがないほど、完璧に近いと思われる人物にも、何人も出会ってきました。
でも、考えてみるとどうしてわたしがその人を
「完璧だ」
と思うかというと、はなはだ危ういわけで。

だって、このわたしが判断していることだもの。
わたしが「完璧だ」と思うことが、「完璧」であるはずがない。
わたしはそもそもミスが多いのだから。

その時その時で、最善を尽くす。
最善を選択する。
このことにかけては、自分には嘘をつかない。
だから、ぜんぶ自分のミスは許して当然と考えている。
わざとじゃないのだから。

年越しの寸前に、子どもの作文を読んでいて、こんなようなことを考えた。
子どもに対して、

「どうだった?自分としてはどうだったの?・・・次はどうする?」

と聞くのが教師の仕事だが、そればかりやっていると、

子どもってえらいなあ、と素直に思いますね。
だって、きちんと最善を選んでますから。

宿題さぼっている理由が、イモリに餌をやったら眠くなったから、とか、
ゲームが終わらなくて、とか、他にもっとくだらない理由のときもある。
けれど、きちんと振り返って、どうするか、どうしたいか、
頭がよくなりたいか、授業がわかりたいか、というところからきちんと話すと、
やっぱり前に進もうとする。

2学期の漢字学習が進まなかった子が、3学期はきちんと心をいれかえて(?)、
すぐに3学期の予習をはじめ、わたしに自慢しに来る。

「先生すごいでしょう。おれ、もう3学期の漢字、ノートに2ページもやったで」
「すごいやらー。おれも」
「まだ冬休み前なのにやったんだで」

たったの2ページで自慢しに来るとはいい度胸だ、と思う。

しかし、ちっとも叱らないのに、きちんと3学期に向けて、勉強を始めましたよ。

本当に、子どものミスを、責める必要ってあるんかな、と疑問に思います。
こんなことを2006年からずっと考え続けていて、まだ考えは何も変わりません。

まもなく当ブログ、2006年1月からですから、丸15年が経ちます。
今夜はチラチラと、雪が舞い始めています。

2

ご飯を炊く、という宿題を子どもは

今年は家庭科の調理実習ができずに困っていた。
なにせ、市の教育委員会から許可が下りないのである。
コロナ感染の状況があるから、許可しない、と校長が言われてきた、とのこと。
それが、なぜか2学期末になって許可が下り、調理実習をすることになった。
5年生で学習するのは、ご飯を炊くことと、おみそ汁をつくること。
うちもやろうと思っていたのだが、間に合わなかったので、結局3学期にやることにした。

子どもたちに尋ねてみると、ごはんをしっかりと炊いた経験のある子が半数しかいない。
そこで、冬休みに、自分で多少、トライをしてきてもらうことにした。
まだ学校ではしっかりと習っていないが、事前に、家で勉強してきてほしい、と。
そのことを、週末に出すプリント(家庭への通知)で書いておいたところ、

気の利いたお母さまたちのなかで、

「ちょうどいいわ。ごはんはあんたに任せるから」

と、すっかり小学生に自宅のごはん炊きを任せる、というご家庭が出たらしい。
まだ冬休みにならないうちから、ご飯を炊くことを命ぜられてしまったと、子どもが嘆いていた。

