20代の先生たちって、なんでこんなにも素敵なんだろう。
仕事はできるし気が利くし、子どもたちの目線に立っている。
こうしてまぶしく彼ら彼女たちを見ていると、
自分が加齢してドジばかりやっているのが際立って感じられる。
階段を上がると息が切れるのは、もうどうしたらいいか分からない。
マスクのせいで、もうほとんど3階まであがった時点で息ができない。
いつも踊り場でそのままブラックアウトする勢いだ。頭の中で、山本 小鉄がカウントしはじめる。
また、ちょっと子どもがやさしいそぶりを見せたりすると、
涙腺がゆるみそうになることがある。
これも、加齢のなせるわざでありましょう。
ときには放課後10分ほど、意識がなくなるときがある。
「今日は職員会議も無いし、会合もないし、さあ、学級事務ができる・・・ぞ・・・」
って、ちらっと思った記憶があるけど、そのあとの記憶がさだかでなく、気が付いたら目の前に隣のクラスの先生がいたときがある。
体育の時間も、加齢が気になる。
ちょい前なら、鉄棒もマット運動も、ちょっと見本みしてみっか、と自分がやったものだが。
今はもっぱら、
「できる人、見本おねがい」
で両手を合わせている。
「先生やってみてー」
と言われる年も、すでに越えたようだ。
もうクラスの子どもたち、だれもわたしにマット運動の技を要求しないようになった。
廊下をあるくときはたいてい、肩甲骨をまわすのがくせになっている。
給食もそうだ。
「あらま先生は大盛りにしてあげないかん」
というので、かつては大盛りが配られていた。
ところが今ではもうすっかり食が細くなり、配膳してくれる子も、心配そうに
「あらま先生、このくらいなら食べられますか?」
と、ごはんを少し減らしながらこっちをうかがってくれる。ほとんど介護のようである。
加齢などくそくらえだ!
先日は社会科の資料集の、細かい字が見えないのと、地図帳の細かいのがよく見えなくて閉口した。
思わず知らず、手に持っている地図帳をだんだんと顔から離し、まゆをひそめ、わたしのこの瑠璃細工のようなつぶらな瞳をせいいっぱい見開いて、地図記号を読み解こうとしたが、見えない。
「ええええー、この岡崎市の、ええー、岡崎市の、・・・ここになんか・・・自動車の関連工場の・・・なんか、記号がありますね。えー、なんだこれは」
すると子どもが冷静に
「あらま先生、投影機で拡大するとテレビに映せると思うよ」
と、憐れんだような目で、いそいそとそれをやってくれようとした。
わたしはVロート・ゴールド40を目にさしながら、今このブログを打ち込んでいるのだが、
・・・40じゃ、もうダメだな。
アラヒフだもの。Vロート・50が必要だ。
と思った。
とはいえ、こうやって子どもたちのことを考えていると、あれ、もうなんだか視界がにじむ。
やさしい子たちだよな。ほんとに。
涙腺も他の腺も、なにもかも、本当にゆるみっぱなしです。
とはいえ、まだまだ月曜日だ!! しまっていくぞーーーーー!!!
仕事はできるし気が利くし、子どもたちの目線に立っている。
こうしてまぶしく彼ら彼女たちを見ていると、
自分が加齢してドジばかりやっているのが際立って感じられる。
階段を上がると息が切れるのは、もうどうしたらいいか分からない。
マスクのせいで、もうほとんど3階まであがった時点で息ができない。
いつも踊り場でそのままブラックアウトする勢いだ。頭の中で、山本 小鉄がカウントしはじめる。
また、ちょっと子どもがやさしいそぶりを見せたりすると、
涙腺がゆるみそうになることがある。
これも、加齢のなせるわざでありましょう。
ときには放課後10分ほど、意識がなくなるときがある。
「今日は職員会議も無いし、会合もないし、さあ、学級事務ができる・・・ぞ・・・」
って、ちらっと思った記憶があるけど、そのあとの記憶がさだかでなく、気が付いたら目の前に隣のクラスの先生がいたときがある。
体育の時間も、加齢が気になる。
ちょい前なら、鉄棒もマット運動も、ちょっと見本みしてみっか、と自分がやったものだが。
今はもっぱら、
「できる人、見本おねがい」
で両手を合わせている。
「先生やってみてー」
と言われる年も、すでに越えたようだ。
もうクラスの子どもたち、だれもわたしにマット運動の技を要求しないようになった。
廊下をあるくときはたいてい、肩甲骨をまわすのがくせになっている。
給食もそうだ。
「あらま先生は大盛りにしてあげないかん」
というので、かつては大盛りが配られていた。
ところが今ではもうすっかり食が細くなり、配膳してくれる子も、心配そうに
「あらま先生、このくらいなら食べられますか?」
と、ごはんを少し減らしながらこっちをうかがってくれる。ほとんど介護のようである。
加齢などくそくらえだ!
先日は社会科の資料集の、細かい字が見えないのと、地図帳の細かいのがよく見えなくて閉口した。
思わず知らず、手に持っている地図帳をだんだんと顔から離し、まゆをひそめ、わたしのこの瑠璃細工のようなつぶらな瞳をせいいっぱい見開いて、地図記号を読み解こうとしたが、見えない。
「ええええー、この岡崎市の、ええー、岡崎市の、・・・ここになんか・・・自動車の関連工場の・・・なんか、記号がありますね。えー、なんだこれは」
すると子どもが冷静に
「あらま先生、投影機で拡大するとテレビに映せると思うよ」
と、憐れんだような目で、いそいそとそれをやってくれようとした。
わたしはVロート・ゴールド40を目にさしながら、今このブログを打ち込んでいるのだが、
・・・40じゃ、もうダメだな。
アラヒフだもの。Vロート・50が必要だ。
と思った。
とはいえ、こうやって子どもたちのことを考えていると、あれ、もうなんだか視界がにじむ。
やさしい子たちだよな。ほんとに。
涙腺も他の腺も、なにもかも、本当にゆるみっぱなしです。
とはいえ、まだまだ月曜日だ!! しまっていくぞーーーーー!!!