5年生の社会科に、もっと世間の目が集まるとよいと思う。
この中身はどうか、ということを、マスコミが報じたり、テレビでタレントが討論したり、それについての関連本が売れたりするといいなあ、と思う。
なぜかというと、5年生の社会とは、今の日本を学ぶ、ということだからです。
先日、新卒24歳の先生と話をしました。
社会科の教科書をみながら、お互いに授業案のアイデア出しです。
こうやってブレインストーミング的になんでも出し合いながら、少し予定が先の単元を話題にし、授業の骨の部分を考えておくわけです。
印象的だったのは、
「日本は世界でもトップクラスの経済力でしたからね」
という、若い彼の発言。
完全に、過去形でした。
これが、わたしよりもさらに年配の先生の耳に、意外に聞こえたらしい。
定年間近の先生が近くの席に座っていらっしゃるのですが、
「経済力、うーん過去形だよなあ」
と感に堪えたように言った。
十年以上前まで、定年間近の先生は
「日本の経済力はすばらしい。世界の模範になるレベル」
というテイストで、社会科の授業をつくっていた、とのこと。
定年間近の先生にとっては、「つい最近までは・・・」という感じ。
ところが、若い20代の彼にとっては、日本の経済力が強かった、という事実は、完全な過去、です。
ちなみに、ニッポンの1人当たりの国内生産(GDP)は、2018年にイタリアと韓国に抜かれて世界23位になり、最低賃金の低さはOECD(経済協力開発機構)諸国の平均とくらべて
平均の、さらに3分の2。
程度です。
かなり、低い。
この10年で、すごく順位を下げました。
以前はこのGDPが、輸出入の額や量を反映した国のだいたいの経済規模や経済力を示すものだったのですが、GPDが下がり続けたいま、
GDPはあまりいい指標ではない
ということになり、あんまり日本では重要視されなくなりました。
重要視されなくても、学校ではやはり常識として学ばなければならないので、今の子どもたちは
「日本はイタリヤや韓国よりも下」
というところから、学び始めるわけです。
まあ、くやしいけどしかたがない。
教室で学んでいる子どもたちは、生まれた時からちょうど10年くらいですからね。
うまれたときから、日本という国は、それほど経済力がなかったわけだ。
そういう話をしていると、年配の先生が
「むかしはGNPが世界2位だとかいって、浮かれていたからなあ」
とおっしゃる。
若い先生が
「え、2位だったんですか?」
と驚く。
GNPは世界経済がグローバル化するとともに使われなくなり、その後はGDPが指標となる。
GDPは、2010年に中国に抜かれて世界第3位となった。
そこからの凋落ぶりは目を覆うばかり。
5年生の小学生は、これからこういった日本の実態をまなんでいく。
子どもは未来に向けて自分が生きていく国を良くしていく意欲にあふれている。
だから、言葉が明るい。
アイデアなんてどんどん出せばいい、良くなるはずだ、という楽観がある。
英語の授業で、ハロウィンの祭りをしらべた。
すると、家からかぼちゃをたくさん持ってきた子がいた。
おうちの人の協力で、20個近くの大きなカボチャが教室に集まった。
「すごいよねえ、でっかいかぼちゃだよなー」
と、子どもたちはみんな笑顔だ。
これが、子どもたちの生きるパワーだろう。
自分たちが生きていく先には、豊かな土壌がある。
かぼちゃだってとれる、いもだってとれる、がんばればもっともっと野菜やコメもとれるだろう。
そういう明るさ、気分がある。
これが、いつの間にか、大人社会の閉そく感におしつぶされたり、「努力しても豊かになれないというむくわれなさ」にとってかわったりすることが怖い。
日本の自殺者数は世界で8番目。アメリカとくらべて、2倍いる。
逆に、人口はアメリカの3分の1にすぎないのに、だ。
比率としては、10代の若者が増えている。「むくわれなさ」を予感するのか。ため息が出る。
しかし、これも、社会で学ぶ、日本の実情だ。