Aさんは、上記のようなことから、家でのごはん炊きをまかされてしまい、
毎日夕方になるとご飯をといで、給水させて、炊いているらしい。



だが、彼女は良くないことを思いついた。

「うちの家族が、コロナにかかっていないか、試すことにした」

恐ろしい。
科学の心が、こんなところで発揮されてしまうとは。

家族の味覚と嗅覚を試すために、彼女のとった実験計画は、
ご飯を炊飯器にセットした後、なにかを混ぜる、ということであった。


1日目 塩をふりかける  ⇒ 気づかれなかった
2日目 もっと多く塩をふりかける ⇒ しょっぱい、と弟に気づかれる 父もおかしい、と。

「この時点で、コロナ感染が疑われるのは、母ということになりました」

3日目 こんぶを入れた ⇒ 家族全員が 「なんか、なんか・・・へんだねえ」

4日目 抹茶の粉を入れた ⇒ 弟だけが「なんかお茶っぽい香りがした」

「この時点で、弟だけは確実に感染していないことが分かりました」

5日目 アイスを入れた ⇒ だれも気づきませんでした。


この実験は、Aさんが

「なんか、自分でご飯を食べるのが厭(いや)になってきたので止めました」

ということでたった一週間、それも冬休み前に終了してしまった。

日記には、

「うちでは母だけが何も気づきません。コロナ以前に、母には本当に味覚があるのだろうか、うちの料理は大丈夫か、と本気で心配になりました」

と書いてあった。

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前転を10回した後に後転ができるかどうか

1週間ほど前だろうか。
Tくんたちが、熱く討論をしているのを見た。

めったに議論などしたことがなさそうなTくんなので、なにごとならんと近寄ってみると、どうも「目が回るということ」について話しているようだ。

Tくんの周囲にいる数人も、まあどちらかというと論理的な感じの男子ではなかったので、こりゃおもしろそうだと思ってわたしも参加し、一緒になって「ふむふむ」と聞いてみる。

彼らが議論していたのは、
【前転を10回したあと、後転ができるかどうか】であった。
Tくんは家でふとんを2枚つなげ、行ったり来たりの前転を10回やって弟に自慢した。
すると、今度は後転ができるかどうか、という話になった。
弟はできないので、Tくんは自分が見本を見せようとして後転をしたところ、

ぐにゃぐにゃ

になったという。

からだが、たこのように、ぐっにゃぐにゃ になったそうだ。

Tくんが言うには、
それはつまり、直前まで前転をひっきりなしに繰り返したので、脳がエラーを起こしていたのだろう、ということであった。

「ほんとうだって。前転を10回繰り返したあとに、すぐ後転をしてみたら、ぜんぜん、できなかった。だれでもそうなるはずだ」
「えー、Tくん、もともと後転ができなかったとかじゃなくて?」
「そうそう。俺は後転はできるんだって。でも、前転10回のあとは、無理だった」

そこで、次回の体育の時に実験をしてみたい、という。




先日、体育館での体育の授業をやったときのこと。
彼らはその約束を覚えていて、

「先生、みんなで前転10回やろう」

という。

「そのあと、だれか後転ができるか、しらべてみようよ」


で、やってみましたよ。

すると、まず前転10回をやれた子がすくなかった。
途中の6,7回くらいで、目を回す子、方向を失う子もいる。
気持ちわりい、とやめてしまう子も。

しかし実験精神に富んだ数人の猛者もいて、もちろんTくん本人もまじめに10回前転をした。

Tくんと他の数名が、後転にチャレンジした。

みんな並んで、おもむろに、えへらえへら、と薄い笑みをうかべてマットに背を向けると、
そのまま後転をしたのですが・・・。

一応、最初の1回はできたのですが、

2回目に、ほんとうに

ぐにゃーーー

と、だれもが薄笑いをうかべたまま、床にへばってしまい、

チャレンジした全員が全員とも、

「か、か、からだがーーー、うご、うごかねええええ」

と言って、酔っぱらった感じになりました。

みんな大笑い。

危険なので、みんなマネしないように、と釘をさしておきました。

ふつうの人は、脳がエラーを起こすのではないでしょうか。
前転10回、すぐに後転をやると・・・。
体操選手の内村航平さんなら、大丈夫なんでしょうけど。

Tくんは来年の夏の自由研究で、

「人間はなぜ目がまわるのか」

を研究するそうです。めでたし、めでたし。

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悪口のコール

ある子に向けて、他の何人かの子から、うざい、うざい、のコールが起きたそうである。
担任の先生が鬼のように怒って鎮め、放課後、親に電話していた。
電話が終わってからも、その「うざい、うざい」のコールを始めた首謀者と思われる児童のことを、ああだこうだと小一時間、職員室で話していた。

おそらく、保護者もびっくりするだろう。
わが子が友達に「うざい」と言っているのだとしたら。
また、わが子が「うざい」と言われているのだとしたら。
尋常なことではない、いじめだ、なんとかしなければ、と思うのがほぼすべての親だろうし、わたしもそう思う。

ところが、ぼんやりと考えていると、ちょっとちがう視点で思うこともある。
それは、大人と子どもとでは、
「うざい」や「キモイ」、もしくは「死ね」の意味がちがうのではないか、ということだ。

これはかなり繊細な話になるから、なかなかこれまでここ(ブログ)には書いてこなかった。
そうはいっても、許せない言葉だからだ。
たしかに、これらは許される言葉ではない。

しかし、ちょっと事件とは離れて、それはいったいどういうことなんだろうか、とできるかぎり客観的にこれをみてみたい。

ふつう、大人は、だれかに向かって「うざい」「きもい」「死ね」とは言わない。
あからさまに相手を傷つけることが自明だからだ。
暴言だし、人権の冒涜だし、犯罪でもある。

いっぽう、子どもはけっこう、口に出してしまう。
これは日本中の教室を調べたら、かなりの数になると思う。
正直に先生たちが、日本中の小学校で、子どもが「うざい」「きもい」と口にした数をカウントしたら、膨大な数になってしまうだろうと思う。おそらく間違いない。

なぜ、大人は言わず、子どもは言うのだろうか。
これは、もしかしたら、子どもは学習中だからではあるまいか。
大人は、その言葉の冷たさ冷酷さ非道さを、学習したために使わないのではないだろうか。

子どもはそういう言葉を使うことによって、ある壁にぶつかる。
人との関係がこじれる。
子どもはそこから学ぶ。
大人になるにしたがって、自分の口から出てくる言葉の伝わり方を、ふさわしさを、やさしさを、思いやりの乗せ方を、学んでいくのだろう。

「うざい」と言う子は、叱ればいい。
これは、半分正解で、半分は不正解だ。
大人はそれをキャッチしたら叱るべきだろう。たたかうべきだろう。その言葉の冷たさと。

しかし、叱ったら使わなくなるかというと、そうでもない。
ここが、半分不正解の部分だ。
これは、子どもが自分で傷ついて、学ばなければならない部分が多少、あるのだ。
相手を傷つけ、自分も傷ついて、そうやってこそ学べる世界が。

大人は、そんなことをさせたくない。
だから道徳の授業なんかで、「ふわふわ言葉」とか「ちくちく言葉」などと教える。
教えるのはいい。でも、それですべての小学生が使わなくなるなんて考えない方がイイ。
実際、そんな程度のことで「うざい」がなくなるわけがない。なぜか。
子どもが自分でやってみないといけない部分があり、そうでないと

本当には分からない

からである。

小さな失敗を、重ねて、大人になるのが子どもである。
それを

許さない!

と叱れば解決、すべての悪口現象が無くなる、というものでは、残念ながら無い。
子どもの本分は、間違いながら、改めながら、育つ、ということだ。
それをわかって、まるごと受け止めていることが、教育のスタートなのだと考える。
そして、その方が、かえって子どもを追い詰めないし、実はまっすぐ子を育てることになっているかもしれない。

品行方正な子どもに尋ねて
「なんでうざいって言わないの?」
ときいたら、理由が
「大人がそうしろと言っていたから」
では、残念でしょう?

そう指導されたから、そうする、というのでは、おかしなことになるのですから。

ノモンハン

タスク管理、だれもができる使い方~無理のないところで~

20代のころから、
「無理がない」
という言葉がおもしろい、と思っていた。
ない、ない、という二重否定だから。

無理というのは、「理」が無い、ということ。
「理」とは『ことわり』。
物事の筋道。条理。道理。
だれがどう考えても、
いつの時代においても、
それがもっともであり、当然といえること。

それが、無い、ということは、決定的に間違っている、ということ。
つまり、無理とは、【まちがっている】、という意味だ。

無理、無理、と言葉ではよく使う。
「えー、そんなの無理でしょう!」と。
まちがっているし、通らないよ、ちがうよ、ということ。

一方、「無理」がない、というのは、その逆だ。
もっともで、当然で、すーすーと明るく通る、という意味になる。
通らないわけがない、ということ。
要するに、ツーツーなわけ。水が勢いよく、なんの障壁もなく通過できる。


無理のない、スケジュールおよびタスクの管理術がないか、と考えて3年くらい経つ。

スケジュール帳は、20代のころはA版の大きなものを買って、ふせんをぺたぺた貼っていた。
それが心地よかったときもある。若いから、そこまで自分のあれこれを管理する力があった。
しかし今はそれがしっくりはこない。老いたのだ。疲れてしまってできない。
もっと簡便で、もっとスーッとできないか。
どれだけエネルギーの枯渇したような、背筋の全部が痛んでいるようなとき。
そんなぎりぎりの状態でも使える、「スケジュール帳の管理術」がないかと。