5年生の社会は、えぐい。
この中身はどうか、ということを、マスコミが報じたり、テレビでタレントが討論したり、それについての関連本が売れたりするといいなあ、と思う。
なぜかというと、5年生の社会とは、今の日本を学ぶ、ということだからです。
先日、新卒24歳の先生と話をしました。
社会科の教科書をみながら、お互いに授業案のアイデア出しです。
こうやってブレインストーミング的になんでも出し合いながら、少し予定が先の単元を話題にし、授業の骨の部分を考えておくわけです。
印象的だったのは、
「日本は世界でもトップクラスの経済力でしたからね」
という、若い彼の発言。
完全に、過去形でした。
これが、わたしよりもさらに年配の先生の耳に、意外に聞こえたらしい。
定年間近の先生が近くの席に座っていらっしゃるのですが、
「経済力、うーん過去形だよなあ」
と感に堪えたように言った。
十年以上前まで、定年間近の先生は
「日本の経済力はすばらしい。世界の模範になるレベル」
というテイストで、社会科の授業をつくっていた、とのこと。
定年間近の先生にとっては、「つい最近までは・・・」という感じ。
ところが、若い20代の彼にとっては、日本の経済力が強かった、という事実は、完全な過去、です。
ちなみに、ニッポンの1人当たりの国内生産(GDP)は、2018年にイタリアと韓国に抜かれて世界23位になり、最低賃金の低さはOECD(経済協力開発機構)諸国の平均とくらべて
平均の、さらに3分の2。
程度です。
かなり、低い。
この10年で、すごく順位を下げました。
以前はこのGDPが、輸出入の額や量を反映した国のだいたいの経済規模や経済力を示すものだったのですが、GPDが下がり続けたいま、
GDPはあまりいい指標ではない
ということになり、あんまり日本では重要視されなくなりました。
重要視されなくても、学校ではやはり常識として学ばなければならないので、今の子どもたちは
「日本はイタリヤや韓国よりも下」
というところから、学び始めるわけです。
まあ、くやしいけどしかたがない。
教室で学んでいる子どもたちは、生まれた時からちょうど10年くらいですからね。
うまれたときから、日本という国は、それほど経済力がなかったわけだ。
そういう話をしていると、年配の先生が
「むかしはGNPが世界2位だとかいって、浮かれていたからなあ」
とおっしゃる。
若い先生が
「え、2位だったんですか?」
と驚く。
GNPは世界経済がグローバル化するとともに使われなくなり、その後はGDPが指標となる。
GDPは、2010年に中国に抜かれて世界第3位となった。
そこからの凋落ぶりは目を覆うばかり。
5年生の小学生は、これからこういった日本の実態をまなんでいく。
子どもは未来に向けて自分が生きていく国を良くしていく意欲にあふれている。
だから、言葉が明るい。
アイデアなんてどんどん出せばいい、良くなるはずだ、という楽観がある。
英語の授業で、ハロウィンの祭りをしらべた。
すると、家からかぼちゃをたくさん持ってきた子がいた。
おうちの人の協力で、20個近くの大きなカボチャが教室に集まった。
「すごいよねえ、でっかいかぼちゃだよなー」
と、子どもたちはみんな笑顔だ。
これが、子どもたちの生きるパワーだろう。
自分たちが生きていく先には、豊かな土壌がある。
かぼちゃだってとれる、いもだってとれる、がんばればもっともっと野菜やコメもとれるだろう。
そういう明るさ、気分がある。
これが、いつの間にか、大人社会の閉そく感におしつぶされたり、「努力しても豊かになれないというむくわれなさ」にとってかわったりすることが怖い。
日本の自殺者数は世界で8番目。アメリカとくらべて、2倍いる。
逆に、人口はアメリカの3分の1にすぎないのに、だ。
比率としては、10代の若者が増えている。「むくわれなさ」を予感するのか。ため息が出る。
しかし、これも、社会で学ぶ、日本の実情だ。
5年生の社会は、えぐい。