そこで、もうただのマスだけのスケジュール帳を買った。
本当に、ただのカレンダーを印刷しただけ、のような。
付属品はいっさい不要。

その四角いマスの中に、1つか2つの、重要なタスクを書く。
当日中に、ぜひ行ってしまいたいことだけを精選して。

そして、終わったら、赤い水性ボールペンで線を引いて消す。
それだけ。

ただ、それだけで、日々の生活の中、リズム感よく使うことができている。
おそらく、自分にはそれだけのことでいいんだろう。
ぎりぎりの疲労状況でもできるのは、
たったこれだけのタスク管理だ。
疲労困憊で倒れそうでも、これならやれる。

なぜこんなことにこだわっているかというと、
「おそらく子どももやれるだろう」、というものを見つけたかったから。

これだけでもずいぶん、あれこれと自分のことや仕事のこと、生活のこと、考えるものだ。
自分をマネジメントする、あるいは過去のポートフォリオの素材としても、このタスク管理スケジュール帳は役に立ちそうな気がする。

「ああ、あのとき、1週間くらいかけてこれやってたんだー」
「この件、もうこのときから考え始めてたんだー」
こんなことさえ、自分のことをふりかえるのに、役に立つかもしれない。
すくなくとも、当時の自分の考えていたことを、思い出すことができそうだ。

小学生だって、自分マネジメントがしたいだろうし、やれるだろう。
その第一歩は、こんな程度でいいのではないだろうか。
無理なく、誰でもつづけられて、いちばーん分かりやすいスタイル。

小学校の3年生(9歳)くらいからはじめて、高学年(12歳)まで。
すーっと無理なく、自然に習慣になって続けられたらいい。そのくらいのスパンで。

スケジュール

ピンチをチャンスに

世界中がピンチだ。
ピンチをチャンスにする。

どうしてそう思うかというと、無理がでてきた、ということは、
「変えろ」のサインだと思うから。

なにを変えるかというのが難しい。
「変えなきゃいかん」
と気負ってがんばったら、さらに悪くなる、ということもある。
これまでの日本はそういうことが多かった。
ひとつの答えらしきものを求めて、それがわかったと思ったら突進する。

民営化が正解だと頑張ってみたらそうでもなかった。
JRは民営化で成功した!民営化しかない!と思っていた時期が長い。
給食も民営化するとサービスが向上するはずだと思ったら、ちがっていた。
給食が民営化されたとたんにコストカットで悲惨な給食になっちゃったとか。だれも食べない給食の残飯を捨てるのにすごいコストがかかってるとか。企業はその処理費用もまた給食費に寄せるから、ますますコストカットされて・・・
ほかにも、民営化が正しいと思って突き進んだら、市民病院がつぶれて医療が崩壊とか。
つまり、「勤勉なバカほどはためいわくなものはない」という格言通りになることも多かった。

大事なのは、ひとつの答えをみつけた、と思うな、ということだ。
それが答えだと思っても、考えることをやめてはいけない。
教科書に書いてあるからとか、えらい先生が言ってるからで「正解」と決めてはいけない。
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
考えることをやめると、人間社会というのはとたんに停滞する。

ソ連が崩壊したのも、マルクスレーニン主義だけが正しいとしたからだし、
江戸幕府も朱子学が国学であり、唯一の正しい学問だとしたとたんに停滞した。
蘭学が入ってこなかったら、さらに何十年も停滞しただろう。
同じように儒教だけが正解と思えば停滞するし、そんなのは歴史の枚挙にいとまがない。
人間というのは、たった一つのドグマに依存するということを、してはいけない存在らしい。

コロナで学校も毎日消毒している。
机も水道の蛇口も。
教室には常にアルコール消毒液がおかれているし、給食中はだれもしゃべらないことになっている。
子どもたちもけなげに頑張っている。

これまでのことを思い出すと、大きな声でおかわりのじゃんけんなどしていた。
それが今はできないが、おかわりじゃんけんをしていた時代がなつかしいとさえ、感じる。
もう、そのころには戻れないだろう。
学校は完全に変わった。

これからは、学校がひとを集められなくなるかもしれない。
そうなる前に、児童が自分で追究していく学習スタイルをとるしかない。
学校主導ではなく、個が確立して学ぶスタイルだ。
まだ個が確立しているとはいえない児童だからこそ、そこを支える。
もう、教科書は半分でいいのかも。
コロナに合わせて、教科書の改訂も必要かもしれない。
あるいは、教科書を全部やらんならん、という思い込みを外すか。
そのどちらかが、すでに必要になってきているのかも。

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りゅうぐうの石を持ってきた『はやぶさ2号』

どうやら大成功らしい。
探査機「はやぶさ2」から分離されたカプセルが6日午前2時半ごろ、オーストラリア上空の大気圏に突入した。
宇宙航空研究開発機構(JAXA)がウーメラ砂漠に着地したカプセルを発見。約3時間後に回収し、日本に持ち帰る。中には小惑星「りゅうぐう」の砂が入っているとみられ、日本に持ち帰って詳細な分析を進めるという。

はやぶさについてはMUSES-Cと呼ばれた第一号機のころにエンジニアとしてかかわっていたので、後継機が大成功と聞くととてもうれしい。

わたしがISAS内をうろうろしていたときは、今のような交流棟などなく、研究施設だけであった。ところが今よりももっとのんびりしていて、A棟の1Fには夏休みになると子どもがロケットの模型を見に来ていたりもした。1Fのロビーでは、家族が写真を撮っていたし、なんともほんわかした時代でありました。

当時は恰幅の良い的川泰宣先生がニコニコしながら室長の部屋から出ていらっしゃることもあり、わたしは的川先生が書いた宇宙に関する子ども向けの本を読んでいたから、「うわあ」と思って多分にミーハー気分で一方的に挨拶をしていた。

わたしにとって忘れられないのは、ロケットの発射施設がある鹿児島・内之浦での体験。
ASTRO-Fと呼ばれた赤外線天文衛星「あかり」の打ち上げ準備で内之浦へ行き、あれこれとネットワークの機器を設定していたが、なんとか夜遅くまでに作業を終えて宿へ帰ると食事がない。泊まる人数が少ない日だったためか、食事が用意されていなかったのだ。また、研究所のメンバーがよく利用していた宿の近くの定食屋が休業中で、本当に食べるものがない事態になってしまった。
やむをえず仲間とともに外出したが付近に夜9時をすぎて営業している店などひとつもなく、レンタカーでさびしくドライブした心細い夜を思い出す。
ともかく、夜10時近くだったから、店が開いていない!コンビニなんてない!

横にいる会社の相棒もだんだんと不安な顔になってきた。
「志布志まで行かないとダメか?」
車の中で、本当に食うものがなかったらどうしよう、と心細くてたまらない。

それでもピンク色のネオンがひとつだけ、森の中の道沿いにひかっているのを見つけ、そこに車を停めた。店は開いているようだったがだれもおらず、大声で呼ぶと、奥から若い女性が出てきた。
頼み込んで、酒のつまみのようなものをつくってもらったが、あのときのおにぎりはうまかった。なんせ、昼から作業に没頭して何も食ってなかったからね。酒は注文せず、おにぎりと小さな唐揚げ?のようなものを食べさせてもらって、なんとか腹を満たした。隣の部屋から小さな子の声が聞こえてきていたから、もしかしたらその子の晩御飯を横取りしたかもしれないと思うと、本当に申し訳なく、車にもどってからネオンに向かって真剣に拝みました。ピンクのネオンに向かって拝んだのはあれが最初で最後です。

小惑星の砂を回収できていれば、2010年に初代「はやぶさ」が「イトカワ」から持ち帰って以来の快挙となる。有機物や水を含むとされる小惑星からの回収は世界初で、太陽系の成り立ちや生命の起源に迫る手掛かりになると期待される。

人間はこうした問いについて、きちんと
「わからないものは、わからない」
として、考える力をもっている。
だから面白い。
「わからないもの」まで「わかった」と言わないから、面白い。
わかったふりをして、わかったような気になって、死んでいく人生ほどむなしいものはない。

りゅうぐう


下記は、第一号のはやぶさ時代の記事。

〇「はやぶさ、すごかったんだね」
〇絶対に、もどってきてほしい。
〇はやぶさの映画をみて
〇映画「はやぶさ/HAYABUSA」を見てまいりました。
〇なんと特大ポスターが学校に届いた。
〇東映、渡辺謙さんの「はやぶさ」は
〇20世紀FOXに、お願いしてみました

子どもの顔がよく分からず、先生の顔もよく分からない一年

ふりかえると、今年4月に、新しい学校に転勤になった。
コロナ禍のなかでの転勤で、最初に職員室でみたのはマスク。
校長もマスク、教頭もマスク、他の職員もみんなマスク。
もちろん、わたしもマスク。

学校がはじまって子どもたちを見たら、みんなマスク。
自己紹介のときだけ一瞬だけ外したけど。
あとはみんな、いつもマスク。

だから、素顔をほとんど見ないまま、12月になった。
もちろん、今までにこんな年はなかったから、
「お互いに、顔をろくすっぽ、見ないままで、よくここまで暮らしてこれたなあ」と感慨深い。

子どもの表情は、目でみるようになった。
ああ、うれしいんだな、よろこんでいるな、真剣だな、考えているな、迷っているのかな
マスクをした口元では分からないから、「目」で判断する。

これは、日本人でよかった。もともと、日本人はマスクは得意だもの。もとから、目もとで心を読む癖がある。相手が口元でいかに笑おうが、目で笑っていなかったら、本気じゃないことがすぐわかる。

最近、5年生が2年生のところへ行くことになった。
ペア学年ということで、縦割りの遊びをするわけだ。
ところが、ペアの子の顔がよく分からない。

「先生、顔を覚えてない」

当然だろう。マスクしたところしか見てないから、相手の印象が薄いのだ。
まだ分散登校になる前のころ、たった一度、体育館で握手をしただけだもの。
そのあとは「密を避けるように」と言われてたし、他学年のところへ行けなかった。

だから名前を呼んで、返事をしてもらって、そこへ5年生が駆けつけるふうにした。
2年生の先生が、気を利かせて名簿順に並んでいてくれたから、すぐにマッチングさせることができた。

「いやあ、顔を見たけど、覚えていなかったからあせった」

と子どもが言っていた。
校内全員、マスクだもの。2年生の子なんて、かおの7割がマスクで見えないから、おでこと目しか見えない。本当によく分からない。

クイズをしているようなものだ。わたしはだれでしょう?という感じ。
赤白帽子を目深にかぶって、マスクをしていたら、本当にだれがだれやら区別がつかない。

もうすぐクリスマス、冬休み。
ここまで暮らしてきて、わかったことがある。

学校でもやめられることがたくさんある、ということ。
プールの授業もやめられた。
校長講話もやめられた。
全校集会、やめられた。
運動会もやめられた。
遠足もやめられた。
キャンプもやめられた。
研究授業もやめられた。
夏の研修やめられた。
授業参観やめられた。

その代わりの企画を、すべて、一からつくるから、何倍も疲れた年だったけど。
頭はけっこう、やわらかくなってきたかな。

今やっていることも、今あるモノも、
消えていくもの、なくなっていくもの、多い。

まあ、もともとはなかったものだからネ。
そこから発想していかないと。

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柳家小三治さんの「初天神」

学校で招いたお話サークルの方が、落語を演じてくださった。
子どもたちは、落語なんて生で見るのは初めての子ばかり。
「右を向いたら女の人で、左を向いたら男の人だったからすごいと思った」
こんな感想が出るくらい。

久しぶりに落語のことを思い出したので、
昔描いた記事から再掲。

もう20年以上前に、小三治さんを国立演芸場でみたときに書いたもの。
半蔵門の駅へ向かって歩いて帰るときに、心の中で何度も
「来てよかった、来てよかった」とつぶやいたっけ。

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柳家小三治さんの「初天神」。

涙が出る。

最高の舞台だ。
この目で見れて、幸福だった。
小三治さんがいて、本当によかった。落語が、ますます好きになった。

まくらの時の所作から、湯飲みに手をのばすしぐさから、そこから、しびれた。

この動き。
背筋がのびて、かといって、力が入りすぎていない、自然体。
ちょっとしたくすぐりで、肩と背の形が変わり、そこが客の笑いを自然に誘う。とても落ち着く。
春風亭柳橋さんの物まねだった。

どうしたら、あんなふうに、座布団にすわれるのだろう。

客におもねず、ゆずらず、それでいて、何も意図せず、といった風。
楽でありながら、すべて計算尽くし、といった感がある。
何が起きても、どんな料理でも、してみせる、という自信だろう。
鍛え上げた、あるいは、筋金入り。
と、言っていい。

力量なのだろう。


教壇に、あんなふうに立ってみたい、と思う。
それができれば、教師としての、名人だろう。

初天神。
むだのないセリフ。
出だしから、いきなり、魅せてくれる。

おっかあ、羽織をとってくれ、といったときの、鼻に手をやるしぐさ、そこからすでに、100%の出来だ。小三治としてはふと、自然に出たのかと思うが、すでに登場人物になっている。見事すぎる。

金坊が、わずかに上を向いて、にこにこ現れるときの、かわいらしさ。
あ、そういえばさ、天神様が初天神だもの、父ちゃん天神様好きだからさ、天神様行くんだろう、・・・

このくだりも、とぼけたような、真剣になったような、子どもの表情が、どうしてこの70歳近い老人の表に、くっきりと浮かび上がってくるのだろう、とため息がでてしようがない。

団子に、蜜と、あんこ、両方を選ばせるところの、セリフのこまかさ。
しびれる。

そして、きわめつけは、蜜のすすり方。
「なんだこれ、この水あめみてぇな・・・これは蜜じゃねえ、水だよ」
最後の方のセリフが聞き取れない、そうだ、そのはず、すでに口元に串をやって、蜜をすすりはじめている。なんともリアルだ。ぐいぐい、ひきこまれていく。無駄の無さ。完璧だ。

これで見せ場が終わり、なのではない。だからすごい。
凧揚げの、セリフ。

「引きがいいねえ・・どうでぇこりゃ、そうらそら・・・・、おっと、こりゃあ、糸、足んねえかな。もっと買ってくりゃよかったな」

このとき、もっと買ってくりゃよかったな、のところは、本当に男のつぶやき、なのである。セリフではなく、つぶやきなのだ。すごい臨場感がある。背中がぞくぞくと震えた。

凧を見上げる視線がぶれない。おそらく、ホールの天井付近から二階席を見上げているのだろうが、本当に凧が、揚がっているように見える。

最後。
「こんなことなら、父ちゃんなんて連れてくるんじゃなかった」

泣けた。
落語は『微笑の哲学』だといった人がいたが、本当だ。
その哲学が生きている。
人間の可笑しみ、さびしさ、楽しさ、思わず出てくる微笑、苦笑・・・。

ああ、人間がいる。
人(ひと)が、生きている。
人がいとおしい、いとおしさの湧き上がる舞台だった。落語の奥深さ、そして哲学、人生が塗り込められた舞台だった。つきぬけるような、人の表現・・・。



人を、愛さずにはいられない、と思う。
落語を聴けば聞くほど、人が好きになる。

kosanjisan

絵をどう見るか

今週、おくればせながらの参観日があった。
参観日に合わせて各学年の廊下には、ずらりと秋の図工作品が展示された。
いろとりどりの水彩やクレヨン画が、廊下の向こうまで壁面をうめつくす勢いだ。

4年生はソーラン節の絵が飾られた。
人間を描くのだから、とてもむずかしい題材だが、子どもたちはがんばった。

3年生は夏の日のひまわりだ。
理科の観察で育てたひまわりを、見上げているような絵が多かった。
自分の顔を入れているのがいい。

2年生は、これも運動会で踊ったダンスの絵。
そして1年生は、画用紙いっぱいに描かれた朝顔のパレードだ。

どの絵もすばらしいが、とくに1年生と3年生がすばらしい。
それは、なぜか。
実は、子どもの絵は、

「触れることのできるもの」

がいいのである。

これは説明がむずかしいが、子どもはどうやら大人とはちがって、
「さわって感じる」世界の方がリアルであって、
大人のように視覚だけに頼っている感覚ではないらしい。
われわれ大人は、どうもその感覚を失っているから分からないのだろう。
だから、子どもの朝顔は、あっちへ向いてるしこっちへ向いているしひっくり返る。
そしてまた、花びらが極端にでかいのもあれば小さいのもあるし、自分の顔もそこにまぜると本当におどろくような構図になるが、花びらがのびのびと四方八方に展開し、見る人が楽しくなる絵ができあがる。

子どもは、視覚に映ったものを再現しようとしているのではない。
再現したいのでもない。(大人とはこの点が異なる)
子どもは、絵を描くのが楽しい、という一点で、それならと書き始める。
図工の時間に、指示や命令は一切そぐわない。

子どもは見たもの、触れたものをきっかけにする。
そして、イメージを広げたり、想像したりする。
その想像を書き込める題材であれば、子どもはどんな絵を描いても「あーたのしかった、またやりたい」と思うようだ。

土台、子どものやりたいことと大人がやらせたいことがちがうのだから、
大人がそれを評価して「うまい」だの「いまひとつ」だの、評価すること自体が無理である。
大人が子どもの絵をみるときは、子どもが視覚に頼っていないことに注目する必要があるだろう。
われわれはどうしても視覚が優位であり、そこに頼ってしまうのだが。

wawawa
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